桜
俺はジルダを抱えたまま、必死になって走る。
これまで進んだ道を。分かれ道に差し掛かれば、別の道へと進む。同じ道を戻っても、行き止まりしか無いからだ。
だが、俺が最終的にたどり着いたのは行き止まりだった。
土の壁しか見えない。俺は先がないかとその壁を蹴るが、残念ながら足が痺れるだけだった。
後ろからのそのそと足音が聞こえる。
ゴブリンだ。
罠にかかった俺等を笑うように、ニタニタとよだれを垂らしている。不快な顔だった。その余裕の顔を引きつらせたい、と強く思った。
「来いよ! 窮鼠猫を噛むって言うだろう! お前は俺に一矢報いられるんだ!」
俺は近くにあった石をまた拾った。先ほどと同じようにゴブリンへと投げる。今度は余裕そうに棍棒で防がれた。それから何度も投げるが、全て棍棒で防がれていた。何個もの石ころがゴブリンの足元へと落ち、俺達へと近づいてく。
無駄だった。
所詮、魔力の持たない俺では、ゴブリンに対抗手段を持ち得ないのだ。
ただの無力な学生なのだ。
俺は後ろへとジルダを庇ったまま、振り上げられた棍棒を見つめていた。自身に迫りくる凶器を見ることしかできなかった。
俺は最後を意識する。
それでも、後ろにいるジルダを守ることしか出来なかった。。
だが――桜が舞った。
ゴブリンの前に、迷宮内には似合わない美しい桃色の花弁だった。死ぬ前の走馬灯に映る幻想だと思ったが、どうやら違うようだ。最初は一つだけかと思っていた花弁が無数に増えて――ゴブリンを縦に真っ二つにした。
「なっ――」
「もう大丈夫です――」
ゴブリンの死体がずれるように地面に落ちた先には、柔らかい雰囲気の女探索者がいた。血みどろの迷宮内だというのに、未だに桜が舞っていて信じれないほど綺麗な人だった。
俺は初めて“生”で見る彼女を大和美女だと思ってしまった。
艷やかな黒髪。黒真珠のような目。白魚のような肌。そして――日本刀。さらには袴を履いており、まるで大正時代からタイムスリップしてきたような人だった。
「あなたは……?」
彼女の名前は片平弥生。
美しすぎる探索者として、メディア露出したこともあり、お茶の間でも人気な探索者だった。
だが――
「あなたがジルダ様ですか?」
そんな彼女の目線は前にいる俺ではなく、その後ろに隠れるようにいるジルダに向けられていた。
片平に合わせて視線を後ろにすると、ジルダは俺の服の裾を小さな手で握っていた。
「……」
その手を離す様子はなく、俺の後ろに隠れている。
「さあ、私が助けに来ました。これから一緒に戻りましょう。入口はここから遠いですが、私が背負うのですぐに着くはずです。みんなも心配しております」
片平の温かい声。その目は俺を見ておらず、きっと“エルフ”という国にとっての重要人物を助けるためだけにこの場にやって来たのだ。
一般人である俺を――助けるためではない。
「……アワワは?」
ジルダは何故か、俺の腰に抱きついて離れなかった。
アワワとは、きっと俺の露のことなのだと思った。うまく発音出来ていないので舌足らずになってしまうのだ。
「彼でしょうか? きっと他の探索者が助けに来るはずです。私は持っている“魔法”の特性から、あなただけなら無傷でここから助け出せるのです。ですから是非、私の手を!」
片平は俺の影に隠れているジルダへと膝を追って目線を下げてから、優しく声をかける。すぐにでも彼女を連れてここから逃げたいのだろう。一刻も早く彼女を先程の要人たちに届け、任務を完了させるのが彼女の探索者としての仕事なのだ。プロ意識が高いようにも思えた。
「……やだ。私はアワワといる」
「どうしてですか!?」
「……信用できない」
驚くような片平に対して、ジルダは俺の腰にしがみついたままだった。
「それは……私が誘拐犯の可能性があると、そう考えているのでしょうか?」
「……そう。エルフは、人気なんでしょ?」
ジルダの無垢な目が、冷酷に片平へと突き刺さる。
エルフが異世界からやってきた黎明期において、“エルフ狩り”が行われたのは有名な話だ。
眉目秀麗で魔法まで扱える彼らの利用価値は大きかった。もちろんその多くを政府やエルフ達が防いだが、何人かが犠牲になっている。
その事件をジルダは知っているのだろう。現代においてはエルフへの警備体制がしっかりとしているため、そのような痛ましい事件は起きていないが今でもエルフを狙う者は少なくない。
「……私は探索者です! 公的に認められています! このように免許もあります!」
彼女は懐から探索者としての身分証明証のカードを出すが、ジルダはじっとそれを見つめてから顔をぷいっと背けた。
「……信用できない」
だが、ジルダの答えは変わらなかった
すると片平の目が鋭くなり、俺に向いた。
「あなたからも何か言って下さい!」
「俺が何を……?」
「あなたとこの子はどのような関係なのですか!? もしもこの子の保護者なら説得して下さい! ここは危険だと! 一刻も早く私と一緒に逃げるようにと!」
「……さっき知り合ったばかりなんだけど……」
「ええ!?」
片平は驚いているようだった。
「なんでこうなったのかは分からない。というか、一緒に迷宮に来たのも事故だからな」
俺は腰に抱きついているジルダを見ながら言った。
ここまで信頼されている理由は俺にも不明だ。
「それじゃあ、この子を説得できないじゃないですか……」
片平は肩を落としていた。
「ジルダ、彼女と何で行かないんだ?」
「……一緒にいる」
俺がジルダに対して片平の指示に従わない理由を聞くと、やはり返事は変わらなかった。腰に抱きついたままだ。こんな何の力もない俺に付いていくるようだ。
相変わらず何を考えているか分からないほど、彼女は無表情だった。
それがエルフの特性なのか、彼女の性質なのかは分からない。感情を全く表に出していないのに、植物のように何も考えていないわかではなく、きちんとジルダの意思は存在しているようだ。
「俺に説得は無理なようだ」
やれやれと俺は手を振った。
ジルダが俺と一緒にいるのが正解なのかどうかは、俺には分からない。ジルダのことだけを考えれば、きっと片平弥生に預けて助けてもらうのは一番だろう。
だけど、俺のことを思えば。
自分のことだけを考えるなら、片平弥生はできれば一緒にいてもらいたい。俺にゴブリンと戦えるだけの力はない。また出会うことがあれば、きっと俺はすぐに死ぬだろうから生き残る可能性が増える。
一刻も早く帰りたい俺としては、ジルダの提案は渡りに船だった。あまり喜ぶべきことではないけど。
「……なら一緒に行くしか無いですね。二人とも私が守ります。ですので、決して私の言いつけには逆らわないで下さい」
結局は折れた片平が俺達に同行することになった。
俺とジルダは戸惑ったように顔を見合わせていると、「こちらに来て下さい」と強い声で片平が俺達から少し進んだ場所で睨む。
俺達は小さく頷いてから片平に付いていく。




