54-逃げていたのは、私だ
【主人公視点】
騎士たちの出発を見送った後、私はアンネリーゼとセラフィーネ様と共に協会へ避難していた。
出発前――
己を奮い立たせるように声を張り上げていた、あの光景が目に焼き付いて離れない。
「ママ、本当に大丈夫なのかな…?パパ、帰ってくるかな…?」
「大丈夫よ。お父さんのいる騎士団はみんな強いのよ?
冒険者の人たちもいるんだから、魔物なんて全部倒してしまうわ」
近くにいた親子の会話が耳に入る。
笑顔で交わされる、前向きな言葉。
ここ数日、ずっと思っていた。
この領地の人たちは強いのだと。
危険が迫っていても、誰も後ろを向かないのだと。
――そう、思っていた。
けれど。
昨夜、ローガン団長と話して気付いた。
違う。
皆、不安なのだ。
ただ、それを見せていないだけ。
誰かが崩れれば、この均衡が壊れてしまうから。
だから、前を向いている。
……私は、それに気付かないふりをしていた。
いや、本当は分かっていた。
――私に期待が向けられていることに。
恩猫様なら、どうにかしてくれるのではないかと。
街の為に、できることはやるつもりだった。
でも、戦場に出ることは考えなかった。
前の世界でも、戦いとは無縁だった。
戦闘なんて経験がない私は、きっと“無能”だからと。
だから、レオンハルト様に避難するよう言われた時――
どこかで、安堵した。
戦わなくていいのだと。
行かなくていいのだと。
……でも。
後ろめたさは、ずっと消えなかった。
きっと皆は、私が行くことを望んでいた。
それでも誰も、私を責めなかった。
「恩猫様?どうしました?」
アンネリーゼの声が、思考を引き戻す。
「不安、なのでしょうか?
大丈夫ですよ。お父様もいますから」
「この領地で一番、お強いのですよ?」
だから安心してください、と微笑む。
その言葉に、少しだけ心が軽くなる。
……それでも。
胸の奥の違和感は、消えない。
ふと、窓の外を見る。
空を覆う雲は、さらに黒く、濃くなっていた。
――その瞬間。
ドォンッ、と鈍い衝撃音が響いた。
床が、微かに揺れる。
「な、何…!?」「今の音…外から…?」
ざわめきが広がる。
嫌な予感が、胸を締め付ける。
扉が勢いよく開かれた。
「森の奥地で…魔物が動き出した…っ!」
「防壁も一部破られた!すぐに結界を張れ!」
空気が、凍りつく。
そして――
「……相手は、竜種だ」
一瞬、静寂。
「竜種だって!?」「災厄種じゃないか…!」
恐怖が、一気に広がる。
張り詰めていた均衡が、音を立てて崩れていく。
「ママ…こわい…」
震える子供。
その光景を見て――
胸が、強く締め付けられた。
――逃げていたのは、私だ。
守られる側に、甘えていた。
皆が恐怖を押し殺して前を向いている中で、
私は、安全な場所に身を置いていた。
……それで、本当にいいのか?
前世の記憶が、よぎる。
――身代わりに、殺されたあの瞬間。
また、死ぬかもしれない。
それでも。
「恩猫様…?」
アンネリーゼの不安そうな視線。
その視線を受けて――
私は、一歩、前に出た。
胸の奥で、何かが静かに定まる。
逃げるのは、もう終わりだ。
守られるだけでもない。
誰かの身代わりでもない。
私は――
この街を、この人たちを、守りたい。
だから。
「……もう、逃げない」
そう呟いて、私は扉へと向かった。




