第5話 知らなかったことにする
本作に登場するVtuber・事務所・団体は、すべて架空のものです。
その夜、俺は一睡もできなかった。
天井を見つめながら、俺は考え続けた。
どうする?
選択肢は、ふたつ。
A:ミオに、正体を知っていると伝える。
B:何も知らなかったことにする。
Aを選んだら、どうなるだろう。
「ミオ、お前、白百合院ロゼだろ?」
――想像しただけで、ミオの顔が真っ赤になって、そのまま家出する未来が見えた。
それに、ミオは配信で「お兄様には内緒ですわ」と言っていた。
俺に知られることを、何よりも恐れているのだ。
俺は、白百合院ロゼのデビュー配信を見ていた。
同時接続、三十人。緊張で声が震えて、何度も噛んで、それでも最後まで一生懸命に喋っていた。
あの日から一年。今では登録者十万人を超える人気Vtuberだ。
それを――俺が壊すわけには、いかない。
◇
次の日の夜。
ロゼちゃんは、珍しく雑談配信をしていた。
『今日は、皆さまに少しだけ、真面目なお話をしてもよろしいかしら』
いつもより、少し静かな声だった。
『わたくし、ときどき考えますの。もし――リアルの家族に、この活動を知られてしまったら、どうしよう、と』
コメント欄が、ゆっくりになる。
『わたくしの家族は、とても仲が良いのですわ。でも、誰にも言っておりませんの。特に――お兄様には、絶対に』
『お兄様に知られたらどうなるの?』
『……きっと、恥ずかしくて、もう配信できなくなってしまいますわ』
ロゼちゃんは、小さく笑った。
『だって、毎日お兄様のお話ばかりしているんですもの。本人に聞かれていたらと思うと……顔から火が出ますわ』
――聞いてます。
毎日、正座して聞いてます。
『でも、この場所は、わたくしにとって本当に大切な場所なんですの。皆さまとお話しする時間が、一日でいちばん楽しいのですわ』
俺は、ぎゅっと拳を握った。
――決めた。
俺は、何も知らなかったことにする。
ミオが白百合院ロゼであることは、墓場まで持っていく。
兄として、そしてデビュー当時からのリスナーとして。
俺は、震える指で、スーパーチャットの金額を選んだ。
一万円。赤スパ。
居酒屋のバイト、ざっと十時間分。プリン代でへこんだ財布には、正直かなり痛い。
でも、迷いはなかった。
名前は、いつも使っているリスナー名「通りすがりの苦学生」。
『いつも元気をもらってます。これからも、ずっと応援してます』
送信。
画面に、真っ赤なコメントが表示された。
『あ……』
ロゼちゃんの声が、止まった。
『通りすがりの苦学生さま……いつも、来てくださっている方ですわよね。デビューのときから、ずっと……』
覚えていてくれたのか。
『苦学生さまなのに、こんな……いけませんわ、ご無理なさらないで……』
『苦学生ニキの赤スパは重い』
『バイト何時間分だよ』
『ニキ、ちゃんとご飯食べてる?』
『……ありがとう、ございますわ』
声が、震えていた。
『ご、ごめんなさい。ちょっと、目にゴミが……』
『泣いてる?』
『ロゼちゃん泣かないで』
『苦学生ニキ、ナイス赤スパ』
『泣いておりませんわ! これは、お嬢様の汗ですわ!』
『汗は草』
『お嬢様の汗ってなんだよw』
画面の中で、ロゼちゃんが泣きながら笑っている。
俺も、ちょっとだけ泣いた。
◇
翌朝。
「……兄貴」
リビングで靴下を履いていると、珍しくミオの方から話しかけてきた。
「おととい言ってた、冷蔵庫。……大丈夫だったの」
「え? ああ、うん。実はあれ、ちょっと盛った。本当は五分くらいで出られた」
「……ふーん」
ミオは目をそらしたまま、何かを俺の手に押しつけた。
俺が買ってきた、限定プリンの片割れだった。
「これ、ふたつもいらないし。……あげる」
「いいのか?」
「別に。あと、兄貴、バイトしすぎ。……ちゃんとご飯食べるし」
「お、おう」
「なんか今日、悪くない気分だし」
そう言って、ミオはぷいっと顔を背けて、学校へ向かっていった。
「あら、ミオちゃん、今日は機嫌がいいわねぇ」と母さん。
「彼氏でもできたんじゃない?」と姉ちゃん。
「……なに?」と父さんの目が鋭くなる。
「若いっていいねぇ」とばあちゃん。
誰も、本当の理由に気づいていない。
俺だけが、知っている。
俺の妹が、十万人に愛されるお嬢様で、昨日の夜、ちょっとだけ泣いたことを。
――ついでに言うと、「ちゃんとご飯食べる」のくだりは、昨日のコメント欄とほぼ同じだった。
プリンの蓋を開けて、一口食べる。
「……うまっ」
やっぱり、とろりと甘かった。
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