罪と罰
程昱……曹操に仕える初老の謀士。田豫の育成を委ねられる。
田豫……流浪の英雄、劉備に憧れを抱く曹操の臣。
曹操……華北を統べる群雄。田豫の才覚を見抜く。
廉正……田豫の志に共鳴する腹心。実直な性質の槍遣い。
烏倫……田豫の従者。鮮卑人と漢人の混血。
公孫琳……田豫が救出した公孫瓚の四女。衛沈に師事し、田豫の許へ馳せ参じる。
衛沈……北の辺境を往来する医の徒。田豫の草庵を預かる。公孫琳の医術の師。
閻柔……護烏丸校尉。北方異民族に慕われる陰の指導者であり、烏倫の育ての親。
阮阜……荊州南陽郡西鄂県の近隣で跋扈する賊徒のひとり。
阮奕……阮阜の若妻。
阮阜は、さっと、膝を突き、地に額をつけて低頭した。それにならったように、五百の賊徒たちも一斉に平伏した。
「すまねえ! 俺たちは、あんたを見くびっていた。県令なんて、皆、同じだと思っていた。あんたのような県令がいるなんて、知らなかったんだ!」
田豫は、冷然と阮阜を見下ろした。
「勝手なことだってのは、わかってる。けどよ、やっぱり、皆、家族と一緒に過ごしてえんだ。頼む、田豫さま。もう悪さはしねえ。俺たちを、この城郭の中で暮らすことを、許しちゃくれねえか?」
首を立てた阮阜は、澄んだ瞳で田豫を見上げた。
「何か、勘違いしているようだな……」
冷ややかな眼光を帯びた田豫は、阮阜を瞶め返した。眉間に皺を寄せた顔を上げると、居並んだ賊徒に大声を発した。
「根城に射込まれた矢に、木札が結わえつけられていただろう? お主らは、その木札に何と書いてあったか、わからぬのか?」
廉正と烏倫、そして、公孫琳も、厳しい眼光を賊徒たちに向けていた。
大きく息を吸った田豫は、咆えるように言い放った。
「降伏すれば、罪は問わぬ――‼」
面を上げた賊徒たちの目が、一斉に引き剥かれた。
――本当だったのか。
疑い深くなっていた賊徒たちは、木札に記された文言を、今の今まで信じていなかったのである。
田豫は、阮阜に視線を落として、破顔した。
「よく、還ってきてくれた」
瞳を泪で潤ませた阮阜は、地に額を打ちつけるようにして、再び低頭した。
「も、申しわけ、ございませんでした、田豫さま――」
「田豫さま――」
「県令さま――」
五百の賊徒、否、この城郭の若人たちが、一様に平伏した。
「だから、木札を結わえた矢を根城に射込むだけでは、誰も信用せんと言ったではないか」
歩を寄せ、小声で田豫に愚痴ったのは、渋面の廉正だった。
「本当に、一時はどうなることかと、肝が冷えました」
安堵したような公孫琳が、えくぼを作った。
「まあ、よいではないか。これで、この城郭は、あるべき姿に戻るのだから」
顎髯をなでながら、満足げに言った田豫に、烏倫は、にこにこと微笑んだ。
わあっと、家々から飛び出してきたのは、賊徒だった若人たちの家族だった。どれも久方振りの再会を喜んでいた。
「あんた!」
「奕!」
夫の阮阜を探し当てた妻の阮奕が、赤ん坊を間に、ひしと抱きしめ合った。
「よし、哨戒隊! 引き続き、警戒を怠るな! もうじき夕刻だ。望楼で篝を焚くことも忘れるな!」
「はっ!」
「残りの者は、調練の続きだ! お前たちがこの城郭を護るのだという気概を、民に見せつけてやれ!」
「はっ!」
廉正の号令に、兵たちは、きびきびと動いた。
陽が西に沈み始めても、風に温さを感じる季節だった。
望楼では、篝が焚かれ始めた。四方からの轟音と共に閉じられたのは、三重の堅牢な城門だった。城壁の上では、哨戒隊の兵が、等間隔で居並び、外敵に備えている。
城門は堅く閉じられ、城郭は兵に護られている。家族がそろった西鄂の民たちは、安心して深い眠りに就くことができた。
労働力が戻った城郭では、田畑が迅速に耕された。農耕に傾注するには遅すぎた。秋の実りに期待は持てなかった。だが、その期待を大きくして、翌年に持ち越せるほど、田畑は広がった。
寒さを感じる晴れた日だった。
鈍い音を立て、城門が開いた。姿を現した者は、肩に鍬を担いでいる。薄汚れた袍衣の姿で、城門をくぐり、城郭の外に出たのは、田豫だった。
「城郭の外まで田畑を広げれば、田租を納めても優に民へ行き渡る収穫量となるぞ」
腰に手を当てた田豫は、微笑を浮かべ、昂然と原野を見渡した。
「私も手伝いますよ、田豫さま」
田豫の背に声をかけたのは、烏倫だった。鍬を肩担ぎしている。振り返った田豫に、にこと微笑んだ。
「水臭いな。どうして我々を誘わない、田豫?」
烏倫に続き、城門をくぐったのは、鍬と鋤を手にした廉正と公孫琳だった。
「これから、兵たちの調練ではないのか、廉正?」
「調練なら、奴らだけでもできる。もうここの兵は、以前までの腑抜けた兵ではない」
「私は、薬草を探すついででございます」
笑みを浮かべた公孫琳の懐から出てきた栗鼠が、公孫琳の肩の上に乗った。
三者に目を細めた田豫は、振り返ると腕を伸ばして説いた。
「あの辺りを耕し、近くの川より水を引けば、相当な田園となろう。そうすれば、西鄂の城郭は、さらに潤う」
朝陽を受けた田豫の瞳が、輝いて見えた。
「そりゃあ、いい考えだな!」
田豫たちは、その声音の主を振り返った。
鍬を肩に預けるようにして持っている。髭を剃った阮阜だった。
その阮阜の後方から、ぞろぞろと姿を現したのは、城郭の若人たちだった。
「農耕は、俺たちの仕事だぜ、田豫さま」
「お前たち……」
目を瞠った田豫に、阮阜は不敵な笑みをさらした。
「県令さまは、指示だけ出してりゃあいい。あとは、俺たちでやる。行くぞ、皆!」
「応――‼」
どれも賊徒だった面影はなく、小ざっぱりとしている。鍬や鋤を手にした若人たちは、田豫たちの前を通り過ぎ、原野に散った。
「ありがとよ、田豫さま。あんたのお陰で、毎日が平和だ。これくらい、自分たちでやらねえと、罰があたるってもんよ」
阮阜は、未開の原野に挑むような目つきで、田豫の前を過ぎた。
見渡す限りの若人たちに、廉正が、満足げに頷首している。
烏倫は、にこにこ笑っていた。
誰にも悟られぬよう、目頭を押さえたのは、田豫だった。
それに気づいた公孫琳は、麗しい微笑をたたえた。田豫への想いは、募るばかりだった。
それから一月も経たずして――。




