↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

40/44

罪と罰

程昱《ていいく》……曹操《そうそう》に仕える初老の謀士。田豫の育成を委ねられる。

田豫《でんよ》……流浪の英雄、劉備《りゅうび》に憧れを抱く曹操の臣。

曹操《そうそう》……華北を統べる群雄。田豫の才覚を見抜く。

廉正《れんせい》……田豫の志に共鳴する腹心。実直な性質《たち》の槍遣い。

烏倫《ウルン》……田豫の従者。鮮卑《せんぴ》人と漢人の混血。

公孫琳《こうそんりん》……田豫が救出した公孫瓚の四女。衛沈《えいちん》に師事し、田豫の許へ馳せ参じる。

衛沈《えいちん》……北の辺境を往来する医の徒《と》。田豫の草庵を預かる。公孫琳の医術の師。

閻柔《えんじゅう》……護烏丸校尉。北方異民族に慕われる陰の指導者であり、烏倫の育ての親。

阮阜《げんふ》……荊州南陽郡西鄂県の近隣で跋扈する賊徒のひとり。

阮奕《げんえき》……阮阜の若妻。


 阮阜《げんふ》は、さっと、膝を突き、地に額をつけて低頭した。それにならったように、五百の賊徒たちも一斉に平伏した。

「すまねえ! 俺たちは、あんたを見くびっていた。県令なんて、皆、同じだと思っていた。あんたのような県令がいるなんて、知らなかったんだ!」

 田豫《でんよ》は、冷然と阮阜を見下ろした。

「勝手なことだってのは、わかってる。けどよ、やっぱり、皆、家族と一緒に過ごしてえんだ。頼む、田豫さま。もう悪さはしねえ。俺たちを、この城郭《まち》の中で暮らすことを、許しちゃくれねえか?」

