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第10話 患者さんはこちらです


 机の上に、布を広げた。


 中には、柄の曲がったレンチが一本。


 昨日、あの妙な救命装置を止めるのに使ったやつや。


 付け根に入った亀裂を、明かりにかざして確かめる。


「……やっぱりあかんな」


 昨日から何度も見とる。


 今さら勝手に直っとるわけもないんやけど、つい手に取ってしまう。


「船長、直せそう?」


 リコが机の向こうから覗き込んだ。


「直せるかもしれんけど、元通りに使えるかは分からんな」


「船長が直せないの?」


「専門外や」


 亀裂は思ったより深い。


 曲がった柄を無理に戻したら、今度こそ折れてしまうかもしれん。


 使い慣れた一本や。


 できれば、これ以上傷めたくない。


『船長。破損工具の補償について、先方から正式な案内が届いています』


「なんや?」


『代替品の購入費用を補償するとのことです。購入後、領収書を提出してください』


「そうか。ありがたいな」


『なお、破損品の回収も可能だそうです』


「回収は断っといてくれ」


『承知しました』


 ワシはレンチを布に包み直した。


「ミミック。この辺りで、特殊な金属の修理ができる工房ないか?」


『検索します』


 少しして、端末に施設の一覧が表示された。


 金属加工所。


 精密機械修理工房。


 素材再生センター。


 その中に、一軒だけ妙に評価の高い施設があった。


『こちらはいかがでしょう』


「ほう。腕はええんか?」


『特殊合金の組織修復において、高い実績があります』


「ええやん」


『破断部の接合や組織再生にも対応しているようです』


「ほな、一回見てもらおうか」


 ワシは住所を航行盤へ入力した。


 施設名は、エルメディ金属外科診療所。


 ……外科?


