路頭
劉虞……幽州の牧(長官)。漢の太尉(国防長官)であり、皇族。公孫瓚に討たれる。
鮮于輔……劉虞に仕える重臣。公孫瓚を仇敵とした兵を挙げ、自害に追い込む。
公孫瓚……幽州の将軍。幽州の牧である劉虞を討つが、鮮于輔らの報仇軍により、自害に追い込まれる。
袁紹……名門の出身で、公孫瓚の仇敵。鮮于輔らと連合し、公孫瓚を自害に追い込む。幽、冀、并、青の四州に勢力を誇る群雄。
閻柔……北方異民族に慕われる陰の指導者。漢人。報仇軍を挙げた鮮于輔に加担する。
斉周……劉虞に仕える重臣。鮮于輔の相棒。
田豫……流浪の英雄、劉備の志に魅かれ、憧れを抱く。主君の公孫瓚を失う。
廉正……田豫の志に共鳴する腹心。実直な性質の槍遣い。
曹操……豫、徐、兗、青の四州に勢力を伸ばす群雄。
西暦一九九年、春――。
主を失った幽州は、混乱していた。
その蛮漢雑居たる幽州の民が、統治者として推戴したのは、烏丸、鮮卑からも人望の厚かった劉虞、その流れを汲んだ鮮于輔だった。
だが――。
報仇を果たした鮮于輔に、新たな群雄として立つ意思はなかった。劉虞の仇、公孫瓚を滅ぼしはしたが、幽州の統治までは視野に入れていなかった。連合して公孫瓚を討った袁紹の傘下に入ることも考えた。
「それは、浅はかだ。袁紹とは、目的が一致しただけだ。奴の下につくのとは、わけが違う」
そう言ったのは、閻柔だった。
その閻柔が糾合した鮮卑と烏丸の兵たちは、続々と北の本拠地へ戻っていた。従順な民族ではない。いつ、また叛旗を翻すかわからなかった。
幽州広陽郡薊県――。
鮮于輔は、兜に軽鎧の出で立ちだった。城の望楼から、砂塵を巻き上げ、北へ駈け去る鮮卑と烏丸の騎馬軍勢を眺めていた。
別の気がかりもあった。同郷の旧知が、敵の公孫瓚に仕えていたという。死んだとの報せもない。
――恐らくは、故郷へ戻っているだろう。
鮮于輔は、探索の兵を放っていた。
「鮮于輔よ」
柔和な笑みを浮かべ、望楼に姿を現したのは、文官のような風情である。鮮于輔の相棒と呼ぶべき存在だった。
「斉周か。何だ?」
振り返りもせず、不愛想な鮮于輔に、斉周は肩をすくめた。
「見つかったぞ。お前が探していた者が」
「まことか――⁉」
目を剥いた鮮于輔が、嬉しそうに振り向いた。微笑を浮かべた斉周の後ろに、その旧知は佇んでいた。
「……田豫」
鮮于輔は、懐かしそうに田豫へ目を細めた。
「お久しゅうございます。鮮于輔どの」
進み出た田豫は、鮮于輔に一揖した。
その後方に侍る大兵、廉正も、拱手して、かぶりを下げた。
「たくましくなったものだ」
鮮于輔は、田豫に歩み寄ると、その手を取って、きつく握りしめた。
「お前の父には、ずいぶんと世話になった。公孫瓚に仕えていたと聞いたが、お前には、悪いことをしてしまったな」
田豫は、寂しそうに、こうべを振った。
「俺の主、劉虞さまは、鮮卑や烏丸をも手玉に取るほどの大徳を備えていた。俺を呼ぶ声は、いつも慈愛に満ちていた。俺が惚れ込んだ男だった。それを無惨にも、容赦なく殺された。公孫瓚を許すわけにはいかなかった。許せなかった」
田豫は、鮮于輔の無念を察した。自分のことに置き換えれば、鮮于輔の気持ちが痛いほどわかった。
「俺もお前から、主と力を発揮する場を奪ってしまった。だから今度は、俺がお前の力を借りたい」
「私の力……ですか?」
鮮于輔は、不敵に笑った。
「お前がいた東安平は、袁紹の手に落ちた」
渋面を作った田豫は、うつむいた。
その後ろで、廉正も、うなだれた。
「だが、簡単ではなかったようだ。無血開城を望んだ袁紹軍も、ずいぶんと手を焼いたらしい」
首を上げた田豫と廉正には、怪訝の色が浮いた。
「県令の田豫が戻るまでは、城門を開けるわけにはいかん――と、徹底抗戦の気概を見せたそうだ」
目を剥いた田豫と廉正は、互いに顔を見合わせた。
「鼻垂れ小僧だったお前が、民の心をも動かすほどになるとはな」
鮮于輔は、にやりと微笑んだ。
近くに佇立した斉周も、ふっと、鼻で笑った。
安堵の溜息を洩らした田豫は、微笑を浮かべて返した。
「わかりました。私でよろしければ、何なりと……」
「うむ。早速だが、お前の知恵を借りたい。俺は、乱世に覇を唱える気はない。この幽州に拠り、俺が天下を睥睨するなど、おこがましいからな。いっそ、天下を治めるに足る人物の許に赴きたい」
田豫は、伏し目がちになると、顎をなでた。
「知ってのとおり、今や袁紹の勢力は、幽、冀、并、青の四州に跨り、その兵は数十万に上る。その南の中原では、豫、徐、兗、そして、青州に勢力を伸ばす曹操の動きが活発だ。だが、拠る土地の広さと兵数は、袁紹に及ばないだろう」
歩を寄せた斉周が、虚空に地図を描きながら説いた。
「我らにあったのは、劉虞どのの無念を晴らす一念。それを晴らした今、我らはどうしたらよい? 兵を路頭に迷わせるわけにもいかぬ。俺もお前も主を失った身。お前ならどうする、田豫?」
腕組みした鮮于輔は、田豫を静かに見据えた。
すると――。
顎をなでる田豫の動きが止まった。屹っと、首を立てた。
「私が、鮮于輔どのならば、曹操に帰順の意を示します」
「そ、曹操だと――⁉ 何を言っている、田豫。曹操と言えば、徐州で殺戮の限りを尽くした奴だぞ?」
途端に顔色を変えた廉正が、声を荒げた。
「そうではない、廉正。袁紹と曹操――。誰の目にも曹操の劣勢は明らか。ならば、鮮于輔どのを、より厚遇するのは、どちらだ?」
「そ、そりゃあ……」
廉正は、口籠った。
「なるほど。優勢な袁紹に与しては、ぞんざいに扱われようが、確かに曹操ならば、歓待されてもおかしくはない」
斉周は、感心したように手を打った。
胸の前で腕を組んだままの鮮于輔は、瞑目した。
原野を駈け去る騎馬軍の馬蹄が、小さく響いていた。
「斉周」
鮮于輔は、目蓋を閉じたまま、相棒を呼ばわった。
「おう」
「至急、曹操どのに使者を送れ」




