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『紅蓮の魔女』と『神速の配信者』  作者: 我王 華純
第三章 地獄の鬼たちと新たな希望
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第9話 アベル・ガルブレイド

 それは、誰も予想していなかった形で現れた。


 黒曜が生み出した黒い影のゲートからは、今もなお鬼たちが途切れることなく姿を現している。


 その圧倒的な物量によって、戦場はすでに冒険者たちの手を離れつつあった。


 セイラと清十郎という二本柱は、いまだ健在だった。


 しかし、二人が戦況を立て直そうとするたびに四天王が立ちはだかり、その動きを的確に封じ込めてくる。


 敵の数は増え続ける一方。


 対して、こちらの戦力は一人、また一人と鬼の群れに分断されていく。


 戦況は、完全に鬼側へと傾き始めていた。


 『九頭竜』の二人も例外ではない。


 不知火と水鏡の前には、四天王の一人である山吹が立っていた。


 「はぁ……面倒くさいなぁ。さっさと殺しちゃって、ゆっくり休もうかな」


 口から出てくる言葉とは裏腹に、その立ち姿には一切の隙がない。


 気怠そうに肩を落とし、いかにも戦うことを嫌がっているように見える。


 ところが、不知火も水鏡も一歩として踏み込めなかった。


 山吹から放たれている気配が、それを許さない。


 「……なんだ、こいつ」


 不知火が思わず呟く。


 いつもの彼ならば、相手が強敵であろうと構わず突っ込んでいく。


 そんな不知火ですら、目の前の山吹を前にすると無意識に警戒してしまう。


 水鏡も同じだった。


 あの飄々とした態度の奥に、とてつもない力が隠されている。


 それを本能的に感じ取っていた。


 「……水鏡ちゃん、どうする?」


 「どうするって言われても……私、こういうの苦手なんだけどぉ」


 水鏡は泣きそうな顔を浮かべながらも、杖を握り直す。


 逃げるという選択肢はない。


 背後にはまだ多くの冒険者たちがいる。


 ここで二人が退けば、その分だけ鬼たちが人間のいる場所へ進んでしまう。


 だからこそ、不知火も水鏡もその場を動くことができなかった。


 ◆


 同じ頃。


 スタンピード発生直後から戦い続けていた『金剛の刃』のメンバーたちも、限界を迎えつつあった。


 アキラを中心に何とか連携を維持し、鬼の群れを食い止めている。


 それでも、あまりにも数が多すぎた。


 倒しても倒しても、その後ろから新たな鬼が現れる。


 包囲網の一角が崩れれば、そこから鬼たちが次々と抜けていく。


 すでに相当数の鬼が冒険者たちの防衛線を突破し、人間たちが暮らす市街地へ向けて進撃を開始していた。


 「くそっ……くそぉ!」


 アキラは必死に薙刀を振るいながら、迫り来る鬼を次々と叩き伏せる。


 「このままじゃ……街が! 人々が!」


 頭の中に最悪の光景が浮かぶ。


 この数の鬼たちが市街地へ到達すれば、一体どれほどの被害が生まれるのか。


 考えるだけで背筋が凍る。


 自分たちがスタンピードを食い止められなかった。


 その結果として、多くの人々が危険に晒される。


 冒険者として、そんな事態だけは絶対に避けなければならない。


 その強い使命感を胸に、アキラは何度でも立ち上がる。


 だが、どれほど強い意志を持っていたとしても、無限に押し寄せる敵を前にすれば限界は訪れる。


 「誰か……!」


 鬼を薙ぎ払いながら、アキラは声を張り上げた。


 「誰でもいい! 誰か、何とかしてくれぇ!」


 それは、これまで人々を守る側に立って戦ってきた一人の冒険者が、初めて絞り出した救援の叫びだった。


 ◆


 一方、セイラもまた、苦渋の決断を迫られていた。


 目の前には、未だ数え切れないほどの鬼がいる。