     *


 着いてみると、どう見ても病院やった。


 白い建物。


 入口には赤い十字のような印。


 窓には『診療受付』『面会時間』と書かれとる。


「……ミミック」


『はい』


「ここ病院ちゃうか?」


『はい。金属生命体を専門とする医療施設です』


「なんで病院紹介してきたんや」


『特殊金属の修復技術について、ご希望の条件を満たしていましたので』


「工具の修理屋探しとったんやぞ」


『工具修理を専門とする施設では、対象の材質に対応できる可能性が低いとのことです』


「……それは分かるけどな」


 入口から、一人の大柄な男が出てきた。


 肌は鈍い銀色で、腕には金属の継ぎ目のような模様がある。


 その後ろから、白衣を着た職員が声をかけた。


「次回は三週間後にいらしてくださいね」


「ありがとうございました」


 男は腕を曲げ伸ばししながら歩いていった。


 ぎし、と小さな音がする。


 なるほど。


 確かに金属の身体や。


「船長、入らないの?」


 リコが聞いた。


「……まあ、せっかく来たしな」


 ワシはレンチを抱え直し、入口へ向かった。


     *


 受付には若い女性が座っとった。


 顔も髪も普通の人間と変わらんが、首から下は青みがかった金属でできとる。


「いらっしゃいませ。本日は初診でしょうか?」


「ああ。修理を頼みたいんやけど」


「かしこまりました。患者様のお名前をお願いします」


「ガルムや」


「ガルム様ですね。では、患者様は?」


「……ワシやないで」


「はい?」


「こっちや」


 ワシは布を開いてレンチを見せた。


 受付の女性が動きを止めた。


「……こちら、ですか?」


「ああ」


「工具……ですよね?」


「そうや」


 女性は端末を確認した。


「ああ、特殊金属の修復相談でご予約いただいた方ですね」


「せや。ここで見てもらえるって聞いたんやけど」


「担当医に確認いたしますので、少々お待ちください」


 女性は奥へ通信を入れた。


 しばらくして、こちらへ向き直る。


「診察可能とのことです」


「おお、よかったわ」


「それでは、患者様の登録をいたします」


「……患者?」


「はい。お名前はございますか?」


 ワシはレンチを見た。


「……レンチや」


「レンチ様ですね」


「いや、名前やなくて道具の種類や」


「では、お名前は?」


「名前なんかないで」


「かしこまりました。無記名で登録いたします」


 女性は慣れた手つきで端末を操作した。


「続いて、付き添いの方とのご関係をお願いします」


「……持ち主や」


「所有者様ですね」


「そうや」


「では、こちらの問診票にご記入ください」


 画面を渡された。


 症状。


 受傷日時。


 既往歴。


 服用中の薬。


 アレルギー。


 妊娠の可能性。


「……なあ」


「はい?」


「これ全部書かなあかんのか?」


「分かる範囲で結構ですよ」


 ワシは問診票を見た。


 服用中の薬。


 ……油なら差しとるけどな。


     *


 待合室には、いろんな患者がおった。


 銀色の肌をした老人。


 背中が銅色の大男。


 腕の関節に包帯を巻いた子ども。


 その子は椅子に座り、反対の手で包帯をいじっとる。


「触ったらあかんって言われたでしょ」


 隣の母親らしい女性が注意した。


「でもかゆいんだもん」


「我慢しなさい」


 普通の病院と変わらんな。


 ただ、包帯の隙間から光っとるのは、どう見ても金属や。


「船長」


 リコが小声で聞いた。


「ん?」


「ここ、みんな体が鉄なの?」


「そうみたいやな」


「船長も?」


「なわけないやろ」


 隣の子どもが、リコの抱えとる布包みに気づいた。


「それ、どうしたの?」


「レンチだよ」


「レンチ?」


「うん。壊れちゃったの」


「どこが?」


 リコが布を少しめくる。


 曲がった柄が見えた。


「わあ、痛そう」


「痛そう......まぁ痛そうか」


 ワシが言うと、子どもは不思議そうな顔をした。


「死んじゃったの?」


「いや、工具やからな」


「工具は痛くないの?」


「多分」


 子どもは少し考えた。


「いいなあ」


 そう言って、自分の包帯を見た。


 ……なるほど。


 そういう考え方もあるんやな。


『無記名の患者様。第三診察室へお入りください』


 呼び出しが鳴った。


 ワシは布包みを持ち上げた。


「……行くぞ、リコ」


「うん」


     *


 診察室には、白衣を着た年配の男が座っとった。


 身体は黒っぽい金属で、顎には細かな線が何本も走っとる。


「どうぞ、こちらへ」


 ワシは椅子へ座った。


「本日はどのような症状でしょうか?」


「これなんやけど」


 布を開いてレンチを差し出した。


 医師は受け取ると、しばらく眺めた。


「……工具ですね」


「そうや」


「なるほど。変わった患者さんだと聞いていましたが」


「患者やないんやけどな」


「まあ、当院では生体以外の修復もまれに行っています。専門分野が近いものですから」


「ほな、頼めそうか?」


「まずは診察しましょう」


 医師は奥の検査台を指差した。


「では患者さん、そちらに横になってください」


「レンチに言うとるんか?」


「はい」


