ゴブリン
俺はジルダと手を繋いで、危険な迷宮内を進む。
だけど、その一歩一歩は重たい。どこにモンスターが潜んでいるか分からないため、注意しながら先に進む。
俺はモンスターの情報をあまり知らない。一般人に公開されるダンジョンの情報は少なく、俺自身も探索者に成れないのであまりそういう情報を得るような機会はなかった。
「……ジルダはモンスターについて詳しいのか?」
だから素直にエルフである彼女に聞く。
「……少しだけなら」
ジルダは俺を見上げたまま、小さく頷いた。
「さっきのやつらはゴブリンで合っている?」
「……うん」
「何か知っていることはあるか?」
「……武器でしか攻撃できない低レベルのモンスター、としか知らない。でも力は強い」
ジルダはゴブリンについて少しだけ教えてくれた。
といっても、情報はこれで終わりだ。
力がどれぐらい強いのかは分からないが、きっと大人でも通用しないほどだろう、というのは知っている。
「なら、出会ったら逃げるしかないな」
「……私もそう思う」
ジルダは小さく頷いている。危険な状況だと言うのに、彼女の表情は変わらなかった。
俺はこんな状況で索敵以外に気を使うのは駄目だと分かっていながらも、先程のメッセージを思い返してスマートフォンを手に取る。
――お母さんが急変したって。
妹から送られてきたメッセージは変わらなかった。
その意味が、俺の心に深く突き刺さった。
俺の母さんは現在入院している。病気だ。癌だ。去年に見つかったんだけど、その時既にステージ4であり、ほぼ末期だと言われていた。もう死期が近いらしい。父がダンジョンに巻き込まれて亡くなってから、一人で看護師として働きながら俺達兄妹を育ててくれた。
そんな母が倒れてからは、俺や妹も何度も病院に通って母との時間を大切にしている。
今だってこんな災害に巻き込まれていなければ、すぐにでも母の元に駆けつけたいと思っている。
「……どうしたの?」
「何でもない。大丈夫だよ――」
「そう……」
俺は焦る気持ちを隠すようにスマートフォンをポケットの中に入れた。
生き急いではいけない。そう強く思いながら、一歩一歩ダンジョンを踏みしめる。もしも走って行った先にモンスターがいれば、俺の人生はバッドエンドだ。この子もろとも殺されるだろう。
ああ――力が欲しい。
魔力さえあれば、こんな状況を引っくり返せるのに、と思ってしまった。
そんな俺の感情が伝わったのか、ジルダが俺の目を見上げるようにずっと見つめていた。
ジルダに不安を与えないように俺は表情を崩してから、気になっていたことを聞く。
「そう言えば、ジルダはエルフで合っているんだよな?」
「そう――」
「日本はどうだ? あ、ジルダはこっちで生まれたのか――」
俺はエルフについての知識を思い出したように、罰が悪そうな顔をする。
これは学校で習った歴史の授業だが、エルフが異世界から逃げてきてもう三十年ほど経つという。ちょうど門震が発生し、世界にダンジョンが現れて世界がモンスターが現れる少し前にエルフは難民として“異世界”から現れた。
彼らは最初に現れて、国際社会に魔法という未知なる力を示し、魔物と魔族の脅威を訴えてから、魔法を無償で全人類に授けるとの声明を行った。
国際社会は魔法を独占しようと、日本に様々な圧力をかけようとしたところに門震によりダンジョンが発生し、仕方なく魔法が使えるエルフが平定に助力した。
それから国際社会はエルフの魔法の技術を受け入れて、現代では様々な思惑が重なりながらも、各国が協力してダンジョンという脅威に立ち向かうことになった。
それから多くの時が流れて、現代においてエルフは市民権を得ていた。“人よりも長い寿命を持つ”彼らの代替わりは人と比べると非常にゆったりとしているが、新たなエルフも生まれているという。
俺はジルダについても、そんな新しく生まれたエルフだと思っている。
「……」
ジルダは首を傾げていた。
はっきりとした回答は得られなかった。
どうやらどこで生まれたのか、あまりよく分かっていないようだ。うーん、俺も小さい時は生まれなんて気にしたことがなかったから、そういうこともあるのかもしれない。
「うーん、じゃあ、この辺りの印象はどんな感じだ? エルフ達は特別な場所に住んでいるんだろう?」
彼らの住む場所を俗に“特区”と言うこともある。
領事館のように治外法権が認められているのだ。その場所を政府は正式に公表していないのだが、彼らを守るためだと言われている。人よりも平均的に優れた容姿を持つ彼らは、好意の対象になりやすく、過去にはストーカーや熱心なファンもいるのだ。
彼らを守るための処置らしい。
「……よく分からない」
ジルダは前を向きながら変化に乏しそうに言った。
「そっか。まあ、きっといい感じだよな」
「……」
ジルダは、うん、ともなんとも言わなかった。少し戸惑っているようにも思える。
俺はそんなジルダに微笑んでいると、彼女が足を止めるのに合わせて立ち止まった。先の虚空を見つめている。俺もジルダと同じように虚空を見つめた。
足音が聞こえた。何かを引きずるような音がする。俺はジルダを後ろに隠しながら一歩、また一歩と後ずさる。
「……多分、ゴブリン……」
ジルダが先に教えてくれた。
やがて、闇の中からモンスターが現れる。緑色の体。醜い顔。そして――血で赤く染まった棍棒。
ゴブリンはにたあ、と嗤いかける。獲物を見つけた顔をした。
やばい。
俺は顔が引き攣っていた。
先程のゴブリンだと思った。身長も、棍棒の血の位置にも見覚えがある。きっと先程のゴブリンが獲物を探してこの辺りを探索していたのだ。それに俺達がまんまと引っかかった。
どうする?
決まっている。逃げるしかないだろう。
俺は後ろに隠しているジルダを感じながら、いつ、抱えて全力で走るか悩んだ。だけど、一つだけ悩んでいることがある。この後ろは分かれ道が幾つか合ったが、先に続いているか、と言うことだ。
もしも行き止まりなら、俺達の命はない。
でも、それしか生き残る方法はなかった。
ゴブリンは棍棒を肩に担いでいる。獲物を前にしてニタニタと余裕そうに嗤うゴブリンが癪に触った俺は、足元に落ちていたこぶし大程の石を拾った。俺はそれをゴブリンへと全力で投げつけた。
俺を油断していたゴブリンは防ぎすらしなかったので、石を食らって顔をのけぞらせた。俺はその隙にジルダを抱えて逃げる。後ろを一瞬だけ振りけると、眉間に傷がついているゴブリンは先ほどとは違い、目に復讐の炎が浮かんでいた。
きっとネズミにつけられた傷が癪に触ったのだろう。だが、ゴブリンは走らない。俺達を歩いて、追い詰めるつもりだった。




