第4話 『深淵の支配者』
『深淵の回廊』地下百階――ボスフロア。
広大な石造りの空間。その中央には、漆黒の甲冑をまとった巨人が静かに佇んでいた。
巨大な両手剣を地面に突き立てたまま、一切身動きしないその姿は、まるで侵入者を待ち続ける門番のようだった。
ダンジョン最深部の支配者。
ボスモンスター――《アビスロード》。
アイリーンさんと俺は、大扉をくぐり、そのボスフロアへと足を踏み入れる。
「へぇ……あの鎧の巨人が、このダンジョンのボスなんですね」
興味深そうに眺めるアイリーンさん。
対する俺は思わず苦笑した。
「はい。名前は『アビスロード』です。さっき俺、一回挑んで瞬殺されました」
「あらあら」
アイリーンさんは相変わらず穏やかな笑みを浮かべたまま頷いた。
その表情には緊張の欠片もない。
世界最難関ダンジョンのラスボスを前にしているとは、とても思えなかった。
俺は配信用カメラへ向き直る。
「皆さん、お待たせしました。これから『紅蓮の魔女』アイリーンさんと一緒に、『深淵の回廊』最終ボス『アビスロード』へ挑戦します」
「今回は俺は撮影と実況に徹します。もし途中で俺がやられたら……その時は、ごめんなさい」
コメント欄が一気に流れ始める。
〈きたああああ! 神速さん!〉
〈このために有給取ったぞ!〉
〈俺なんかデート断ってきた〉
〈彼女より配信を選ぶなwww〉
〈でも『紅蓮の魔女』の初戦闘配信だぞ!? 見るしかねぇ!〉
いつの間にか俺は『神速さん』と呼ばれるようになっていた。
……まあ、悪くない。
配信者として覚えてもらえる名前があるのはありがたいことだ。
ボスフロアへ一定以上踏み込んだ瞬間。
ギギギギ……
漆黒の巨人がゆっくりと顔を上げた。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
咆哮共に空気そのものが震える。
それが、開戦の合図だった。
「神速!」
俺は即座にスキルを発動。
視界が一変する。
世界がゆっくりと流れ始める中、アイリーンさんとアビスロードを同時に映せる位置まで一気に駆け抜ける。
もちろん、戦闘には介入しない。
俺の仕事は戦うことじゃない。
この歴史的瞬間を、世界へ届けることだ。
「両者が向かい合いました!」
「アビスロードは大剣を構えています! 一方のアイリーンさんは……」
思わず苦笑する。
「……笑ってます」
〈余裕すぎるwww〉
〈なんで笑ってられるんだよ!〉
〈俺なら腰抜かしてる〉
〈実況いいぞ神速さん!〉
数秒の静寂。
それを破ったのはアビスロードだった。
巨体とは思えない速度。
一歩で数十メートルを詰めると、巨大な剣を頭上へ振り上げる。
「速い!!」
轟音と共に必殺の一撃が振り下ろされ――
アイリーンさんを捉えた――はずだった。
「……え?」
剣が、ない。
いや、正確には柄だけが残っており、刀身が途中から綺麗に消えていた。
「なっ……」
アビスロード自身が一番驚いている。
俺も理解できなかった。
よく見ると、アイリーンさんの周囲だけ景色が揺らめいている。
陽炎、いや違う。
空間そのものが、高熱で歪んでいた。
刀身は触れた瞬間、蒸発してしまったのだ。
「……すげぇ」
アイリーンさんは一歩も動いていない。
ただ、穏やかに微笑んだまま杖を持ち上げる。
「――ボルカニック・レイザー」
次の瞬間、紅蓮の閃光が一直線に走った。
アビスロードは咄嗟に体を捻り、直撃だけは避けたが、左肩から先が跡形もなく消えてしまった。
「グォォォォォォォッ!!」
絶叫と共に、巨大な身体が大きくよろめく。
「す、すげぇぇぇぇ!!」