「自分で動けるわけないやろ」


「そうですね。では付き添いの方、手を貸してあげてください」


「……ワシが?」


「患者さんは怪我で歩けませんので」


「生まれたときからや」


 医師は平然と頷いた。


 ワシはレンチを検査台へ置いた。


「ありがとうございます。では、少し触りますね」


 医師がレンチに声をかけた。


「……それもレンチに言うとるんか?」


「はい。診察の基本ですので」


「そういうもんか」


 医師は白い布を敷き直し、曲がった柄が動かんよう支えた。


 扱いは丁寧や。


 ちょっと丁寧すぎる気もするけどな。


「では、まず普段のご様子から伺いましょう」


「普段?」


「最近、動きが悪くなったり、調子が落ちたりしていませんでしたか?」


「いや、昨日までは普通に使えとったで」


「なるほど。急性の損傷ですね」


 医師は端末に何か入力した。


「それで、どうしてこのような状態に?」


「機械の関節に噛ませて止めたんや」


「……関節に?」


「そうや」


 医師はレンチを見た。


 それからワシを見た。


「本来の用途とは違いますね」


「分かっとるわ」


「相当な負荷がかかったはずですが」


「まあ、命がかかっとったからな」


 医師は小さく頷いた。


「大変でしたね」


「……ワシがな」


「もちろんです。付き添いの方も大変だったでしょう」


「付き添いやなくて、ワシが使ったんや」


「なるほど。事故当時もご一緒だったのですね」


「最初から最後まで一緒や!」


 医師はまた端末に何か入力した。


 何を書いとるんやろな。


「ちなみに、これまでに大きな怪我や手術の経験は?」


「何回か修理はしたな」


「そうですか。よく頑張ってこられたんですね」


 医師はレンチに視線を落とした。


 ワシは何も言わんかった。


 確かに、よう働いてくれたやつや。


「それでは、詳しく調べましょう」


 細い光がレンチの表面をなぞる。


 画面に金属の内部構造が映し出された。


「ほう……」


 医師は画面を拡大した。


「かなり珍しい合金ですね。どちらで製造されたものですか?」


「故郷の星や。だいぶ前から使っとる」


「なるほど。長くお付き合いされているのですね」


「……まあな」


 医師は指先で映像を動かした。


「ここをご覧ください。柄の内部にまで亀裂が進んでいます」


「やっぱりか」


「表面だけの損傷ではありません。金属組織そのものが大きく変形しています」


「直せそうか?」


「方法はあります」


「ほんまか!」


「ただし、問題があります」


 医師は画面を切り替えた。


 そこには、新品のように真っすぐになったレンチが映っとった。


「損傷した部分をすべて除去し、新しい材料で再構築する方法です。十分な強度を確保できる可能性があります」


「ほう……」


「ただ、元の金属は大部分を失います。表面の傷や形状も再現はできますが、厳密には別のものになります」


 ワシは画面を見た。


 見慣れん、きれいなレンチや。


 確かに同じ形に見える。


 けど、なんや違うな。


「……それやったら、新しいの買うんと変わらんやろ」


「実用品としては、その方が合理的でしょう」


 医師が言った。


「ただ、治療にはもう一つ大切なことがあります」


「なんや?」


「患者さんが、これからどう過ごされるかです」


「……レンチの?」


「はい。再び現場に復帰されることを望むのか、それとも、これからは無理をせず過ごされるのか」


 ワシはレンチを見た。


 そんなこと、考えたこともなかったな。


「後者でしたら、別の処置もあります」


「どんな?」


「亀裂の進行を抑え、現在の形を保存する方法です」


 医師は曲がった柄を指差した。


「ただし、強度は戻りません。作業に使えば、再び破損する危険があります」


「……そうか」


「使える道具として修復するのではなく、今の状態を保つための処置になります」


 ワシはレンチを手に取った。


 曲がった柄。


 擦り減った握り。


 昔から付いとる小さな傷。


 どれも見慣れたもんや。


「……そっちで頼むわ」


「よろしいのですか?」


「ああ」


「もう仕事には使えませんが」


「構わん。別のやつ買うから」


 医師は頷いた。


「分かりました。では、これからの生活を第一に考えましょう」


「……レンチの老人ホームでもあればええんやけどな」


「ええ......、そうですねぇ」


 医師は真顔やった。


     *


 処置には少し時間がかかるらしい。


 レンチを預け、ワシらは待合室へ戻った。


「船長」


「ん?」


「レンチ、治るの?」


「まあ、これ以上壊れんようにはしてもらえるみたいやな」


「じゃあ、また使える?」


「それは無理やな」


「そっか」


 リコは少し残念そうな顔をした。


 ワシは自動販売機で飲み物を二つ買い、一つを渡した。


「ほれ」


「ありがとう」


 隣に座る。


 しばらくして、リコがまた聞いた。


「船長、なんで新しいのじゃだめなの?」


「新しいのも買うで」


「でも、あれも直すんでしょ?」


「ああ」


「なんで?」


 ワシは缶を開けた。


 ぷしゅ、と音がした。


「……長いこと使っとるからな」


「うん」


「傷もあるし、直したとこもある。気づいたらずっと手元にあったんや」


「ふうん」


