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志と盾と

公孫瓚《こうそんさん》……幽州の将軍。騎射に優れた者を厳選した精鋭騎馬軍、白馬義従を率いる。

田豫《でんよ》……公孫瓚に仕官した若者。

劉虞《りゅうぐ》……幽州の牧《ぼく》(長官)。漢の太尉(国防長官)であり、皇族。

袁紹《えんしょう》……冀《き》州の牧。名門の出身で、公孫瓚の仇敵。

王門《おうもん》……公孫瓚に仕える将校。

趙雲《ちょううん》……常山郡から公孫瓚の許に駈けつけた義勇軍の長。無双の槍の名手。

劉備《りゅうび》……公孫瓚の学友。公孫瓚の許に身を寄せる流浪の軍の長。

関羽《かんう》……劉備の義弟。長髯を備える。青龍偃月刀を操る豪傑。

張飛《ちょうひ》……劉備と関羽の義弟。虎髭の主。蛇矛が得物の猛者。

田楷《でんかい》……公孫瓚が任命した青州刺史《せいしゅうしし》(監察官)。

廉正《れんせい》……公孫瓚が派遣した援軍の歩兵長。

 前方に、小さな老婆を背負った、たくましい体つきの壮士が闊歩しているのが見えた。劉備《りゅうび》だった。

「劉備さま!」

 田豫《でんよ》は、地を蹴って駈け寄った。

「おお、田豫か」

 悪びれた様子もなく、劉備は、にことした笑みを田豫に晒した。

 田豫は、背負われた見知らぬ老婆と劉備を交互に見遣った。

「どうされたというのです?」

「ん? こちらのお婆さんは、足が悪くてな。大きな荷を抱え、歩くのに難儀していた。こうして、家まで送り届けている」

「ありがたや、ありがたや」

 劉備に背負われた老婆は、拝むようにして感謝していた。

 田豫は、老婆の腰を持ち上げる劉備の後ろ手を見た。一抱えほどの荷を持っている。

「すぐに参ると言っていたではありませぬか。それがどうして?」

 劉備が耕していた畑とは、随分と離れたところを歩いていた。訝しんだ田豫は、劉備に訊かずにはいられなかった。

 田豫を一瞥した劉備は、柔和な笑みとなって前に向き直った。

「困っている者を前にすれば、援《たす》けるのが人というものだ。ましてやこのお婆さんは、人生の先達。敬意を払いこそすれ、見過ごすわけにはいかない」

 西日を受けた劉備の影が、長く伸びていた。

 田豫は、劉備の横顔に見入った。政務のことなど頭にない、朗らかな顔をしていた。田豫は、己の胸中に、何かが点ったのを感じた。

 陽も落ち、宿舎に戻った劉備の許に、関羽《かんう》、張飛《ちょうひ》、趙雲《ちょううん》が集ってきた。劉備は、自分の部屋に関羽たちを招き入れ、他愛もない話をしながら酒食を摂るのを好んだ。夜更けまで会話が盛り上がり、皆、同じ部屋で眠りこけてしまうことも多かった。

 もちろん、田豫もその中のひとりである。酌をしながら劉備たちの会話に耳を傾けているだけでも、胸が熱くなるものだった。

「俺たちはな、生まれた月日は違うが、同じ日、同じ時に死ぬことを誓ったんだ……」

 酔いが回り始め、饒舌になった張飛は、いつものように同じ話から始めた。

「劉備と関羽、そして、この張飛さまは、義兄弟の契りを交わした仲ってことだ」

 満足げな張飛は、盃に注がれた白濁酒を一息に呑み干した。

 酒甕を持った田豫が、それを見計らって、張飛の空いた盃になみなみと酒を注ぎ入れている。

「劉備と出会わなければ、俺も賊徒となって、その辺を暴れ回っていたに違えねえ」

 再び盃を空けた張飛は、げらげらと笑ってみせた。

 微笑を浮かべ、目蓋を閉じた劉備は、盃を口に運ぶと、舐めるようにして呑んだ。

「関羽どのは、劉備さまと出会われるまで何をしていたのです?」

 張飛の盃に酒を注いだ田豫は、良識ある関羽に訊ねた。劉備、関羽、張飛の中では最年長だが、義兄弟としては次兄だという。

「張飛の前で偉そうなことは言えぬが、塩を専門で扱う闇商人の護衛役をしていた。ならず者と何ら変わらない」

 長髯をしごいた関羽は、懐かしそうに語った。

 微笑を浮かべた趙雲は、端正な佇まいで静かに酒をたしなんでいる。

「俺への当てつけか、関羽?」

 声を大きくした張飛に、関羽は、にやりと笑った。

 張飛は、得意げになって続けた。

「俺は、巷でも名の知れた、ならず者だったぜ。ある時、無頼の輩といざこざを起こしちまってな。そいつらを叩きのめして、元締めのところに乗り込んでみりゃあ、無頼漢どのも大将は、大言壮語を吐く、とんでもねえ野郎だった」

 虎髭を逆立てたように、不敵に笑った張飛は、劉備を一瞥した。

 瞑目して聞き入っている。微笑を口辺に刷いた劉備は、盃に口をつけるようにして酒を含んだ。

「私のところにも、大風呂敷を広げる者が参ったぞ」

 盃をあおった関羽は、眼前の張飛をのぞき込むようにした。

 田豫が、関羽の空いた盃に酒を注いだ。これまでとは違う話の展開に、興味がそそられたようだった。

「私の前に現れるなり、胸中に点った炬火を、このまま燻《くすぶ》らせているつもりか? 大炎を立ち昇らせてこそ、漢《おとこ》ではないのか――と、うそぶきおった」

 関羽は、長髯をなでながら仰け反ると、劉備に微笑を向けた。

 劉備の目蓋が開いた。

「私の目には、二人とも薄い光をまとっているように見えた」

 劉備は、盃を一息に呑み干すと、静かに語り出した。

「関羽と張飛――。一目見たその時から、この二人とならば、大事は成せると直感した」

 双瞳を輝かせた田豫は、劉備に注視すると、次ぐ言葉を待った。

 盃を胸元まで運んだまま、趙雲も冴えた眼眸《まなざし》を劉備に向けた。

「私は、関羽と張飛に志を語り、それを共にした」

「……志?」

 酒甕を持ったままの田豫は、純朴な目で劉備を瞶《みつ》めた。

 田豫を見返した劉備は、こくりと、うなずいた。

「乱世を鎮め、民に安寧をもたらし、天下を泰平に導く――。我ら義兄弟は、その志を胸に、戦乱に身を投じている」

 田豫の目が、大きく見開かれた。固唾を呑む音が聞こえた。

 穏やかに笑った趙雲は、酒を口に含んだ。

 劉備は、座のひとりひとりと視線を合わせながら続けた。

「私は、豪傑の関羽と張飛、つまり、龍虎の剣を手に入れた。そして今や、趙雲という槍と、田豫という盾が私の許に集った。これほど嬉しいことはない」

 劉備は、破顔となった。

 ――志。私が、劉備さまの、盾。

 劉備に魅かれたような田豫が、そそくさと劉備の盃に酌をした。


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