思わず叫んでしまう。
俺は、実況者失格かもしれない。
でも無理だ、こんなの目の前で見せられて冷静でいられる人間なんていない。
〈神速さん語彙力www〉
〈いや俺も「すげぇ」しか出ねぇ〉
〈これがSランクか……〉
〈次元違いすぎる〉
〈魔法ってここまで行くのかよ〉
コメント欄は完全にお祭り状態だった。
しかし、アビスロードも終わりではなかった。
残った右腕で、自らの左腕を掴むとそのまま、ブチリと嫌な音と共に自ら引きちぎった。
その腕が黒い魔力をまとい、巨大な剣へと姿を変えていく。
「そんなのアリかよ!?」
俺が叫ぶ中、アイリーンさんだけは笑顔を崩さない。
そして、黒い大剣が床へ突き立てられた。
俺の背筋に悪寒が走る。
「アイリーンさん!! 来ます!! 全体攻撃です!!」
「あっ、それですね」
まるで確認でもするような口調だった。
「ハヤトさん、後ろへどうぞ」
俺は神速を全開にして彼女の背後へ滑り込む。
その瞬間――
「オオオオオオオオオオオオッ!!」
雷が発生、床全体が発光し、無数の雷撃がフロアを埋め尽くす。
俺を一度焼き殺した、あの攻撃だ。
「――プロミネンス・ウォール」
静かな詠唱と共に、紅蓮の障壁が展開される。
アビスロードが放った雷は、その壁に触れた瞬間、霧散してしまった。
「……嘘だろ」
あれほど絶望した攻撃が、たった一枚の魔法障壁で、完全に止められていた。
コメント欄も騒然となる。
誰も見たことのない魔法。
誰も知らない領域。
世界中が、この瞬間を目撃していた。
そして、切り札を防がれたアビスロードは、最後の突撃を選ぶ。
「あらあら」
アイリーンさんは小さく笑う。
「そろそろ終わりですね」
杖の先端へ炎が集束していく。
圧縮された熱量が球となり。
やがて六つに分裂した。
「ハヤトさん」
「はい!」
「少し避けてくださいね」
「……え?」
「大丈夫です」
にっこりと笑顔のままで……
「あなたなら避けられますから」
嫌な予感しかしない。
「ブレイジング・スフィア」
六つの紅蓮の光球が、一斉に飛び出した。
それとぼぼ同時に俺は悟る。
――これ、俺にも飛んでくるやつだ。
「やっぱりぃぃぃぃぃぃっ!!」
俺は神速を全開にし、光球の雨から逃げ回るのだった。
六つの紅蓮の光球は、生き物のように空中を舞っていた。
いや、生き物どころではない。
獲物を狩るためだけに生み出された意思ある兵器。
そんな表現がぴったりだった。
「うわわわわわっ!?」
一つの光球がアビスロードへ向かって急旋回したかと思えば、その軌道上にいた俺のすぐ脇をかすめていく。
髪が熱風で揺れる。
たったそれだけで全身から嫌な汗が噴き出した。
掠っただけで終わる。
本能がそう告げていた。
「避けろ、俺ぇぇぇぇ!!」
《神速》を限界まで発動。
世界が再びゆっくり流れ始める。
六つの光球は、それぞれの軌道を一瞬で見極め、壁を蹴り、柱を踏み、天井近くまで跳び上がる。
まるで命綱なしで弾幕ゲームをやらされている気分だった。
「うおっ!? そっちも来るのかよ!」
右へ、左へ、そして後ろへ。
止まれば死ぬ。
少しでも判断が遅れれば蒸発する。
そんな極限状態にもかかわらず、俺は必死にカメラだけはアビスロードへ向け続けた。
配信者として、この瞬間だけは絶対に逃したくなかった。
〈神速さんも化け物なんだけど!?〉
〈普通の人なら一秒で死んでるぞ!〉
〈実況しながら避けるなwww〉
〈いや、これ世界最高峰の戦闘配信じゃね?〉
〈カメラワーク神すぎる!!〉
コメント欄は完全にお祭り騒ぎになっていた。
一方――アビスロードは悲鳴を上げ続けていた。
