19-その名は、リン
王妃様が心ゆくまで私を撫で、もふもふを堪能し尽くしたあと。
乱れた毛並みを使用人の方に丁寧に整えていただき、ようやく席について話し合いが始まろうとしていた。
「……大変失礼いたしました、恩猫様」
エレノア様が、恥ずかしそうに扇で口元を隠しながら言う。
「大丈夫ですよ。私の毛並みは、ご満足いただけましたか?」
そう問いかけると、
「ええ、とっても」
食い気味に返ってきた。
まだ手元がそわそわと動いているあたり、どうやら撫で足りないらしい。
「落ち着け、エレノア……。
すまんな、恩猫様。普段はここまでではないのだが……」
国王陛下が苦笑混じりにため息をつく。
「あなたは国賓にあたる存在だ。本来、このような無礼は許されぬ。
だが……エレノアは普段抑えているぶん、可愛いものを前にすると箍が外れてしまってな」
「大丈夫です。王妃様も日頃お疲れでしょうし、少しでも癒しになれたのなら嬉しいです」
そう笑って答えると、国王陛下はわずかに目を細めた。
「その寛大さに感謝する」
……やっぱり、この方はよく見ている。
王妃様を止めなかったのも、私が嫌がっていないことを見極めたうえでの判断だったのだろう。
レオンハルト様から話を聞いているだけでなく、私自身についてもかなり調べているはずだ。
侮れない方だな、と改めて思う。
「さて、そろそろ本題に入ろうか」
空気を切り替えるように、国王陛下が姿勢を正す。
「レオン。お前、“養子を迎えたい”と申請を出していたな。
その子を連れてくると聞いていたが……どこだ?」
「ああ。もういる」
「……もういる?」
国王陛下が怪訝そうに眉を寄せる。
「どこにいる?」
「ここに」
レオンハルト様が、すっと私を指差した。
数秒の沈黙。
「……何の冗談だ?」
国王陛下が呆れたように言う。
「冗談ではない。大真面目だ」
レオンハルト様は真顔で返した。
すると、国王陛下の目がすっと細められる。
「恩猫様を国益利用したくない、と言っていたな。
……そのお前たちが、恩猫様の力を取り込むつもりか?」
静かな声音。
けれど、その奥には鋭い探りがあった。
「恩猫様にも了承を得た上での話だ」
「だとしても、恩猫様は猫です。
養子など――」
王妃様まで困惑した様子で口を開く。
……まあ、当然の反応だよね。
でも、それは“私が猫だけである”前提の話。
「アベル」
レオンハルト様が真っ直ぐ国王陛下を見る。
「この場にいる者たちは、信用できる者たちだけか?」
「? ああ。
幼い頃から仕えている者ばかりだが……」
訝しげに答える国王陛下。
「なら問題ない」
そう言ってから、レオンハルト様は私を見る。
「恩猫様……いや、リン。
頼んでもいいか?」
「……はい」
胸が緊張でうるさいほど鳴っている。
けれど、ここで隠し続けるわけにはいかなかった。
私は席から降り、少し離れた場所へ歩いていく。
そして、胸元の守鈴へ静かに祈った。
――人の姿に。
ちりん、と。
澄んだ鈴の音が庭園に響く。
淡い光が私の身体を包み込み、
黒猫の小さな肢体がゆっくりと変化していく。
伸びる手足。
形作られる指先。
黒い毛並みは淡い光へ溶け、
やがて一人の少女の姿へと変わった。
光が静かに消える。
私は、少しぶりの人の身体で立ち上がった。
そして、緊張で震えそうになるのを堪えながら、
スカートの裾を摘み、拙いカーテシーを行う。
「恩猫改め、志乃鈴と申します」
顔を上げ、国王夫妻を見る。
「皆からは“リン”と呼ばれております。
どうぞ、よろしくお願いいたします」
ちゃんとできただろうか。
失礼はなかっただろうか。
心臓をばくばくさせながらそっと視線を上げる。
――しん、と。
庭園が静まり返っていた。
……あれ?
もしかして、失敗した……?
不安になっていると、
「――ははっ!」
突然、レオンハルト様が大きく笑い出した。
「昨日、こちらが散々驚かされた仕返しのつもりだったが……
想像以上に効いたな!」
そう言われ、恐る恐る国王夫妻を見る。
そこには――
目を見開き、
呆然と私を見つめる国王夫妻の姿があった。




