稀有
公孫瓚……幽州の将軍。騎射に優れた者を厳選した精鋭騎馬軍、白馬義従を率いる。
田豫……公孫瓚に仕官した若者。
劉虞……幽州の牧(長官)。漢の太尉(国防長官)であり、皇族。
袁紹……冀州の牧。名門の出身で、公孫瓚の仇敵。
王門……公孫瓚に仕える将校。
趙雲……常山郡から公孫瓚の許に駈けつけた義勇軍の長。無双の槍の名手。
劉備……公孫瓚の学友。公孫瓚の許に身を寄せる流浪の軍の長。
関羽……劉備の義弟。長髯を備える。青龍偃月刀を操る豪傑。
張飛……劉備と関羽の義弟。虎髭の主。蛇矛が得物の猛者。
田楷……公孫瓚が任命した青州刺史(監察官)。
廉正……公孫瓚が派遣した援軍の歩兵長。
「行くぞ――‼」
「突撃だ――‼」
「…………」
劉備に反応したように、関羽の左翼と張飛の右翼が、猛然と本陣目がけて急行した。
趙雲の騎馬隊も反転すると、錐行の陣となって本陣に突撃の構えを見せた。
怒濤のごとき自軍の動きに驚いた田豫は、遅れを取った。駈け出すのが一歩遅れた。
荒波のような劉備軍に、袁紹軍の本陣はたちまち総崩れとなった。蜘蛛の子を散らしたように、敵兵が退散していく。
「追うな‼ 追い討ちは禁ずる――‼」
劉備の声音が響き渡った。
その傍らには、いつの間にか関羽と張飛が寄せている。
少し遅れて、趙雲も駈けつけた。
「怪我はないか、趙雲?」
劉備の目が、すっと細くなった。
大きく目を見開いた趙雲は、えくぼを作ると、うなずいた。
「よし‼ 勝ち鬨だ――‼」
張飛が意気揚々と言い放つと、戦場には、鯨波が響き渡った。
「何なんだ? この援軍は……?」
驚愕の表情を晒した田楷が、櫓の上から繰り返していた。
どっと、疲労が襲ってきたようだった。先ほどまで何ともなかった呼吸が荒くなった。田豫は、両手に視線を落とした。ぬるぬるとした血にまみれていた。その目線を劉備に向けた。
黒光りする甲冑をまとい、勇壮な笑みが浮いている。左右に猛将を侍らせたその姿は、稀代の英雄に映った。
田豫の顔は、ほころんだ。
その田豫の姿を静かに見据えるひとりの巨漢があった。槍を手にしている。歩兵長の廉正だった。
公孫瓚は、劉備の戦功を朝廷に報告した。
劉備は、この功績をもって、青州平原国の相(県の長官)に任命されるに至った。行政の管理、監督者である。
これにより、朝廷は、劉備を臣として認めたことになる。
平原に着任した劉備は、治安を回復させるため、関羽と張飛に軍を率いさせ、周辺の賊徒を討伐した。趙雲には、数騎を引具させ、城郭の警備に当たらせた。民の生活を改善するため、不誠実な役人を追放し、善良な官吏を就けた。劉備は、乱世の相として、実直に職務を遂行した。
平原の統治者となった劉備は、間もなく民草の支持を得た。しかし、それは、劉備が敷いた善政の影響だけではなかった。
温かな風がそよぐ、麗らかな春の日のことだった。
「劉備さま! 劉備さま!」
春の風が鼻をくすぐる。それをよそに、田豫は、口許に手を携え、声を張った。落ち着きを失ったように、繰り返し辺りをきょろきょろと見回していた。
役所に劉備の姿があることは少なかった。いたと思えば、ふらりとどこかへ消えている。劉備の秘書官のような任を与えられた田豫は、いつも劉備の姿を探し歩く塩梅だった。
しかし、田豫は、劉備の動向に目星をつけるようになった。
振り被った鍬を勢いよく振り下ろし、畑を耕している。数人の民草に混ざり、土にまみれていたのは、劉備だった。笑みを浮かせ、談笑している。
「いい畑には、いい作物が実る。皆で耕せば、早くいい畑となろう」
嬉しそうに畑を耕す劉備に、農夫たちは困り顔を見合わせた。
「り、劉備さま、手伝ってくれるのはありがたいが、これは、我ら農民の仕事じゃて……」
「左様じゃ。劉備さまには、早う戦のない世が訪れるよう尽力してもらわにゃ」
「はっはっは」
心配の目を向けられた劉備は、大笑すると、鍬を振り下ろした。
「土から離れて、人は生きられぬ。土と向き合ってこそ学ぶことも多い。戦のない世にするためには、皆の苦労も知らぬといかん。それに……」
劉備は手を止めると、辺りの農夫たちを順に見回した。
「苦労して作った畑の実りは、格別の味だからな」
劉備は、破顔した。
それを眼前にした農夫たちは、素っ頓狂な顔を晒した。すぐさま、一同の笑い声が辺りに響いた。農夫たちは皆、劉備を手伝うように、畑を耕し始めた。
「劉備さまのようなお方が、平原にきてくれて、ほんに、よかったわい」
「ああ。賊徒に怯えることもなく、畑を耕せる」
「鍬を持つ姿は、まだ様になっておらぬがのう」
「むむ⁉ そんなことはあるまい――⁉」
目を大きくした劉備に、農夫たちは再び笑いに包まれた。
その声色が、春の風に乗り、劉備を探していた田豫の耳にまで届いた。早足となると、辻を曲がり、痩せた畑の広がる場所に出た。
――稀有なお人だ。
劉備の姿を認めた田豫は、自然と笑みになった。
「劉備さま! お目通し願いたい書簡が、山積しております!」
「応! 一仕事終えたら、すぐに参る!」
片手を上げて振り向いた劉備が、田豫に大声を放った。
田豫は、劉備に向かって嘆息した。しかし、その眼眸には、尊敬の念が込められていた。
役所に戻った田豫は、雑務に追われた。待てども、待てども、劉備が戻る気配はなかった。
陽が、西に沈みかけている。
心配が鎌首をもたげた田豫は、再び役所を飛び出すと、劉備を探し回った。
「劉備さま! 劉備さま!」
声を上げながら、城郭の中を駈け巡った。
行き違う民たちは、いつもの田豫の苦労に微笑みを向けた。
それをよそに、田豫が、連なる軒の角を曲がった折だった。




