第16話 騎士団長の休日
本作に登場するVtuber・事務所・団体は、すべて架空のものです。
3Dライブまで、あと一週間。
姉ちゃんは、目に見えて疲れていた。
朝は誰よりも早く家を出て、夜は誰よりも遅く帰ってくる。
そして、帰ってくると、そのまま防音室にこもる。
「カナちゃん、最近忙しそうねぇ」
「……無理は、するな」
「お姉ちゃん、顔色悪いし」
「カナちゃん、ちゃんと寝てるかい?」
家族のみんなも、心配そうに声をかけている。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。来週の大きいイベントが終わったら、ちょっと楽になるから」
姉ちゃんは笑って、ひらひらと手を振った。
その手が、少しだけ震えていたのを、俺は見逃さなかった。
俺は、知っている。
「来週の大きいイベント」が、3Dライブだということを。
毎晩の配信のあとも、防音室からダンスの足音と、歌の練習の声が、深夜まで聞こえてくることを。
でも、それは言えない。
俺は「何も知らない弟」なのだから。
◇
それは、ライブの五日前のことだった。
バイトから帰ってくると、リビングの明かりがついていた。
夜九時。いつもなら、家族全員が部屋にこもっている時間だ。
「……姉ちゃん?」
ソファの上で、姉ちゃんが丸くなっていた。
スーツのまま、鞄も床に放り出したまま。顔が、真っ赤だった。
「姉ちゃん、大丈夫か!?」
額に手を当てる。熱い。
どう考えても、熱がある。
「……ん……ハル……?」
「熱あるぞ。いつからだよ」
「……へーき……ちょっと休んだら……練習……しないと……」
「練習?」
「あ、ちが……筋トレ……筋トレの……」
姉ちゃんは起き上がろうとして、ふらりと崩れた。
俺は慌てて、その体を支えた。
「いいから寝てろ」
家族を呼ぼうとして――俺は、迷った。
今は夜九時。
父さんも、母さんも、ミオも、ばあちゃんも、それぞれの防音室の中だ。
つまり、全員が今まさに配信中である可能性が高い。
ここで呼んだら、全員の配信が止まる。
しかも、もしかしたら配信中の音声に「カナが熱出した!」なんて声が乗ってしまうかもしれない。
「……俺がやるか」
◇
姉ちゃんを部屋のベッドまで運んで、スーツの上着を脱がせ、布団をかける。
冷却シートを額に貼り、スポーツドリンクを枕元に置いた。
「……ハル、ごめんね……」
「謝るなよ。何か食べられそうか?」
「……おかゆ、なら……」
「わかった。待ってろ」
キッチンに降りて、卵がゆを作る。
居酒屋でバイトしているおかげで、これくらいはお手のものだ。鬼の店長に鍛えられた手際が、こんなところで役に立つとは思わなかった。
出汁を少し効かせて、卵をふんわり流し込む。
仕上げに、刻んだネギをひとつまみ。
お盆に載せて部屋に戻ると、姉ちゃんはうとうとしていた。
「……騎士団を……守らねば……」
寝言だった。
しかも、完全に団長の声だった。
「……三周年……みんなに……最高の舞台を……」
俺は、お盆を持ったまま、立ち尽くした。
――あの凛々しい団長は。
こんなふうに、熱を出すまで頑張って作られていたのか。
二百万人の前で、一度も弱音を吐かない騎士団長。
その裏で、毎晩深夜まで練習して、家ではジャージで電池切れになって、それでも「最高の舞台を」とうなされている。
「……姉ちゃん。おかゆ、できたぞ」
そっと声をかけると、姉ちゃんはゆっくり目を開けた。
「……ん……いいにおい……」
スプーンで少しずつ、おかゆを口に運んでいく。
「……おいしい」
「だろ。店長仕込みだ」
「ハルのくせに、生意気……」
姉ちゃんは、ふにゃっと笑った。
ジャージ姿のときより、さらに力の抜けた笑顔だった。
「ねえ、ハル」
「ん?」
「……もし、私が……すっごく大事な仕事を、家族に内緒でやってたら……ハルは、怒る?」
熱に浮かされた、ぼんやりした声だった。
俺は少しだけ考えて、答えた。
「怒らないよ」
「……ほんと?」
「姉ちゃんが一生懸命やってることなら、俺は応援する。内緒でもなんでも」
「……そっか」
姉ちゃんは、安心したように目を閉じた。
「ハルは……ほんとに、いい弟だね……」
そのまま、すうすうと寝息を立て始める。
俺は空になった茶碗を片付けて、そっと部屋の電気を消した。
◇
翌朝。
姉ちゃんの熱は、すっかり下がっていた。
「カナちゃん、昨日は大丈夫だったの!?」
「……気づかなくて、すまん」
「お姉ちゃん、言ってくれればよかったし!」
「ばあちゃん、気づかなかったよぉ……」
家族全員が、申し訳なさそうに姉ちゃんを囲んでいる。
昨夜は全員、防音室の中にいたので、誰も気づかなかったのだ。
「へーきへーき! ハルがおかゆ作ってくれたから、もう元気!」
姉ちゃんは、ガッツポーズをしてみせた。
そして、俺のほうを向いて、にっと笑った。
「ありがと、ハル。助かった」
「別に。たいしたことしてないよ」
――その夜の団長の配信は、短かった。
体調を気遣って、三十分だけの雑談だった。
『心配をかけた。もう大丈夫だ』
団長は、いつもの凛とした声で言った。
『……昨夜、我が弟が粥を作ってくれてな。それが、今まで食べたどんな料理よりも、美味かったのだ』
『弟くん有能すぎる』
『団長の弟、マジで神』
『粥のレシピ教えてほしい』
『それに、弟はこう言ってくれた。「一生懸命やってることなら、内緒でも応援する」と』
コメント欄が、一瞬だけ静かになった。
『……我は、その言葉に、救われたのだ』
俺は、画面の前で、そっと目元をこすった。
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