同志
田豫……公孫瓚に仕官した若者。流浪の英雄、劉備の志に魅かれ、憧れを抱く。
老母……田豫の母。田豫の活躍に期待し、他界する。
衛沈……北の辺境を往来する医の徒。
公孫瓚……幽州の将軍。幽州の牧(長官)の劉虞を討つ。
劉備……公孫瓚の学友。徐州の牧。
劉虞……幽州の牧。漢の太尉(国防長官)であり、皇族。公孫瓚に討たれる。
閻柔……北方異民族に慕われる陰の指導者。漢人。報仇軍を挙げた鮮于輔に加担する。
鮮于輔……劉虞に仕える重臣。公孫瓚を仇敵とした兵を挙げる。
袁紹……冀州の牧。名門の出身で、公孫瓚の仇敵。
楽何当……幽州の絹商人。
李移子……幽州の布商人。
劉緯台……幽州の占い師。
張飛……劉備の義兄弟で股肱の臣。
廉正……田豫の志に共鳴する腹心。実直な性質の槍遣い。
「田豫? やっぱり、田豫じゃないか!」
大声を放ち、槍を手に駈け寄せたのは、旅装した大兵だった。
「若い武人のような者が、公孫瓚どのと面会していると聞いた。まさかと思い駈けつけてみたが、会えてよかった」
大兵は、田豫に満面の笑みをさらした。
見上げた田豫は、記憶をたどった。思わず笑みがこぼれた。
「廉正どの? 廉正どのではありませぬか!」
「久しいな、田豫。その後、母上どののご容態はどうだ?」
田豫は、かぶりを左右に振った。
「逝って三年ほどになります。それから喪に服しておりました」
「どうりで、公孫瓚どのの許に還るまで、時を要したわけだ。それにしても、母上どのは残念だったな」
肩を並べて歩き出した田豫と廉正は、そろって城門をくぐった。
「心の臓を弱らせておりました。わずかな期間ではありましたが、最後に、母と同じ時を過ごすことができました。これも廉正どのが報せてくれたお陰です」
次は、廉正が、こうべを横に振る番だった。
「廉正と呼んでくれ。大したことをしたわけではない。それに、お前には、大きな借りがあるからな」
「借り……?」
田豫は、廉正に怪訝な面持を向けた。二人で最後の城門から外に出た。目の前には、広大な原野が広がっている。
廉正は、田豫に向き直った。
「公孫瓚どのには会ったのだろう? お前の目にはどう映った?」
廉正は、田豫を静かに見据えた。
田豫は、力のない微笑を浮かべた。
「商人のような者たちを侍らせていた。以前のような雄姿は、見る影もなかった」
廉正は、うなだれると、愁眉に染まった顔を上げた。
「公孫瓚どのが劉虞を討ってから、その臣下団は、烏丸、鮮卑とも結託し、繰り返し攻め寄せてきたからな。それに袁紹も加わり、敗戦続きだった」
うなずく田豫に、廉正は皮肉に笑った。
「私でさえ、こうして生きているのが不思議なくらいだ。人の心も変わってしまうのも、うなずける。それで、公孫瓚どのは、何と?」
「青州北海国、東安平の県令に就けと言われた」
にやっと笑った廉正は、腰に手を当てた。
「ならば、私も一緒に行こう」
「は――?」
田豫は、耳を疑った。
「お前は、覚えていないだろう。私は、劉備どのに従い、徐州に向かった折、お前に命を救われている」
顎に手を当てた田豫は、目蓋を伏せた。記憶にないようだった。
「私は、妻と子を戦乱で失っている。すでに家族はない。次にお前と会った時は、命を預けるつもりでいた」
「え――?」
廉正の想定外の申し出に、田豫の目が大きく見開かれた。
廉正は、驚愕した田豫をよそに、空を見上げた。
「いつか、劉備どのが我ら兵を前に語っていた。戦のない世が見たいのだ――と。私は、はっとした。各地で戦乱が起きていることが、当たり前だと思っていたからな」
田豫は、廉正の正面に体を向けた。
空を見上げたまま、廉正は続けた。
「私も同じだ。戦のない世を見てみたい」
首を下げた廉正は、田豫を瞶め返した。冴えた眼眸だった。
「お前も、そうなのだろう、田豫?」
田豫は、にやりとした。
その笑みを目にした廉正にも、同じような笑みが浮かんだ。
「劉備どのの近習だったお前のことだ。きっと、同じ気持ちだと思っていた。お前に拾われた命だ。好きに使ってくれていい。お前の方が歳下だろうと関係ない。私は、お前に未来を託す」
目蓋を伏せた田豫は、何度も小刻みに頷首した。暗闇に浮いていたのは、三人の義兄弟たちだった。
――同じ気持ちの者が傍にいるとは、何と心強いことか。
動きが止まると、田豫は刮目した。
「怖れを成す強大な対手に挑み、そして、敗れ、非力な己に打ちひしがれようとも、死ぬまで信念を貫く覚悟があるか?」
「あるに決まっている」
「私の心が折れそうな時、一緒に折れてはならぬのだぞ?」
「その時は、お前を打ちのめし、強い心を蘇らせてやる」
「どんなに手を尽くそうとも、報われぬかもしれぬぞ?」
「己の気持ちに嘘を吐き、死んだように生きるよりましだ」
ふっと、田豫に浮いたのは、不敵な笑みだった。
「行こう、廉正。青州へ――」
廉正にも不敵な笑みが浮いた。胸の前で手を合わせると、田豫に、こうべを垂れた。
「承知」
田豫は、広大な原野に踏み出した。
それにつき従ったのは、同志の大兵、廉正だった。
北から一陣の柔らかな風が吹いた。二人の背を押すようだった。




