第29話 絶望
アイリーンさんの攻撃によって燃え尽き、そのまま海の中へ消えていったはずの『邪海龍・アトランティカ』が、再び海上へ姿を現した。
しかも、よく見るとその姿は、復活する前とは明らかに変化している。
全身を覆う青い鱗は、より鋭く逆立っている。
背中の翼も一回り大きくなっているように見え、全身から漂う雰囲気も、以前とは比べものにならないほど禍々しい。
中でも最も大きな変化が現れていたのは、両肩だった。
そこには、まるで本体から分離したかのような龍の顔が一つずつ生えている。
中央の頭部と合わせれば、三つの頭。
さらに、元々全身から放たれていた青紫色の光も、今では激しさを増している。
それに伴って、放たれる威圧感も桁違いに強くなっていた。
……間違いない、こいつ、さらにパワーアップしてやがる
〈……アイリーンさんの攻撃で死なないのか、あいつ〉
〈さっきの攻撃って、極大魔法の中でも単体攻撃用の最強クラスだよな……〉
〈うん、それに俺が以前見た時より数倍はデカかったぞ〉
〈それをまともに喰らって倒せないとか、もう無理ゲーじゃね?〉
〈しかもアイテム使えないんだぞ……〉
〈『神速』さん! 逃げてー!!!!〉
コメント欄も完全に荒れ始めている。
無理もない、この場にいる俺でさえ、目の前で起きていることを理解しきれていない。
アイリーンさんの攻撃を、あれだけまともに受けたんだぞ
それなのに死なないどころか、さらに強くなっている。
……これ、倒せなくね?
呆然と立ち尽くしていた俺の耳に、アイリーンさんの叫び声が飛び込んできた。
「ハヤトさん! ボケッとしてちゃ駄目です! ブレスが来ますよ! 下がってください!」
「「「グギャァアアアアアアアア!」」」
三つの頭から、同時に咆哮が轟く。
直後、アトランティカが三つの口を一斉に大きく開いた。
その奥から青紫色の光が溢れ出す。
次の瞬間、三つの口から、凄まじい勢いでブレスが放たれた。
「下がって! プロミネンスウォール!」
アイリーンさんが即座に障壁を展開する。
しかし、先ほどとは比較にならないほど強烈なブレスが障壁へと激突した。
轟音が響き渡る。
ところが、ブレスの勢いは一向に弱まらない。
むしろ時間が経つほど、その出力は増しているように見えた。
三つの頭から放たれたブレスが一つに収束している。
単純に考えれば三倍。
だが、三つの光が一つに融合したことで、単純な三倍では済まないほどの凄まじい威力へと膨れ上がっているようにも見える。
「アイリーンさん! 大丈夫ですか!?」
「ええ、今のところは平気です……ですが、このままでは……」
アイリーンさんが障壁を支えながら答える。
その間にも、ブレスの出力は増していく。
そして――
ミシッ。
「……!」
障壁から、不吉な音が響いた。
ミシミシ……。
次第にその音は大きくなり、透明な障壁の表面に細かな亀裂が走り始める。
〈やべぇ……〉
〈プロミネンスウォールが破られるぞ!〉
〈これ、相当ヤバいよな?〉
〈アイリーンさんが死んじゃう!〉
〈『神速』さん、何とかしてくれぇ……〉
視聴者たちから悲壮なコメントが次々と流れていく。
それも当然だった。
これまでどんな攻撃も完璧に防いできたアイリーンさんの障壁が、今まさに限界を迎えようとしている。
アトランティカのブレスは止まるどころか、今なお威力を増し続けていた。
このままでは、障壁が破られる。
その事実を、俺もはっきりと理解していた。
「……こうなったら、最後の手段ですね」
アイリーンさんが小さく呟く。
そのまま障壁を維持しながら、静かに目を閉じた。
すると、手にした杖の先端にある宝珠から、赤黒い魔力が迸り始める。
「……!」
俺は息を呑んだ。
この魔力には見覚えがある。
いや、忘れるはずがない。
「行きます! 『憑依……エクスイフリート』!」
現状を打破するためにアイリーンさんが選択したのは――
最高位神器の使用だった。
宝珠から溢れ出した赤黒い魔力が、瞬く間にアイリーンさんの身体を包み込んでいく。
やがてそれは巨大な繭のような形状へと変化した。
それでも、アイリーンさんが展開している障壁は消えない。
しかし、その障壁にはすでに無数の亀裂が走っている。
今にも粉々に砕け散りそうなほど、ひび割れていた。
ミシミシミシ……。
亀裂がさらに広がっていく。
そして――
パキィン!
