閑話-守るべき奇跡
【セラフィーネ視点】
ーーそれは、美しくも、あまりに儚い光景でした。
数ヶ月前。
体調の異変に気付きながらも後回しにした結果、私はついに病に伏すこととなりました。
かつての私であれば、このような失態は犯さなかったでしょうに――。
そう悔やみながら治療を続けておりましたが、回復の兆しは見えず、むしろ病は静かに、しかし確実に悪化していきました。
処方された薬も、当初こそ効果を感じられたものの、今ではほとんど意味をなさず。
痛みは日を追うごとに増し、身体を蝕んでいきます。
カトレアの光魔法すら届かず、触れられるたびに、拒絶するかのように苦痛が増幅する。
――これは、病ではない。
そう悟った時には、すでに遅すぎました。
何か別の“異質なもの”が、私を内側から喰らい尽くそうとしている。
その感覚だけが、確かにあったのです。
魔法も使えず、身体も動かず。
ただ痛みに支配される中、それでもなお、私は抗い続けていました。
このまま朽ち果てることだけは、決して許せなかったから。
……カトレアやテオ、リーゼには心配をかけまいと、笑みを浮かべておりましたが――それすら、次第に困難になっていきました。
日に日に衰弱していく身体。
やがて、ほんの僅かに、諦めが胸をよぎり始めた頃。
――あの日、すべてが変わったのです。
激痛により目を覚ました私は、両隣にテオとカトレアの気配を感じていました。
声を発することすら困難な中、意識は朦朧と揺らいでいきます。
その時でした。
知らない気配が、すぐ傍に現れたのです。
何かが、私の腕に触れる。
細やかな、しかし確かな“処置”。
……何を、しているの……。
確認する余裕もなく、ただ痛みに耐えるしかありませんでした。
――けれど。
ふと、痛みが和らいだのです。
それに伴い、身体の力が、静かに抜けていく。
わずかな余裕を得て、私は薄く目を開きました。
カトレアとテオの、張り詰めた表情が見える。
けれど――それ以上に、私の視界を奪ったのは。
ーー黒髪の、少女の姿でした。
輪郭は曖昧で、まるで幻影のよう。
顔立ちは判然としない。
ただ、その口許だけが、確かに何かを紡いでいるように見えました。
私を励ましているのか。
それとも、祈っているのか。
彼女は一心に、私の治療に集中していました。
その姿に、胸が揺らぐ。
……この子も、苦しんでいるのではないかしら。
かつてのカトレアのように。
私を救おうとするがゆえに。
そう思った瞬間、意識は限界を迎え――
私は、彼女の姿を焼き付けるように、静かに目を閉じました。
――どれほどの時が経ったのでしょう。
次に意識を取り戻した時、私の身体は驚くほど軽くなっていました。
再び光魔法が施される。
しかし、あの激痛はない。
あるのは、わずかな痺れだけ。
そして。
――あの“気配”が、消えている。
完全に。
……治ったの……?
信じ難い現実に、私は息を呑みました。
それでも確かに、痛みはもう、どこにも存在しない。
生きられる。
その事実に、胸が満たされていきました。
ゆっくりと目を開く。
そこには、まだ――あの少女がいました。
彼女は、私が目覚めたことに気付いていない様子で。
そして。
その唇が、再び言葉を紡ぐ。
今度は――はっきりと、読み取れました。
『よかった』
それだけを残し。
彼女はふわりと微笑み、役目を終えたかのように、静かに消えていったのです。
しばし呆然とした後、私は彼女の姿を探しました。
けれどそこにあったのは――
黒髪と同じ色をした、一匹の猫。
私のすぐ傍で、静かに横たわっていました。
……誰にも見えていなかった。
だとすれば。
あの少女こそが、この子の本質。
そして彼女は――
他者を救うためなら、自らを削ることすら厭わない存在。
神に連なるものと呼ぶには、あまりにも儚く。
それでいて、あまりにも尊い。
けれど私には――
ただの、小さな少女にしか見えなかった。
だからこそ。
私は、この子を守りたい。
これ以上、自らを削らせぬように。
静かに抱き上げ、膝の上へ。
壊れ物を扱うように撫でながら、私は心に誓いました。
――この子は、私が守ると。




