服喪
公孫瓚……幽州の将軍。騎射に優れた者を厳選した精鋭騎馬軍、白馬義従を率いる。
田豫……公孫瓚に仕官した若者。
劉虞……幽州の牧(長官)。漢の太尉(国防長官)であり、皇族。
袁紹……冀州の牧。名門の出身で、公孫瓚の仇敵。
王門……公孫瓚に仕える将校。
趙雲……常山郡から公孫瓚の許に駈けつけた義勇軍の長。無双の槍の名手。
劉備……公孫瓚の学友。公孫瓚の許に身を寄せる流浪の軍の長。青州平原国の相に就く。
関羽……劉備の義弟。長髯を備える。青龍偃月刀を操る豪傑。
張飛……劉備と関羽の義弟。虎髭の主。蛇矛が得物の猛者。
田楷……公孫瓚が任命した青州刺史(監察官)。
廉正……公孫瓚が派遣した援軍の歩兵長。
曹操……兗・豫の二州に蟠踞する群雄。
陶謙……徐州の牧。
「趙雲が率いた騎馬軍は、間違いなく戦力になるぜ」
にやりと笑った張飛は、趙雲に首を回した。
背筋を伸ばし、あぐらをかいていた趙雲が、微笑した。
「田豫にも、統率力と戦況を見る目がある。将来、有望な若者だ」
田豫に微笑んだ関羽が、長髯をしごいた。
「か、関羽どの……」
照れ笑った田豫は、関羽の盃に酒を注いだ。まんざらでもないのか、どこか誇らしげだった。
「それにしても劉備よ、平原の相に落ち着いたはいいが、これからどうするつもりだ? 今の身分じゃあ、天下に号令を轟かせるのは至難だぜ?」
ひとつ、大きな嘆息をした張飛が、頭をかいて劉備を見遣った。
「張飛の言うことにも一理ある。各地に割拠する群雄と並び立つには、拠る土地が不可欠だ。それに、地盤を得たとしても、戦に強いだけは、民を安んじることはおぼつかぬ。政に精通する者も必要となってくる」
酒をすすった関羽は、劉備に向き直ると、目を細くした。
「おめえは、帝と同じ劉氏だ。都に出向き、遠縁をうそぶいて、朝廷を牛耳るって手もあるんじゃねえか?」
顎をなでた張飛が、不気味に笑った。
「名もない劉備が朝廷に出向いたところで、乱世が鎮まるとは思えぬ。それでは、我らの志を遂げたことにはならぬぞ、張飛」
「わかってるよ。ただ、このままで、いいわけじゃねえだろう?」
赤い目をした張飛が、天井を見上げた。
微笑を浮かべた趙雲が、劉備に視線を移した。
田豫は、面々の空いた盃に酒を注ぎ入れた。己も盃を一息にあおると、端座して劉備の言葉を待った。
にんまりと笑った劉備は、右の人差し指を天井へ向けた。
「天が見ているさ」
「あん?」
たちまち、張飛の面貌に怪訝の色が浮いた。
「我らの志を、天が見過ごすはずがない。きっと、我らに、いい風を吹かせてくれる」
「はっはっは」
高笑ったのは、関羽だった。
「また根拠のねえ高言かよ! 少しは、まじめに考えろい!」
張飛は声振を荒げた。臍を曲げたように、一息に盃を呑み干した。
物静かな趙雲が、珍しくも、くすくすと笑っている。
張飛の反応に、劉備は、呵々と大笑した。
燭台の炎が、踊るように揺れていた。
田豫は、希望に満ちた眼眸で、集った傑物たちを見回した。
――私も、志と、劉備さまと、共に。
田豫は、盃になみなみと酒を注ぎ入れると、決意と一緒に、勢いよく呑み下した。ほどよく回り始めた酔いが、心地よさげだった。
公孫瓚の白馬義従が、袁紹に敗れた――。
その報せが劉備の許にもたらされると、劉備にも予期せぬ事態が起きた。
「私の身内は、兄しかおりませぬ。その兄が逝去したとの報せが届きました。故郷に還り、喪に服しとうございます」
劉備の前で膝を折った趙雲は、真摯な瞳で劉備を見上げた。
「て、てめえ……本気で言ってやがるのか、趙雲?」
声を荒げたのは、役所の執務室で劉備の脇に侍った張飛だった。
「口を慎め、張飛。我らがとやかく言うことではない。趙雲が決めることだ」
「チッ」
臥蚕の眉根をひそめた関羽が、低い声調で張飛をたしなめると、舌打ちした張飛は、腕組みしてそっぽを向いた。
「趙雲どの……」
心配げな面持となった田豫は、心拍数が上がるのを覚えた。趙雲が去れば、志の実現は、遅れを取るかもしれない。
劉備は、唯、趙雲の双眼を瞶め返すばかりだった。
――服喪を機に、私の許から去ろうとしている? 否、公孫瓚どのを見限った。
劉備は、趙雲を立ち上がらせると、その手を固く握った。眉間に皺を寄せ、瞑目した。
「私と共に、大事を成し遂げる者の中には、すでにお主の名もあるぞ、趙雲……」
田豫には、劉備のみならず、関羽と張飛も、見ていられないほど意気消沈しているのがわかった。
すると――。
趙雲は、握り返した劉備の手を持ち上げた。
「この趙雲、劉備さまのご恩徳に背くなど、絶対にありませぬ」
その言葉に、劉備は刮目した。眼前には趙雲の微笑があった。
――還ってくる。公孫瓚どのが衰亡すると試算したか。なるほど、この男、仁義もある。
劉備は、趙雲の微笑から真意を読み取った。
「さらば」
趙雲は、劉備の手を離した。関羽と張飛に丁寧な一礼を施すと、田豫に向き直った。
「いつか、また会おうぞ、田豫」
趙雲は、さっと、背を向けると、執務室を後にした。
「本当に、いいのかよ、劉備?」
そっぽを向いた張飛が、再び声律を荒げた。
劉備は、何も語らなかった。
関羽でさえ、沈黙を守った。
田豫は、胸中に大きな穴が開いたような寂しさを覚えた。
趙雲は、劉備の許を去った。
それからしばらくすると、劉備の許に危急の使者が訪れた。青州刺史、田楷の遣いだった。
時は乱世である。袁紹が割拠する冀州の南、兗・豫の二州に蟠踞した群雄が、隣国の徐州に侵攻した。
曹操――。その群雄の名だった。
徐州の牧、陶謙は、たまらず北に隣接する青州の刺史、田楷に救援を求めた。
そして、陶謙と公孫瓚は、懇意の間柄だった。公孫瓚の配下である田楷は、陶謙の要請を無視できなかったのである。
しかし、己ひとりでは心許ない。そこで白羽の矢を立てたのが、先の戦で獅子のごとき奮迅を見せた劉備だった。
「田楷さまの副として……至急……陶謙どのの救援に同行しては……くれまいか?」
肩で息をするような田楷の使者は、乱れた呼吸もそのままに、劉備へ懇願した。
以前、借り受けた三千の兵と、趙雲が率いた騎馬隊は、すでに公孫瓚の許に戻っている。今や平原には、劉備の手勢、三百ほどの戦力しかなかった。
しかし、である。




