第4話 検証
本作に登場するVtuber・事務所・団体は、すべて架空のものです。
眠れなかった。
布団の中で、俺はロゼちゃんの過去の配信を必死に思い出していた。
白百合院ロゼのデビューは、一年前。
初配信から、彼女は「お兄様」の話をよくしていた。
――『お兄様ったら、雨の日に傘を忘れて、びしょ濡れで帰ってきましたの』
先月、俺は傘を忘れてびしょ濡れで帰った。
――『お兄様、ゴキブリを見て、わたくしより高い悲鳴を上げておりましたわ』
夏に、俺はゴキブリを見て悲鳴を上げた。ミオに「うるさいし」と言われた。
――『お兄様が、寝ぼけて靴下を左右違うまま大学に行きましたの』
……行った。普通に行った。電算研でほたるに爆笑された。
「いやいやいや」
俺は布団をかぶった。
偶然だ。全部偶然。世の中の兄は、みんな傘を忘れるし、ゴキブリに悲鳴を上げるし、靴下を間違える。そういう生き物なのだ。
……でも。
確かめずには、いられなかった。
◇
翌日の夕食。
「そういえばさ」
俺は、カレーの残りをアレンジしたカレーうどんをすすりながら、何気なく口を開いた。
「昨日のバイト中、店の業務用冷蔵庫に閉じ込められてさ」
「あら、大変!」と母さんが目を丸くする。
「中から開かなくなって、三十分も出られなかった。マジで凍えるかと思ったわ」
――嘘である。
鬼灯の冷蔵庫は、今日も極めて正常に開閉していた。
「……大丈夫だったのか」と父さんが箸を止める。
「うん、まあ。店長が気づいて開けてくれた」
「ハル、冷凍庫じゃなくてよかったねー」と姉ちゃん。
「ばあちゃんも昔、蔵に閉じ込められたことあるよぉ」とばあちゃん。
ミオは――何も言わなかった。
ただ、うどんをすする手が、ほんの一瞬だけ止まったのを、俺は見逃さなかった。
◇
夜十時。
俺は、正座してパソコンの前に座っていた。
『ごきげんよう、皆さま。白百合院ロゼですわ』
始まった。
ごくりと唾を飲み込む。
『今日は、皆さまにご報告がありますの。実は、お兄様が――』
来るな。
来るな来るな来るな。
『――アルバイト先の冷蔵庫に、閉じ込められてしまったそうですの!』
来た。
『三十分も出られなかったそうですわ。わたくし、聞いたときは心臓が止まるかと思いましたの』
『お兄様災難すぎる』
『プリン兄、今度は冷蔵庫』
『お兄様、ネタの宝庫で草』
『冷蔵庫に入る兄、という概念』
俺は、天井を仰いだ。
あの冷蔵庫の話は、嘘だ。
俺が今日、我が家の食卓で、たった一度だけ口にした嘘だ。
それを知っているのは、あの場にいた家族だけ。
『まったく、お兄様ったら本当に鈍くさいんだし……あっ』
一瞬の沈黙。
『……鈍くさいのですわ。おほほ』
『今「だし」って言った?』
『素が出たwww』
『お嬢様の仮面が剥がれかけてる』
――「だし」。
家で、毎日、聞いている語尾だ。
「……確定、だ」
俺は、ふらふらと立ち上がった。
頭を冷やそう。水でも飲もう。
部屋を出て、廊下を歩く。
ミオの部屋の隣には、ミオの防音室がある。
その防音室のドアが――ほんの少しだけ、開いていた。
飲み物を取りに出たときに、閉め忘れたのだろうか。
隙間から、声が漏れ聞こえてくる。
「――ですから皆さま、お兄様のことは、温かく見守ってくださいましね♡」
聞き間違えようがなかった。
イヤホン越しではない、生の声。
毎晩聞いている、推しの声。
そして、毎朝「兄貴に関係ないし」と言う、妹の声。
――ふたつが、完全に重なった。
俺は、その場で膝から崩れ落ちた。
「妹が……」
廊下に這いつくばったまま、俺は小さく呟いた。
「妹が……俺の推しだった……」
防音室の中から、楽しそうなお嬢様の笑い声が聞こえてくる。
俺は、音を立てないように、そっとドアを閉めてあげた。
――閉めてから、気づいた。
この家には、防音室が、あと四つある。
「……いや。いやいやいや」
俺は首を振った。
さすがに、それはない。
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