丞相軍謀掾(じょうしょうぐんぼうじょう)
劉虞……幽州の牧(長官)。漢の太尉(国防長官)であり、皇族。公孫瓚に討たれる。
鮮于輔……劉虞に仕える重臣。公孫瓚を仇敵とした兵を挙げ、自害に追い込む。
公孫瓚……幽州の将軍。幽州の牧である劉虞を討つが、鮮于輔らの報仇軍により、自害に追い込まれる。
袁紹……名門の出身で、公孫瓚の仇敵。鮮于輔らと連合し、公孫瓚を自害に追い込む。幽、冀、并、青の四州に勢力を誇る群雄。
閻柔……北方異民族に慕われる陰の指導者。漢人。報仇軍を挙げた鮮于輔に加担する。
斉周……劉虞に仕える重臣。鮮于輔の相棒。
田豫……流浪の英雄、劉備の志に魅かれ、憧れを抱く。主君の公孫瓚を失う。
廉正……田豫の志に共鳴する腹心。実直な性質の槍遣い。
曹操……豫、徐、兗、青の四州に勢力を伸ばす群雄。
烏倫……鮮卑人と漢人の混血。閻柔の従者のような青年。閻柔の申し出により、田豫の従者となる。
程昱……曹操に仕える初老の謀士。田豫の育成を委ねられる。
曹操は、厳しく冴えた眼眸を田豫に当てた。
「丞相軍謀の掾に就け」
「こ、この田舎者を丞相軍謀掾に就けるので――⁉」
驚愕の口調となったは、曹操に侍った初老の謀士だった。
丞相軍謀掾――。軍事的な計画を策定し、丞相(宰相)へ軍略や戦略を立案する軍事参謀だった。政治や軍事だけではなく、あらゆることに知見を広めなければ、役割を果たすことは困難である。田豫は、曹操陣営の中枢で、さまざまな見識を深める機会を与えられたことになる。
「身分や出身など、取るに足らぬ些事。時の流れに人を置け、程昱。そして、人を点として見ろ。その点と点を線でつなげば、自ずと見えてくるものがある。育成は、お前に委ねる」
曹操が説くと、謀士の程昱は、はっとなった。目尻の皺を深くした面貌が、不敵に歪んだ。
曹操は、田豫に振り返った。その瞳が輝いたように見えた。
「許都へ赴け、田豫。そこで才を磨け」
「え――?」
「嘘――⁉」
呆然となった田豫よりも、隣に並んだ廉正の方が驚いていた。
戦乱に打ちひしがれた時の帝、献帝を迎え入れた曹操が、新たな拠点として築いた都が許都だった。政治、軍事の中枢都市であることは言うまでもない。
帝を擁護した曹操は、己の正統性を示すと共に、己の命令を朝廷の命令として発することができた。帝を護る官軍のような立ち位置となった曹操軍は、ほかの群雄より一歩抜きん出ていたといえる。
田豫は、母の喪に服していた折、曹操という群雄を、そう分析していた。
「へえ、許の都か……」
感心したような閻柔が、腕組みして田豫を見遣った。
「鮮于輔、閻柔、お前たちには、また近いうちに会うことになろう。それまで、北方の辺境を慰撫してくれ」
曹操は、愛馬に向かいながら声を大きくした。それに程昱と近衛兵が従った。騎乗した曹操は、立ち尽くした田豫たちを瞶めた。
「若い頃、辺境で国家のために戦い、功績を挙げることを人生の目標とした。それをお前たちに託す」
曹操は、馬首を翻した。西に向かって駈け出すと、程昱と近衛兵も追うように馬腹を蹴った。
曹操がもたらしたのは、三者三様の好待遇だった。
「これは、忙しくなるな……」
いつまでも曹操の背を見送る鮮于輔が、うめいた。
その折だった。
「烏倫。今より、この田豫を主と仰げ」
腕組みしたままの閻柔は、背後の烏倫へ唐突に命じた。
「ん――⁉」
目を円くした田豫と廉正は、そろって、驚きの声を立てた。
薄ら笑った閻柔は、顎髯をなでた。
「この烏倫、鮮卑と漢の混血。こいつの父親は、鮮卑のとある部族の大人。俺は、そいつから、幼少の烏倫を委ねられた」
「委ねられた……?」
鸚鵡返した田豫の面上に、怪訝の色が浮いた。
「ああ。鮮卑の中にも、漢人との共生を望む者がいる。その大人も、そんな奴のひとりだ。漢と鮮卑の架け橋として、そいつは俺に烏倫を託した。漢という国を見せてやってほしい――とな」
歩みを寄せた鮮于輔が、田豫の側に立った。閻柔の次の言葉を待つようだった。
「俺は、漢人だ。今や塞内に戻った。だが、北方の辺境じゃあ、漢の具を、こいつに見せてやることはできねえ。だから、お前に託してえんだ。この烏倫に、さらなる漢の内側を見せてやってくれねえか?」
閻柔は、田豫に向かって、かぶりを垂れた。
田豫は、閻柔の後方に控えた烏倫に目を向けた。北方民族のような胡服を着込んでいる。柔らかな風に、翡翠の耳飾りが揺れていた。切れ長の目は、澄んだ光を放っていた。
「頭を上げてください、閻柔どの」
烏倫に視線を向けたまま、田豫は首を縦に振った。
「私の方こそ、烏倫から学ぶことが多そうです」
頭を立てた閻柔は、にやりと微笑んだ。
「武技は仕込んである。連れて行って損はねえはずだ。斥候として使えば、お前の目にもなってくれるだろう」
「君の方こそ、私を主と認めてくれるのかい、烏倫?」
田豫は、落ち着き払った烏倫を見据えた。
すっと、前に歩み出た烏倫は、田豫の前で拝跪した。
「烏倫でございます。以後、身命を賭して、田豫どのにお仕えいたします」
田豫は、微笑を浮かせた。
「そんなに自分を追い込むな、烏倫。力を貸してくれればいい」
「廉正だ。弟分ができたということか。悪くないな」
田豫の傍らから、大柄な体を寄せた廉正が、にいっと、笑った。
田豫と廉正に目を細めた烏倫は、すっくと立ち上がった。閻柔に向き直った。
「お世話になり申した、父上――」
にこりと微笑んだ烏倫は、胸の前で手を合わせると、丁寧に拱手した。閻柔のことを父と呼んでいたようだった。
「行ってこい、烏倫。田豫と共に。そして、鮮卑のために、漢という国をその目で見てこい」
閻柔は、烏倫の頭を乱雑になでた。潤んだ瞳は、慈愛に満ちていた。
「よし。では、還るとするか。田豫は戻り次第、すぐにも許の都へ発つつもりか?」
意気をみなぎらせた鮮于輔が、田豫に訊ねた。
「一度、故郷まで戻り、身辺を整えてから向かおうかと……」
「しばらく会えなくなりそうだが、北方の辺境から、お前の活躍を祈っているぞ、田豫」
鮮于輔は、ぽんっと、田豫の肩に手を置いた。
東の空に浮いていたのは、燦々とした朝陽だった。その陽光が、五人の色濃い影を長く伸ばしていた。