限界を迎えた障壁が、無数の破片となって砕け散った。
その瞬間、アイリーンさんを包み込んでいた繭もまた、内側から弾け飛ぶ。
爆発するように赤黒い魔力が周囲へと広がり、その中心から一人の姿が現れた。
もちろん、炎の魔神形態となったアイリーンさんだ。
〈キターーーーーー!!!!〉
〈ここでグランドレガリアの出番かよ!〉
〈行け行けー! 一気に反撃だぜ!〉
〈やっぱり何回見てもカッコいいな!〉
配信を見ている視聴者たちのボルテージも、一気に最高潮へ達している。
無理もない、絶体絶命の状況で、満を持して切り札が投入されたんだ。
俺だってテンションが上がっている。
『はああアアアア!!!!』
アイリーンさんが両手を前へ突き出す。
次の瞬間、両手から凄まじい勢いで炎が噴き出した。
赤黒い地獄の炎。
障壁を破壊し、なおもこちらへ迫り続けるアトランティカのブレスを真正面から迎え撃つ。
ズドォォォォン!!
増幅され、巨大化した青紫色のブレスと、赤黒い地獄の炎が正面から激突する。
凄まじい轟音がボスフロア全体を揺らした。
しかし、押しているのは、アイリーンさんの方だった。
赤黒い炎が青紫色のブレスを少しずつ押し返していく。
「「「ギャギャギャァアアアアアアア!!!!」」」
三つの頭が苦しげな咆哮を上げる。
それでもアイリーンさんは一歩も退かない。
むしろ、さらに炎の出力を引き上げていく。
押し返されたブレスが、徐々にアトランティカへと迫っていく。
そして、赤黒い炎が、アトランティカの巨体を飲み込んだ。
『まだまだ……』
アイリーンさんは手を緩めない。
さらに魔力を注ぎ込み、地獄の炎の出力を引き上げていく。
『このまま……消し飛べぇ!!!!』
次の瞬間、俺の視界は赤黒い炎で埋め尽くされた。
見渡す限り、すべてが炎に覆われている。
まさに地獄、これほどの炎の中で、生き残れる生物なんて存在するのだろうか。
そう思えてしまうほどの灼熱が、目の前の海をも飲み込みながら広がっていく。
俺は、ただ呆然とその光景を見つめていた。
〈いや……マジで地獄やん〉
〈見渡す限り一面の炎だな……〉
〈これじゃあ、さすがにあのモンスターも燃え尽きただろ〉
〈やっぱり『紅蓮の魔女』は無敵だな!〉
〈相変わらず人外っぷりが凄いw〉
コメント欄にも、勝利を確信したような言葉が並んでいる。
まあ、俺も同じ気持ちだった。
結局、最後はアイリーンさんの超火力で押し切った。
そう思った、その時だった。
『……エクス・イグナイト・ブレイド』
唐突に、アイリーンさんが魔法を発動する。
同時に、その眼前へ一本の杖が現れた。
杖は赤黒い魔力に包まれ、瞬く間に巨大な炎の大剣へと姿を変える。
その光景を見た瞬間――俺の背筋を、悪寒が走った。
「アイリーンさん……まさか」
『ええ……まだ終わっていません!』
その言葉を聞いた直後だった。
少し離れた海面が、大きく弾け飛ぶ。
ドォン!
巨大な水柱が立ち上がり、その中から一つの影が飛び出してきた。
「ギャッギャッギャッギャ! そんな姿にまでなれるなんて、お前は一体何者だぁ!?」
アトランティカは生きていた。
しかも、その速度は先ほどまでとは比較にならない。
『神速』と同等なのではないかと思えるほどの速度で、一気にアイリーンさんへ迫っていく。
「ギャァァ!」
そのまま双剣を振り下ろす。
ガキィィン!
アイリーンさんの炎の大剣と、アトランティカの双剣が正面から激突した。
「しかも……これは地獄の炎ではないか! 何故、人間如きがこれを使えるのだ!?」
そこから始まったのは、互いの攻撃の応酬だった。
赤黒い炎の大剣と青紫色の双剣。
二つの武器が激しくぶつかり合い、凄まじい衝撃音を何度も響かせる。
互いに一歩も退かない。
斬撃と斬撃が交差し、幾度となく鍔迫り合いが繰り返される。
そして、戦いの最中にもアトランティカの姿は変化を続けていた。
頭部には禍々しい角が伸び、口元からは鋭い牙が覗いている。
腰から伸びる尻尾も以前とは異なり、先端には鋭利な棘がいくつも生え揃っていた。
その姿は、もはや最初に見た『邪海龍・アトランティカ』とは別物に近い。
そして何より――目の前で、魔神形態となったアイリーンさんと互角に打ち合っている。
少し前まで、こんな力は持っていなかったはずだ。
それなのに。
倒しても、倒しても、蘇る。
そして、蘇るたびに強くなっていく。
まるで戦えば戦うほど、こちらの攻撃すら糧にしているかのようだった。
「どうやって……倒せばいいんだよ……」
気が付けば、俺の口から絶望に満ちた言葉が漏れていた。
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