 朱天と白織の二体を相手にしながら、さらに周囲から押し寄せる鬼たちまで退けなければならない。


 このままでは、他の冒険者たちが一人、また一人と倒れてしまう。


 それを見過ごすことなど、セイラにはできなかった。


 「……仕方ありませんわね」


 セイラは『最高位神器(グランドレガリア)・アークセラフィエル』へ意識を集中させる。


 『氷結地獄(コキュートス)』。


 その最終階層――『ジュデッカ』。


 これを使えば、この戦場を覆すことはできる。


 ただし、その代償は大きい。


 大凶丸を倒すために残していた切り札を、ここで使うことになる。


 それでも、セイラは迷わなかった。


 目の前で仲間たちが追い詰められている。


 その光景を見ながら、自分だけが力を温存することなどできない。


 「お嬢様……」


 セイラの決意を察した清十郎が、静かに声を掛ける。


 「わかっています」


 セイラは短く答えた。


 「それでも、わたくしは目の前の人たちを見捨てることなどできませんわ」


 その言葉と同じ頃だった。


 『よく踏ん張りました。後は私がこの場を受け持ちます』


 凛とした男性の声が、戦場全体へ響き渡った。


 セイラが顔を上げる。


 空から、紫色の光が降り注いでいた。


 それは、これまで幾度となく冒険者たちを救ってきた『紫光』だった。


 光は瞬く間に戦場を包み込み、鬼たちの姿さえも紫色に染め上げていく。


 鬼たちは一瞬だけ動きを止めた。


 見慣れない光。


 そして、そこから何者かが現れようとしている。


 警戒した鬼たちは、すぐにその光へ向かって殺到した。


 数百、数千にも及ぶ鬼たちが、一斉に押し寄せる。


 これほどの数を相手に、たった一人で立ち向かうなど無謀以外の何物でもない。


 セイラも清十郎も、不知火も水鏡も、アキラも。


 戦場にいる全ての冒険者が、紫光の中心へ視線を向けていた。


 そこに、一人の人影が浮かび上がる。


 「次元刀……大殺界!」


 凛々しい声が響く。


 同時に、空間そのものが揺らいだ。


 何かが振り抜かれた。


 それだけだった。


 次の瞬間には、紫光へ殺到していた鬼たちが次々と崩れ落ちていく。


 首を断たれた者。


 胴を斬り裂かれた者。


 何が起きたのか理解する間もなく、数百体もの鬼が一斉に戦場から消えた。


 「……何奴!?」


 朱天が目を見開く。


 「えええ……何なのよ、これ……」


 白織もまた、驚愕の表情を浮かべていた。


 鬼の群れが作り出していた空間に、一人の男が立っている。


 鮮やかな銀色の短髪。


 整った顔立ちの美青年。


 全身を覆うのは、光を反射して輝く純白の鎧。


 その手には、一振りの片手剣が握られている。


 先ほどの斬撃を放ったのが、この男であることは疑いようがなかった。


 「あなたは……一体、何者なのですか?」


 セイラが問い掛ける。


 目の前に現れた男が何者なのか、全くわからない。


 それでも一つだけ確かなことがあった。


 彼が、この絶望的な戦場に現れた救世主であるということだ。


 青年はセイラへ向き直る。


 「私はアベル。アベル・ガルブレイド」


 その声には、一切の迷いがない。


 「我が主、リゼル様の命により、助太刀に参りました」


 名乗りを終えたアベルから、凄まじい威圧感が放たれる。


 それを感じ取った朱天と白織が、ほぼ同時に動いた。


 「ふん……また命知らずが現れたか!」


 朱天が刀を振り上げる。


 鋭い踏み込みと共に、一気に距離を詰めた。


 「あなたも、すぐに殺してあげるわぁ!」


 白織は両手を広げ、無数の蜘蛛糸を放つ。


 狙いは明白だった。


 白織の糸によって視界と逃げ道を奪い、その隙を朱天が斬り伏せる。


 四天王同士による連携攻撃。


