両軸
劉虞……幽州の牧(長官)。漢の太尉(国防長官)であり、皇族。公孫瓚に討たれる。
鮮于輔……劉虞に仕える重臣。公孫瓚を仇敵とした兵を挙げ、自害に追い込む。
公孫瓚……幽州の将軍。幽州の牧である劉虞を討つが、鮮于輔らの報仇軍により、自害に追い込まれる。
袁紹……名門の出身で、公孫瓚の仇敵。鮮于輔らと連合し、公孫瓚を自害に追い込む。幽、冀、并、青の四州に勢力を誇る群雄。
閻柔……北方異民族に慕われる陰の指導者。漢人。報仇軍を挙げた鮮于輔に加担する。
斉周……劉虞に仕える重臣。鮮于輔の相棒。
田豫……流浪の英雄、劉備の志に魅かれ、憧れを抱く。主君の公孫瓚を失う。
廉正……田豫の志に共鳴する腹心。実直な性質の槍遣い。
曹操……豫、徐、兗、青の四州に勢力を伸ばす群雄。
烏倫……鮮卑人と漢人の混血。閻柔の従者のような青年。閻柔の申し出により、田豫の従者となる。
程昱……曹操に仕える初老の謀士。田豫の育成を委ねられる。
衛沈……北の辺境を往来する医の徒。田豫の草庵を預かる。
公孫琳……田豫が救出した公孫瓚の四女。
河北の支配権を巡る曹操と袁紹の雌雄を決する抗争が始まった。
その情勢をよそに、田豫の前には書簡が山積している。
出仕した田豫は、そのひとつひとつに目を通した。内容は政策に関するものが多かった。
そのような日々が続くと、田豫に見えてくるものがあった。
猛政――。曹操が推進しようとしていたのは、法律に基づく徹底した厳しい統治だった。
各地の富裕層や有力者層を取り込み、政権を維持していた漢では、官僚たちへの刑罰が有名無実化していた。この寛容を旨とする寛治が、漢の支配を弛緩させていた。
それを見抜いた曹操は、猛政を以って、漢の根源的要素である寛治を打破しようとしている。
そのことに気づいた頃から、田豫の書簡の見方が変わった。さまざまな書類より、曹操の意図を読み取ろうとしたのである。
そして、また見えてきたものがあった。
屯田――。読み込めば、二種あった。ひとつは、派兵先の最前線で兵士が農業を行い、未開の土地を開墾することで、軍の食糧を確保する軍屯、そして、もう一方は、すでに基盤となっている中原地域で実施される民屯である。
民屯の利点は、戦乱で各地を追われ、流民となった民に耕作放棄地を与え、失われた生産活動を再開させることにあった。これに加え、耕作放棄地を国有化することで、高い税率で収穫物を徴収できる。備蓄可能なまでの生産力を得ることで、各地に食糧庫を配置、遠征時の補給を容易にする。民屯は、収穫量の五割が、各地の倉庫に備蓄されたが、従事する民にも利点はあった。多くの労役を免除される特権が与えられていたのである。
何よりもこの屯田制は、曹操自身が管轄していた。
書簡から顔を上げた田豫は、虚空に視線を泳がせた。
――自らの意思を直接内政に組み込み、現実のものとしている。
感嘆した田豫は、ふたたび、書簡に目を落とした。
この頃から、廉正と烏倫にも変化が見え始めた。
廉正は、春秋左氏伝を写した書簡を携帯するようになった。春秋戦国時代の魯国の歴史が書かれたものである。暇さえあれば、よく目を通していた。
片や、烏倫の方は、長柄の武器を好んで扱うようになった。邸の前庭で、全身汗まみれになるまで、長柄の矛を振る姿を目に留めることが増えた。
しばらく時が流れると、田豫には、また新たな気づきがあった。
兵戸――。租税を減免する代わりに、妻帯して戸(家族)を構えさせ、永代の兵役義務を負わせることで、兵力の安定供給を実現させる制度だった。
兵役の世襲は古来よりあったが、それは、帝直属の常備軍である禁軍に限られていた。
曹操は、兗州に侵攻した青州黄巾賊の投降兵、三十余万人の中から選抜した者を青州兵として編成し、兵戸に属させた。これまで、禁軍に限定されていた兵役の世襲を自軍に取り入れたのである。
そして、一般の民とは戸籍の取り扱いを別にし、男子は兵士になること、女子は兵戸の者と結婚することが義務づけられた。兵戸に組み入れられた者は、男女問わず、代々兵役に従事する仕組みになっていた。
これにより、曹操は、永続的な兵力の安定供給を実現していた。
書簡に踊る文字を凝視した田豫は、口許を片手で覆い瞑目した。
「国家の安定は、充分な食糧と強力な軍隊にかかっている――」
田豫は、はっとした。曹操の声容が聞こえた気がした。
屯田制による食糧の備蓄、兵戸制による兵力の安定供給、この両軸が、河北を制覇するに足る大きな原動力になっていた。
目蓋を開けた田豫は、胸の前で腕を組んだ。宙を睨み据えると、小さな音で独り言ちた。
「この許都も、乱世にあるべき都の姿――ということか」
ちょうど、その折――。
急報がもたらされた。それは、官渡という地で、曹操が袁紹を撃破したという報せだった。
西暦二〇〇年のことだった。
お読みいただき、ありがとうございます。明日19時更新の第32話より、成長した田豫たちに苦難が待ち受けます。劉備に憧れ、曹操の臣下となった田豫の生き方は――。どうぞお楽しみに!