 首を立てた阮阜は、澄んだ瞳で田豫を見上げた。

「何か、勘違いしているようだな……」

 冷ややかな眼光を帯びた田豫は、阮阜を瞶《みつ》め返した。眉間に皺を寄せた顔を上げると、居並んだ賊徒に大声を発した。

「根城に射込まれた矢に、木札が結わえつけられていただろう? お主らは、その木札に何と書いてあったか、わからぬのか?」

 廉正《れんせい》と烏倫《ウルン》、そして、公孫琳《こうそんりん》も、厳しい眼光を賊徒たちに向けていた。

 大きく息を吸った田豫は、咆えるように言い放った。

「降伏すれば、罪は問わぬ――‼」

 面を上げた賊徒たちの目が、一斉に引き剥かれた。

 ――本当だったのか。

 疑い深くなっていた賊徒たちは、木札に記された文言を、今の今まで信じていなかったのである。

 田豫は、阮阜に視線を落として、破顔した。

「よく、還ってきてくれた」

 瞳を泪で潤ませた阮阜は、地に額を打ちつけるようにして、再び低頭した。

「も、申しわけ、ございませんでした、田豫さま――」

「田豫さま――」

「県令さま――」

 五百の賊徒、否《いや》、この城郭《まち》の若人たちが、一様に平伏した。

「だから、木札を結わえた矢を根城に射込むだけでは、誰も信用せんと言ったではないか」

 歩を寄せ、小声で田豫に愚痴ったのは、渋面の廉正だった。

「本当に、一時はどうなることかと、肝が冷えました」

 安堵したような公孫琳が、えくぼを作った。

「まあ、よいではないか。これで、この城郭は、あるべき姿に戻るのだから」

 顎髯をなでながら、満足げに言った田豫に、烏倫は、にこにこと微笑んだ。

 わあっと、家々から飛び出してきたのは、賊徒だった若人たちの家族だった。どれも久方振りの再会を喜んでいた。

「あんた!」

「奕《えき》!」

 夫の阮阜を探し当てた妻の阮奕《げんえき》が、赤ん坊を間に、ひしと抱きしめ合った。

「よし、哨戒《しょうかい》隊! 引き続き、警戒を怠るな! もうじき夕刻だ。望楼《やぐら》で篝《かがり》を焚くことも忘れるな!」

「はっ!」

「残りの者は、調練の続きだ! お前たちがこの城郭を護るのだという気概を、民に見せつけてやれ!」

「はっ!」

 廉正の号令に、兵たちは、きびきびと動いた。

 陽が西に沈み始めても、風に温さを感じる季節だった。

 望楼では、篝が焚かれ始めた。四方からの轟音と共に閉じられたのは、三重の堅牢な城門だった。城壁の上では、哨戒隊の兵が、等間隔で居並び、外敵に備えている。

 城門は堅く閉じられ、城郭は兵に護られている。家族がそろった西鄂《せいがく》の民たちは、安心して深い眠りに就くことができた。


 労働力が戻った城郭では、田畑が迅速に耕された。農耕に傾注するには遅すぎた。秋の実りに期待は持てなかった。だが、その期待を大きくして、翌年に持ち越せるほど、田畑は広がった。

 寒さを感じる晴れた日だった。

 鈍い音を立て、城門が開いた。姿を現した者は、肩に鍬《くわ》を担いでいる。薄汚れた袍衣の姿で、城門をくぐり、城郭の外に出たのは、田豫だった。

「城郭の外まで田畑を広げれば、田租を納めても優に民へ行き渡る収穫量となるぞ」

 腰に手を当てた田豫は、微笑を浮かべ、昂然と原野を見渡した。

「私も手伝いますよ、田豫さま」

 田豫の背に声をかけたのは、烏倫だった。鍬を肩担ぎしている。振り返った田豫に、にこと微笑んだ。

「水臭いな。どうして我々を誘わない、田豫?」

 烏倫に続き、城門をくぐったのは、鍬と鋤《すき》を手にした廉正と公孫琳だった。

「これから、兵たちの調練ではないのか、廉正?」

「調練なら、奴らだけでもできる。もうここの兵は、以前までの腑抜けた兵ではない」

「私は、薬草を探すついででございます」

 笑みを浮かべた公孫琳の懐から出てきた栗鼠《りす》が、公孫琳の肩の上に乗った。

 三者に目を細めた田豫は、振り返ると腕を伸ばして説いた。

「あの辺りを耕し、近くの川より水を引けば、相当な田園となろう。そうすれば、西鄂の城郭は、さらに潤う」

 朝陽を受けた田豫の瞳が、輝いて見えた。

「そりゃあ、いい考えだな!」

 田豫たちは、その声音の主を振り返った。

 鍬を肩に預けるようにして持っている。髭を剃った阮阜だった。

 その阮阜の後方から、ぞろぞろと姿を現したのは、城郭の若人たちだった。

「農耕は、俺たちの仕事だぜ、田豫さま」

「お前たち……」

 目を瞠《みは》った田豫に、阮阜は不敵な笑みをさらした。

「県令さまは、指示だけ出してりゃあいい。あとは、俺たちでやる。行くぞ、皆!」

「応――‼」

 どれも賊徒だった面影はなく、小ざっぱりとしている。鍬や鋤を手にした若人たちは、田豫たちの前を通り過ぎ、原野に散った。

「ありがとよ、田豫さま。あんたのお陰で、毎日が平和だ。これくらい、自分たちでやらねえと、罰《ばち》があたるってもんよ」

 阮阜は、未開の原野に挑むような目つきで、田豫の前を過ぎた。

 見渡す限りの若人たちに、廉正が、満足げに頷首している。

 烏倫は、にこにこ笑っていた。

 誰にも悟られぬよう、目頭を押さえたのは、田豫だった。

 それに気づいた公孫琳は、麗しい微笑をたたえた。田豫への想いは、募るばかりだった。

 それから一月も経たずして――。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。