 さらに周囲からは、無数の鬼たちまでアベルへ殺到している。


 逃げ場はない。


 普通なら絶体絶命と呼ぶべき状況だった。


 それでも、アベルは動じなかった。


 迫り来る敵を冷静に見据え、手にした剣を頭上へ掲げる。


 「ソードチェンジ」


 瞬間、剣の姿が変わった。


 先ほどまで握られていた片手剣が消え、代わりに漆黒の刀身を持つ剣がその手に現れる。


 刀身からは、赤黒い光が不気味に揺らめいていた。


 アベルは躊躇なく、その剣を振り下ろす。


 「獄炎剣……ゲヘナ・ブリンガー!」


 刀身から赤黒い炎が噴き出した。


 その炎を見たセイラの表情が変わる。


 「これは……アイリーンの……?」


 見間違えるはずがない。


 『紅蓮の魔女』アイリーン・スカーレットが操る、あの地獄の炎。


 『最高位神器(グランドレガリア)・炎帝器・エクスイフリート』によって初めて使用可能となるはずの炎が、アベルの剣から放たれている。


 地獄の炎は一瞬で周囲へ広がった。


 押し寄せていた鬼たちを飲み込み、朱天の斬撃も、白織が放った蜘蛛糸もまとめて焼き尽くしていく。


 「ぐ、ぐおおおおお!」


 朱天だけが炎の中から転がるように飛び出した。


 全身を赤黒い炎に包まれながら、それでも必死に立ち上がろうとしている。


 セイラはその光景を見つめた。


 アイリーンの地獄の炎と同じ性質ならば、あの炎は標的を焼き尽くすまで消えることはない。


 朱天の命が残りわずかであることは明らかだった。


 「くぉおお! 大凶丸様ぁああ!」


 「くっ……貴様ぁ!」


 朱天の横をすり抜け、白織がアベルへ迫る。


 白無垢の裾からは、鋭い棘を備えた異形の脚が何本も伸びていた。


 人間の女性を思わせる美しい姿は、すでにどこにも残っていない。


 それこそが、『鬼蜘蛛』白織の本来の姿なのだろう。


 白織がアベルへ飛び掛かる。


 その瞬間、アベルは再び剣を構えた。


 「ソードチェンジ」


 今度の武器は、先ほどまでの剣よりもはるかに短い。


 手に収まるほどのショートソード。


 アベルはそれを軽く握る。


 「血風刃……刹那」


 振り抜かれた刀身から、幾重にも重なった真空の刃が放たれた。


 無数の斬撃が空間を走り、白織へ殺到する。


 「ぎ、ギャアアアア!」


 白織の身体を斬撃が次々と切り裂いていく。


 白無垢が引き裂かれ、地面へ落ちる。


 白織は苦悶の声を上げながら地面へ倒れ伏した。


 アベルはその姿を一瞥しただけだった。


 すぐに次の武器へと手を伸ばす。


 「ソードチェンジ」


 現れたのは、刀身だけで三メートル近くもある巨大な大剣。


 あまりにも規格外の大きさだった。


 それを、アベルは片手で軽々と持ち上げる。


 そして、セイラへ顔を向けた。


 「セイラさん、と言いましたね」


 「は、はい」


 「少し伏せていてください」


 「……え?」


 セイラには、アベルが何をするつもりなのか理解できなかった。


 ただ、その表情を見れば冗談ではないことだけはわかる。


 アベルは巨大な大剣を構え、鬼の軍勢を見据えた。


 「この一撃で、この戦場を鎮圧します」


 淡々と告げられた言葉に、セイラは思わず息を呑む。


 目の前には、いまだ無数の鬼が蠢いている。


 その数は、数えることすら馬鹿らしくなるほどだった。


 それを前にして、たった一人の男が巨大な剣を構えている。


 なのに、不思議と冗談には聞こえない。


 アベルの全身から放たれる威圧感が、彼の言葉を否定することを許さなかった。


 セイラは静かに身を低くする。


 そして、アベルが大剣をゆっくりと振り上げた。


 戦場にいた全ての者が、その一挙手一投足を見つめていた。

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