第17話 閑話:騎士団長シルヴィアは威厳を保ちたい
今回は、姉・カナ視点の閑話です。
本作に登場するVtuber・事務所・団体は、すべて架空のものです。
――side カナ
3Dライブ当日。
スタジオの控室で、私は鏡の前に座っていた。
鏡に映っているのは、モーションキャプチャー用の黒いスーツを着た、ただの二十八歳の女だ。
銀の鎧も、蒼いマントもない。
でも、あと三十分もすれば、私は「騎士団長シルヴィア」になる。
「……すぅ、はぁ」
深呼吸をする。
手が、少しだけ震えている。
◇
昔の私は、弱かった。
小学生のころは、クラスで一番の泣き虫だった。
発表会では声が出なくなって、運動会では転んで泣いて、いじめっ子にからかわれては、家に逃げ帰っていた。
そんな私の憧れは、絵本に出てくる騎士だった。
どんなときも背筋を伸ばして、弱い者を守り、決して泣かない。
――あんなふうに、強くなりたい。
その願いを、三年前、私はVtuberという形で叶えた。
ルミナス・ライブのオーディションに受かったとき、自分でも信じられなかった。
画面の中の私は、泣き虫じゃない。背筋を伸ばして、二百万人の騎士団を率いる、凛々しい団長だ。
でも、その代わり。
家に帰ると、電池が完全に切れてしまうようになった。
ジャージを着て、ポテチを食べて、ビールを飲んで、ソファでとろけて。
「騎士団長」でいるために使い果たしたエネルギーを、家で必死に充電している。
――だから、家族には絶対に言えない。
特に、ハルには。
ハルは、私の一番情けない姿を、毎日見ている。
「ビール取って」と頼む姿を。ソファでとろける姿を。
小学生のころ、泣きながら逃げ帰ってきた姿だって、覚えているかもしれない。
そんな弟に、「実はお姉ちゃん、二百万人の騎士団長なんだ」なんて――言えるわけがない。
◇
ひとつ、困っていることがある。
最近、ハルが私の配信を見ているかもしれないのだ。
先月、ハルの部屋に洗濯物を届けに行ったとき、パソコンの画面がちらっと見えた。
ブラウザのブックマークバー。「推し」と名前のついたフォルダ。
そして、そこに並んだアイコンの中に――銀の鎧の、見覚えのある顔があった。
心臓が止まるかと思った。
でも、ハルの態度は、何も変わらなかった。
いつも通り「自分で取れよ」と言いながらビールを持ってきて、いつも通りジャージ姿の私を呆れた顔で見ている。
つまり、ハルは気づいていない。
推しの騎士団長が、目の前でポテチを食べている姉だということに。
……当たり前か。
私だって、鏡の中のジャージの女と、画面の中の騎士団長が同一人物だなんて、ときどき信じられなくなる。
この前、グッズのサンプルが届いたときは、本当に危なかった。
でも、ハルは「見てない」と言った。
ハルは、嘘がつけない子だ。
小さいころから、嘘をつくとすぐ耳が赤くなる。
――あのとき、ハルの耳が少し赤かった気がするのは、きっと気のせいだ。
◇
熱を出した夜のことは、正直、よく覚えていない。
ただ、卵がゆの味だけは、はっきり覚えている。
出汁が効いていて、ネギがちょっとだけ入っていて、優しい味がした。
それと、ハルの声。
『姉ちゃんが一生懸命やってることなら、俺は応援する。内緒でもなんでも』
熱でぼんやりしていたから、もしかしたら夢だったのかもしれない。
でも、その言葉は、ずっと胸の奥に残っている。
「……内緒でも、応援する、か」
鏡の中の自分に、小さく呟く。
ハルは、私が何をしているのか知らない。
それでも、「応援する」と言ってくれた。
だったら、私は――。
「シルヴィアさん、スタンバイお願いしまーす!」
スタッフさんの声が、控室に響いた。
「はい!」
立ち上がる。
背筋を伸ばす。
深く、息を吸う。
――ここから先は、騎士団長の時間だ。
◇
ライブは、最高だった。
新衣装の披露。
オリジナル曲の初パフォーマンス。
サプライズで登場した、事務所の後輩たち。
同時接続数は、自己最高の三十万人を超えた。
アンコールの最後。
ステージの中央に立った私は、マイクを握りしめた。
『騎士団諸君。今宵は、本当にありがとう』
カメラの向こうの、三十万人。
そのどこかに、ハルもいるのかもしれない。
『三年前、我は一人で旗を掲げた。今、その旗の下には、これほど多くの仲間がいる。……我は、本当に幸せな騎士団長だ』
声が、少しだけ震えた。
『そして――我がこの場に立てたのは、ある者のおかげでもある』
言うつもりはなかった。
でも、言葉が勝手にこぼれた。
『先日、我が倒れたとき、我が弟が粥を作ってくれた。「一生懸命やってることなら、内緒でも応援する」と、言ってくれた』
コメント欄が、ゆっくりと流れていく。
『……弟よ。お前は、このことを知らぬだろう。だが、礼を言わせてくれ』
私は、カメラの向こうに向かって、深く頭を下げた。
『――ありがとう。お前は、我の自慢の弟だ』
コメント欄が、『弟くんありがとう』の言葉で埋め尽くされていく。
その中に、ひとつだけ。
見覚えのない名前のコメントが、静かに流れていった。
『通りすがりの苦学生:団長、最高でした。これからも、ずっと応援してます』
――どこかで見たことのある名前だな、と思った。
でも、それが誰なのかを考える前に、ステージの照明が落ちた。
◇
その夜、遅く。
家に帰ると、リビングの明かりがついていた。
「おかえり、姉ちゃん」
ハルが、ソファに座っていた。
目が、少しだけ赤い。
「ハル、まだ起きてたの?」
「……ちょっとな。それより、イベントお疲れさま」
ハルは立ち上がって、冷蔵庫を開けた。
そして、缶ビールを一本、私に差し出した。
「はい。今日は、言われる前に持ってきた」
私は、ビールを受け取って――なぜか、泣きそうになった。
「……ありがと、ハル」
プシュッ。
今日のビールは、今までで一番おいしかった。
お読みいただき、ありがとうございました!
次回は、第3章の締めくくりとなる掲示板回です。
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