白馬義従
公孫瓚……幽州の将軍。騎射に優れた者を厳選した精鋭騎馬軍、白馬義従を率いる。
田豫……公孫瓚に仕官する若者。
西暦一九一年、漢の北東部、幽州――。
雲煙はるかなる僻地、その草原を騎馬三千が疾駈していた。
騎乗している者は、どれも胡服をまとっている。北方遊牧騎馬民族の烏丸か鮮卑の一群であることは疑いようもない。
古より、烏丸と鮮卑にとって、農耕で安定した食糧を得ている漢の国は、まさに垂涎の的だった。漢の北辺の城邑に侵犯を繰り返すのは、食わんがためだった。
これを憂えた後漢の光武帝は、長城の内側に烏丸を移住させることに踏み切った。労働人口を増やし、成人男子を兵として囲う。
そして、漢人の護烏丸校尉という役職を設け、統治と保護に当たらせる。これにより、北辺の脅威を一掃しようと考えたのである。
以後、幽州各地には、多くの烏丸の民が住み着くようになった。
だが――。
異民族の烏丸と漢民族が入り混じって生活する蛮漢雑居が進むと、新たな弊害が生まれた。漢人の役人や民が、烏丸を圧迫して労役を強いたのである。
この境遇から逃れようと、烏丸はしばしば叛乱を起こした。これを好機と捉えた鮮卑も、たびたび北辺を荒らし回った。時には、烏丸と鮮卑が結託し、辺境を侵略することもあった。
漢は、北方の憂いを取り除くべく、時には討伐の遠征軍を派遣し、時には慰撫して手なづけようとした。
しかし、その甲斐むなしく、徐々に勢力を拡大した烏丸と鮮卑は、北方の憂いどころか、猛威となっていた。
異民族の三千騎に怒濤の猛追撃を仕掛けていたのは、五千ほどの騎馬軍だった。
「ひとりも逃がすな――‼」
高らかに声を張り上げたのは、捲毛の白い駿馬にうちまたがり、陽光を照り返すような白金の甲冑に身を包んだ勇将だった。率いた五千の騎馬は、全騎が白馬である。
白馬義従――。後漢末の動乱で有力な将軍として頭角を現し、群雄のひとりとして幽州に割拠していたのは、公孫瓚という将軍だった。その公孫瓚が編成する騎馬軍が白馬義従である。配下の兵から、騎射に優れた者を厳選した精鋭騎馬軍だった。
公孫瓚の下知に反応した白馬義従の精鋭たちは、一斉に馬上で弓を構えると、矢を引き絞って狙いを定めた。
五千の白馬義従と、先を駈ける三千騎の距離が、見る間に縮む。
どういうわけか、追われる異民族の三千騎は、悠々と逃げているように見える。一群となって駈ける三千騎は、ほとんどが茶色の胡服を着ていた。その中に、黒い胡服の者が三百ほどいた。
胸の前で腕を組んでいる。その三千騎の先頭を駈ける者も漆黒の胡服だった。口許から右の耳朶にかけて傷痕がある。
その男は、おもむろに、組んだ腕を解くと、前方の原野を見据えたまま、顔色ひとつ変えず、不意に片手を上げた。
すると――。
三千の騎馬の群れが、蜘蛛の子が散るように、八方へ分散したのである。中には、反転して白馬義従に突っ込む者まであった。
「チッ」
狙いを絞った標的が、たちまち定まらなくなっていた。舌打ちした公孫瓚は、馬腹を蹴って速度を上げた。短刀を振りかざし、挑むように突っ込んでくる異民族の兵に駈け向かった。佩剣を引き抜き、一閃の白光を宙に流して馳せ違う。
鮮血が尾を引き、宙を翻って地に転がったのは、異民族の兵の首だった。馬上から、血飛沫をまき散らした首のない体が崩れ落ちると、乗り手のない馬は、そのまま駈け去った。
公孫瓚は、手綱を引くと、馬足をゆるめて停止した。それにならうように、白馬義従の進軍も止まった。
迅い。異民族の兵影は、辺りに見当たらない。散り散りとなって駈け去っていた。遥か遠くに見えたのは、黒い一群だった。
眉間に皺を寄せた公孫瓚は、その黒い塊を睨み据えた。一頭の巨大な獣のようにさえ見える。
鮮卑や烏丸に兵法はない。遁走も恥ではない。ゆえに、攻撃から退却への変わり身が迅い。
そして、その兵は、率いる部族の長である大人の背を見て戦をする。大人の背で呼吸を計る。大人が勇躍すれば、自ずと兵の士気も上がった。
兵法を基に理詰めで動く漢兵にとって、異民族の変幻自在の動きは、対処しがたい特性だったのである。
辺りには、白馬義従に突っ込んできた百ほどの異民族の兵が、無惨にも全身に矢を突き立て、斃れ伏していた。
それを一瞥した公孫瓚は、深い溜息をひとつ吐いた。屹っと、首を立てると、大声音で下知した。
「帰還する!」
反転した五千の白馬義従が、ゆっくりと駈けながら、整然と列を成した。勇壮な白い騎馬軍は、荒んだ北方の希望にさえ映った。
「おお……」
洩れ出たのは、感嘆の声振だった。
薄汚れた白巾で髪を一束にまとめ、くたびれた袍衣を着込んでいる。腰に剣を佩き、背には弓と数本の矢を入れた矢筒を背負っていた。亡父から教わった剣術と騎射は、鍛錬を怠ることがなかった。
乾いた風に流れる砂塵を全身に浴び、颯爽と駈け去る白馬義従に、小高い丘から瞳を輝かせるひとりの若者があった。
――何と雄々しいのだろう。
若者は、白馬義従を羨望の双瞳で見送った。公孫瓚への仕官を決めるまで、そう時は要さなかった。
「田豫というのか。いい目をしている。歓迎しよう」
一目で即決したようだった。公孫瓚は、何ら躊躇うことなく、田豫を迎え入れた。
「あ、ありがとうございます!」
田豫は、うわずった声で一揖すると、爽やかな笑みをたたえた公孫瓚に、満面の笑みを返した。




