未熟
劉虞……幽州の牧(長官)。漢の太尉(国防長官)であり、皇族。公孫瓚に討たれる。
鮮于輔……劉虞に仕える重臣。公孫瓚を仇敵とした兵を挙げ、自害に追い込む。
公孫瓚……幽州の将軍。幽州の牧である劉虞を討つが、鮮于輔らの報仇軍により、自害に追い込まれる。
袁紹……名門の出身で、公孫瓚の仇敵。鮮于輔らと連合し、公孫瓚を自害に追い込む。幽、冀、并、青の四州に勢力を誇る群雄。
閻柔……北方異民族に慕われる陰の指導者。漢人。報仇軍を挙げた鮮于輔に加担する。
斉周……劉虞に仕える重臣。鮮于輔の相棒。
田豫……流浪の英雄、劉備の志に魅かれ、憧れを抱く。主君の公孫瓚を失う。
廉正……田豫の志に共鳴する腹心。実直な性質の槍遣い。
曹操……豫、徐、兗、青の四州に勢力を伸ばす群雄。
烏倫……鮮卑人と漢人の混血。閻柔の従者のような青年。閻柔の申し出により、田豫の従者となる。
程昱……曹操に仕える初老の謀士。田豫の育成を委ねられる。
衛沈……北の辺境を往来する医の徒。田豫の草庵を預かる。
公孫琳……田豫が救出した公孫瓚の四女。
「私に、田豫さまの、お供をさせてくださいませ」
艶麗とした声音に、一同の目が動いた。美質の真剣な顔があった。
「この公孫琳、すでに天涯孤独の身。田豫さまに拾われた命なれば、この命、田豫さまのために、お使いしとう存じます」
「な、何だって――⁉」
声を裏返らせたのは、廉正だった。
期待に胸を膨らませ、田豫に首を回したのは、烏倫だった。
田豫は、公孫琳からの熱い視線を避けるように、衛沈を見遣った。
目蓋を伏せ、うつむき加減となった衛沈は、こうべを振った。
「無理を言ってはならん、公孫琳。体の傷は癒えども、心の傷までは癒えておらぬ。田豫に付き従おうとも、その支えにはなれぬ」
白面を伏せた公孫琳は、悔しげに朱唇を噛んだ。一筋の泪が頬を伝うと、弾かれたように座を蹴って、草庵から姿を消した。
さっと、立ち上がった烏倫が、公孫琳の後を追った。
「起きられるようになっても、しばらくは、もぬけの殻のようじゃった。表情はなく、心を失ったようにのう……」
衛沈は、公孫琳と烏倫が出ていった戸口に目を向けた。
「私には、心の傷も治ったように見えましたが……」
肩を落とした田豫は、衛沈を見据えた。
衛沈は、また静かに、かぶりを振った。
「家族を亡くし、生きる糧を失った。儂は、背負って生まれた宿命であることを諭し、生きる目的を持たせようと、医の術を教えることにした。公孫琳には、生きるための大きな目標が必要じゃ」
「それで、公孫琳の指先が、青みがかっていたのですね」
数多の薬草を取り扱い続けたことで、公孫琳の指先には薬草の色素が付着し、変色していたのである。
「医というものに興味を持ち始めたばかりじゃ。誰かのために使おうという想いが、お主に向いたのじゃろう」
衛沈の話に、静かに耳を傾けていた廉正が、瞳を潤ませている。
「じゃが、未熟。人を救うまでの医術には至っておらぬ。腹の傷を見れば、悪夢のような一日を思い出すじゃろう。まずは、己の心を治さねば、人を救うことはできぬ」
田豫は、椀を持ち上げると、白湯をすすった。
「なあ、田豫よ、何とか公孫琳を連れて行ってやることはできないか? あまりにも不憫でならぬ」
田豫は、瞑目した。
「まだ早い。今、連れ出せば、素性が明るみに出ることもある。公孫琳の身に、危害を加える者が現れないとも限らん。それに……」
刮目した田豫は、衛沈に冴えた双眸を向けた。
「本当に医の徒を志す者ならば、ひとりのために命を使うなどとは吐かぬもの」
衛沈は、えくぼを作った。
「医の徒として、公孫琳の資質は……?」
衛沈を見遣った田豫は、核心を訊いた。
「ある。飲み込みも早い。重ねる研鑽と経験の蓄積が肝要じゃ」
廉正は、衛沈と田豫を見比べた。
田豫は、おもむろに端座すると、両手を突いて頭を下げた。
「衛沈さまが医の徒として認めた暁に、迎えに参るといたしましょう」
衛沈は、にやりとした。
「それならば、儂も育てがいがある。お主の志を援ける医の徒として、我が医術を伝授しよう」
「ありがたきかな、衛沈さま」
田豫は、深々と低頭した。
それを眼前にした廉正も、慌てて端座すると、深々とお辞儀した。
明くる日――。
草庵を発つ田豫たちを見送るように、衛沈の後ろには、顔を伏せた公孫琳が佇んでいた。
田豫は、烏倫に馬を預けると、踵を返した。公孫琳の許まで身を寄せると、その前に立った。
目蓋が腫れているようだった。一晩中泣いていたのだろう。公孫琳は、澄んだ双瞳で田豫を見上げた。
「一人前になった暁に、必ず迎えに来る。衛沈さまも驚くような医の徒になってみせろ、公孫琳」
公孫琳の目が大きく見開かれた。眸子の中に、希望の色が浮いたようだった。
「……はい!」
公孫琳が浮かせた微笑に、田豫は破顔を返した。
田豫は、再び踵を回した。公孫琳に背を見せ、先で待つ廉正と烏倫の許に向かった。
公孫琳は、田豫の背に深々と、かぶりを垂れた。その頭は、いつまでも上がらなかった。
草庵の屋根からは、一匹の栗鼠が、その様子を見下ろしながら、木の実をかじっていた。