「グオオオオオオオオッ!!」
一つ目の光球が腹部を貫く。
二つ目が右肩を焼き飛ばす。
三つ目は脚を消し去り。
四つ目、五つ目、六つ目が追い打ちをかける。
逃げても、防いでも、避けても。
光球は意思を持つように軌道を変え、執拗に追い続ける。
まさしく処刑だった。
「さて――」
アイリーンさんだけは、その惨状を眺めながら穏やかに微笑んでいる。
まるで散歩の途中で花でも眺めているような表情だった。
「そろそろ終わりですね」
その言葉と同時に。
六つの光球が一斉にアビスロードへ収束した。
凄まじい爆炎が舞い上がり、視界が真っ白に染まる。
熱風がボスフロア全体を吹き抜けた。
俺は《神速》で何とかその衝撃をやり過ごしながら、カメラだけは決して逸らさない。
やがて炎が晴れる。
そこには――何も残っていなかった。
漆黒の巨人は跡形もなく消滅していた。
数秒遅れて、ダンジョン全体が震え始める。
ボス討伐の事実を世界が認識した瞬間だった。
「……終わった?」
俺は肩で息をしながらその場に座り込む。
《神速》を連続使用した疲労もある。
何より、精神的に限界だった。
対するアイリーンさんは汗一つかいていない。
「お疲れさまでした、ハヤトさん」
「い、いや……お疲れさまなのはアイリーンさんですよ……」
「そうですか?」
首を傾げる。
本当に自覚がないらしい。
俺は恐る恐る尋ねた。
「最後の魔法なんですけど……」
「はい?」
「ボルカニック・レイザーだけでも倒せたんじゃ……」
「あっ、気付いちゃいました?」
悪戯が成功した子どものように笑うアイリーンさん。
「ハヤトさん、本当に私の戦闘を配信できるのかなって、ちょっと試してみたくなりまして」
「……試した?」
「はい。わざと一番避けにくい魔法を選びました」
「…………」
「ちゃんと全部避けられましたね!」
満面の笑み。
俺は思わず頭を抱えた。
「いや、死ぬかと思いましたよ!」
「あはは、ごめんなさい」
全然悪びれていない。
この人、本当に天然なんだな……。
〈アイリーンさん自由すぎるwww〉
〈神速さん実験台だったwww〉
〈でも全部避ける神速さんもおかしい〉
〈この二人、相性良すぎるだろ〉
〈伝説のコンビ爆誕じゃん〉
コメント欄も爆笑の渦に包まれていた。
その時だった。
ダンジョン全体へ響き渡るような重厚なアナウンスが流れる。
『おめでとうございます』
『Sランクダンジョン《深淵の回廊》が踏破されました』
『踏破者は――』
『アイリーン・スカーレット』
『草薙ハヤト』
「え……俺も?」
思わず素っ頓狂な声が漏れる。
俺、撮影してただけなんだけど。
「共同踏破扱いなんですね」
アイリーンさんは嬉しそうに拍手した。
「良かったですね、ハヤトさん」
「いや、俺ほとんど何も……」
「そんなことありませんよ」
優しく微笑みながら言う。
「あなたがいなければ、この戦いを世界中の人が見ることはできませんでした。」
その一言に、少しだけ胸が熱くなる。
戦っていない。
それでも、自分にも役割はあったと、そう思えたからだ。
〈神速さん、おめでとう!!〉
〈初踏破配信とか歴史に残るだろ!〉
〈同接八万人突破!!〉
〈伝説の瞬間をリアルタイムで見れてよかった!〉
コメントは止まることなく流れ続ける。
そして、アナウンスはまだ終わっていなかった。
『それではこれより、《深淵の回廊》踏破者へ、特典報酬の授与を開始します――』
ボスフロア全体が淡い光に包まれ始めた。
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