御旗
公孫瓚……幽州の将軍。騎射に優れた者を厳選した精鋭騎馬軍、白馬義従を率いる。
田豫……公孫瓚に仕官した若者。
劉虞……幽州の牧(長官)。漢の太尉(国防長官)であり、皇族。
袁紹……冀州の牧。名門の出身で、公孫瓚の仇敵。
王門……公孫瓚に仕える将校。
趙雲……常山郡から公孫瓚の許に駈けつけた義勇軍の長。無双の槍の名手。
劉備……公孫瓚の学友。公孫瓚の許に身を寄せる流浪の軍の長。青州平原国の相に就く。
関羽……劉備の義弟。長髯を備える。青龍偃月刀を操る豪傑。
張飛……劉備と関羽の義弟。虎髭の主。蛇矛が得物の猛者。
田楷……公孫瓚が任命した青州刺史(監察官)。
廉正……公孫瓚が派遣した援軍の歩兵長。
曹操……兗・豫の二州に蟠踞する群雄。
陶謙……徐州の牧。
「参ろう」
劉備は、二つ返事だった。
その劉備に侍った関羽は、悠々と長髯をしごいた。
肩を回した張飛からは、ごりごりと音が鳴った。
執務室を飛び出した田豫は、戦の準備に取りかかった。いい風が吹き込んでくることを願った。
濛々とした砂塵を巻き上げ、青州斉国の臨湽城に急行した劉備軍は、田楷に快く迎えられた。
「よく来てくれた、劉備。お前の風評は、この青州まで届いている。この動乱の世の平定を御旗に掲げているとか?」
田楷は、同年代の劉備に、小さな双眸を輝かせた。
「そのような、大それたものではございませぬ」
劉備は、慇懃に拱手してみせた。
「殊勝な奴だ。だが、その意気、嫌いではないぞ。到着したばかりで悪いが、徐州へ急ごう。寄せ手の曹操は、どうやら並大抵の対手ではないようだ」
笑みを浮かべた田楷の面貌が、一挙に曇った。
劉備、そして、その両脇に侍った関羽と張飛が、互いに怪訝の面持を向け合った。
少し離れたところから、その様子を眺めていた田豫は、胸騒ぎを覚えた。
向かう先の空には、暗雲が立ち込めている。
劉備軍三百を含む五千の田楷軍が進発した。
行軍を開始して三日目に入ると、風の匂いが変わった。風が血の匂いを含んでいる。
北の辺境でも嗅いだことのない風の匂いに、徒歩の田豫は、顔を歪めた。体に奔ったのは、戦慄だった。前を行く劉備たちの背からも、緊張の色が見て取れる。
陶謙が籠る郯城に進路を取ると、進むにつれ、異様な光景が原野に広がっていた。
累々と死屍が斃れ伏している。それは、陶謙の兵たちばかりではなかった。何ら罪のない老若男女の民草、鶏や犬でさえ斬殺されている大虐殺のあり様だった。
――これが、曹操。
眼前の光景に、渋面を晒した劉備は歯噛みした。地に目を向ければ、無惨な子どもたちの屍骸が幾つもあった。無念そうな劉備は、その子どもたちの屍から目を背けた。
田豫は、劉備の視線を追った。不動の志を掲げる劉備の心中を察した。田豫は、胸中に炬火が点ったのを覚えた。
次第に喧噪が聞こえてきた。進むにつれ、それは大きくなった。郯城が間近に見える原野に大きく広がり、交戦していたのは、曹操と陶謙の軍勢だった。数こそ大差はないが、陶謙軍の劣勢は、顕著だった。
「曹操は、徐州各地の城を同時に襲っている。まずは、陶謙どのの救出が最優先だ。この遺体の山を築いた曹操軍と戦れるか、劉備?」
馬上の田楷は、厳しい顔つきで、轡を並べた劉備に訊いた。
いきり立った劉備は、田楷の声を聞くともなしに、剣を振り上げ大音声を上げた。
「行くぞ‼ 曹操の兵どもを斬り捨てろ――‼」
「応――‼」
劉備が引具した無頼漢の手勢が、速度を増した。
劉備は、曹操の兵の群れに身を躍らせた。剣を振るたびに、手や首が刎ね飛んだ。
関羽の青龍偃月刀が唸りを上げると、張飛の蛇矛がほとばしった。
「劉備……。民を思う気持ちが、恥ずかしげもなく表に現れているぞ。嫌いではないがな……」
田楷は、先駈けた劉備軍を見遣り、不敵に笑った。
「劉備軍に後れを取るな! 曹操軍を追い返す!」
五千の田楷軍が、勢いを増して原野に散った。
戦乱の中、田豫は身を低くすると、弓に矢をつがえた。狙いを定めたのは、騎乗した指揮官のような兵だった。矢を引き絞り、びゅうっと、放った。
宙を斬った田豫の矢は、どっと、音を立て、指揮官のような兵の首を貫いた。その兵は、木偶のように、力なく馬上からくずおれた。
佩剣を引き抜いた田豫は、乗り手のない空馬まで駈け寄ると、それに飛び乗った。再び得物を弓に変えると、馬を走らせながら矢を引き絞った。次々と放たれる矢は、どれも曹操の兵に突き立った。
劉備軍の猛攻を前に、田楷軍も勢いづいた。劉備たちを援護するように、後方から押し上げている。
すると――。
寄せる波が返すように、曹操の兵たちが退き始めた。
――攻守の切り替えが迅い。相当に戦慣れしている。用兵の手練者が潜んでいるな。兵を率いる将がそれか?
矢を放った田豫は、馬上から曹操軍の動きに目を凝らした。
見事な退き際だった。盾兵を前に出し、大小の塊となって退いている。これを追えば、盾兵の隙間から別の兵が飛び出し、一網打尽にされるだろう。
田豫が思考を巡らせた、その刹那――。
馬上の田豫の眼前に、疾風のような一矢が飛来した。
はっとした田豫は、首をひねった。その矢は、風を斬る颯音を立て、田豫の右耳をかすめ飛んだ。普通より長い矢に見えた。
たちまち目を剥いた田豫の全身からは、一挙に汗が噴き出した。
――狙撃手も潜んでいた。
驚愕の表情となった田豫は、退く曹操軍を見送るばかりだった。
「関羽! 張飛! 深追いするな!」
戦慣れした曹操軍の脅威を、劉備も肌で感じ取ったのだろう。追撃の姿勢を見せることはなかった。
それにならったように、田楷軍の進撃も止まった。
戦場には、数多の斃れた兵が沈黙していた。