 リコは自分の飲み物を一口飲んだ。


「じゃあ、好きなんだね」


「……まあ、そうやな」


 それで話は終わった。


 リコはそれ以上聞いてこんかった。


 ワシも別に、ほかに説明することはなかった。


     *


『無記名の患者様。処置が終了しました』


 呼び出しが鳴った。


 診察室へ戻ると、レンチが白い布の上に置かれとった。


 柄は曲がったまま。


 付け根の亀裂には、細い補強が施されとる。


「内部の亀裂を固定しました。元の素材をできるだけ残しています」


「ほう」


「表面の傷も、そのままにしてあります」


 ワシはレンチを持ち上げた。


 重さはほとんど変わらん。


 握るところも、いつもの感触や。


「……ええ仕事やな」


「ありがとうございます」


「助かったわ」


 医師は小さく笑った。


「ただし、何度も申し上げますが、もう強い力をかけてはいけません」


「ああ、分かっとる」


「再び使用すれば、今度こそ折れる可能性があります」


「せやな」


 医師はレンチを見た。


「長い間、お疲れさまでした」


 ワシは顔を上げた。


「……誰に言うとるんや?」


「もちろん、患者さんにです」


「……そうか」


 ワシはレンチを見た。


 まあ、悪い気はせんな。


 長いこと世話になったやつや。


「もう十分働いたからな。これからは休んでもらうわ」


「それがよろしいでしょう」


 医師は頷いた。


「長く働いた方には、休養も必要ですからね」


「……いや、工具なんやけどな」


「もちろん承知しています」


 医師は真面目な顔やった。


 ワシはレンチを布に包んだ。


     *


 受付へ戻ると、例の女性が待っとった。


「お疲れさまでした。処置は無事に終了しております」


「ああ。世話になったわ」


「こちらが退院時のご案内です」


 端末を渡された。


 保存状態の注意。


 再検査の案内。


 破損した場合の緊急連絡先。


「……再検査?」


「必要に応じて、経過を確認いたします」


「まあ、何かあったら頼むわ」


「ありがとうございます。では、お会計です」


 表示された金額を見た。


「……高っ!」


「特殊材料の処置になりますので」


「新品のレンチ何本買えるねん、これ」


「申し訳ございません」


 ワシは財布を取り出した。


 まあ、覚悟はしとった。


 金額を確認して支払う。


「ありがとうございました。お大事になさってください」


「ああ」


「患者様にも、どうぞよろしくお伝えください」


「あ、うん、わかった」


 受付の女性は、最後までにこやかやった。


 ワシは布包みを抱え直し、病院を出た。


 変わった連中やったな。


 まあ、仕事は確かやったけど。


     *


 帰りに工具屋へ寄って、新しいレンチを一本買った。


 長さは以前のとほぼ同じ。


 ただ、握るところが少し細い。


 何本か試して、一番しっくりくるやつにした。


 領収書はミミックへ送っておく。


『補償申請を受け付けました』


「おう」


『なお、先ほどの修復費用は補償対象外です』


「分かっとる」


『本日の収支は大幅な赤字です』


「……分かっとる言うとるやろ」


 《穴熊号》へ戻った。


 ワシは工具棚を開け、新しいレンチをいつもの場所に収めた。


 それから、布に包んだ古い方を取り出す。


 上段の棚に、ちょうど空いとる場所があった。


 そこへ、布ごとそっと置いた。


『船長。旧レンチは使用停止として登録しておきますか?』


「ああ、頼むわ」


『承知しました。今後の作業用工具の一覧から除外します』


「おう」


『保管品として登録しますか?』


「そうしといてくれ」


 ワシは棚の扉を閉めた。


 これでええ。


「船長」


 リコが聞いた。


「ん?」


「レンチ、退院できてよかったね」


「……まあな」


「もうお仕事しないの?」


「ああ。もう十分働いたからな」


「じゃあ、これからずっとお休み?」


「そうや」


「いいなあ」


 ワシは椅子に座った。


「……ほんまにな」


『船長』


 ミミックが言った。


「なんや?」


『明日の配送依頼が三件届いています』


「……三件?」


『はい。すべて受注可能です』


「一件でええ。一番割のええやつにしとけ」


『承知しました』


 ワシは工具棚を見た。


 古いレンチはもう働かん。


 故郷からずっと連れてきて、あちこちで使ってきた。


 これからは、あそこでのんびりしてもらおう。


『船長』


「今度はなんや」


『そういえば、患者様の退院後アンケートが届いています』


「……なんやて?」


『治療に対する満足度を、患者様ご本人が評価する形式です』


「本人?」


『はい』


「……レンチやぞ、何回言わせんねん」


『存じています』


「回答できるわけないやろ」


『では、付き添いの方による代理回答を希望されますか?』


 ワシは天井を見上げた。


「……もう退院したんや。ゆっくり休ませたれ」


『承知しました。回答を辞退します』


 道具一本直すのも、なかなか大変な世の中やな。


『なお、診療所から次回の健康診断のご案内も届いています』


「……もうええわ!」


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