教育
私はこの時、初めて痛みという感覚を自覚したのかも知れない。
「――ジルダ、もう一度言ってやる。お前の役割を。お前は我らの為に犠牲になるのだ」
要するに、トゥイグは私の立場を分からせるために“教育”に来たようだ。
そしてこの時に初めて、私の父と母のことを知った。“魔王”を私の中に封じたのは、私を産んでくれた者達だと。
トゥイグは私たち――『白き命の木の民』についてや私の現状について少しだけ教えてくれたが、私が彼に親しみを持つことはなかった。
彼が私に与えてくれたのは、愛ではなく、“痛み”だったからだ。
「――お前は、これから先、どんな痛みを受けても耐えられるようにならなくてはいけない。それがお前の両親の期待に答えるということだ」
魔力が籠もっていなかったために、ただ、私に痛みを与える行為を彼は行うのだ。それも時たまやってきては、私をただ蹴り、ただ殴るのだ。最初は私も“痛み”という初めての感覚で、泣いて苦しんだ。
だが、その行為すらトゥイグはせせら笑った。
「もっと泣いていいぞ。それでもお前が“魔王”を解放しないということが、私たちには安心感に繋がる!」
トゥイグはそう言いながら私を叩いた
「もっと叫べ! もっと泣け!」
トゥイグはそう言いながら私を殴った。
「お前は俺達の痛みを背負うのだ!」
どうやら私が泣いて叫ぶ様子をトゥイグは愉しんでいるように感じていた。
だが、次第にそれにも慣れていった。
私という生き物はどんな環境でも受け入れて、それに順応して生きていく生き物のようだった。
トゥイグからの暴力は、私から反応が引き出せなくなっていくに連れて、より激しくなっていった。
私の体に痣が残るようになったのだ。部屋に鏡が無かったため、手や足の痣しか私は知ることがなかったが、どうやら顔などにも刻まれていたようだった。
その頃だった。
トゥイグが私のところに来なくなったのは。
あとから聞いた話だけど、私の体に痣が残ることを侍女たちが族長に報告したようだった。それから私の教育係からトゥイグは降ろされた。
だけど、侍女たちは決して、私を守るために報告したのではないと思う。
私の部屋の外で、小声で話しているのを私は聞いたのだ。
「――本当に魔王を解放しなくてよかった」
「――トゥイグはあの子に暴力を振るうなんて頭がおかしいのよ」
どうやら侍女たちはトゥイグの行為によって、私が『白き命の木の民』に恨みを抱いて“魔王”を解放することを恐れたようだった。
私がこの世界の全てがもうどうでもよくなって、全てを滅ぼすことを恐れたのである。
それから私の教育は書物となった。
侍女たちが私の部屋に、幾つかの絵本を置くようになったのだ。
その中には基礎的な文字の知識はもちろんのこと、常識的な内容も含まれていた。私たち『白き命の木の民』のことや、魔法の基礎知識、また世界についてや、正義についてなど様々なことだ。
情操教育だった。
『白き命の木の民』である彼らは、いかにこの世界と我らの“神”である『白き命の木』が素晴らしいか、はたまた人を殺さないや社会正義などをやんわりと教えるのだ。決して間違えないように、トゥイグのように押し付けることはなかった。
だが、その教育すらもいかに私が魔王を解放しないことを第一とした教育だったように思える。
そして私がこの世界に不満を持たないように、私の要望はすべて飲まれるようになった。
だが、その時には既に、私が彼女たちに何かお願いすることはもうなかった。
私は幾つかの絵本で世界がこの小さな部屋だけでなく、外があることを知ったので、この部屋から出たい、と言った。
それ以上のことは言わなかったが、侍女たちはお互いに困ったように顔を見合わせながら、「安全を確認してきます」と言った。どうやら私が外に行っても大丈夫なのか、誰かに確認しにいったようだ。
そんな時だった。
ソフィーと出会ったのは。
彼女はまだ若いながらも、既に魔法使いとして『白き命の木』から一目置かれている存在だったらしい。だからこそ、私の“付き人”になったのだ。私が「外に出たい」という要望に答えるために、魔法使いの中でも特に優秀な者を選んだようだ。
それから私の行きたい時に、外に出られるようになった。
私が生まれた場所は――綺麗なところだった。
私たちが“神”と称える『白き命の木』の上に、私達は住んでいたのだ。大きな木の上に私たちは幾つものログハウスを立てて、さらに遊べる広場なども存在していた。
もちろん全ての『白き命の木の民』の民が『白き命の木』に住めているわけではなく、族長やその一族、もしくは要人など一部の人だけだ。
彼らは私が外に出ることに、険しい顔をして遠くから見守っていた。私はその様子をぼーっと見ていたが、気持ちのいいものではなかった。
私の外出はまず、日光を浴びることから始めた。
ソフィーとの距離は他の侍女よりも近いものだったが、他のものと同じく私の近くには誰もいなかった。
それから何度か外出して、私の行動範囲は『白き命の木』からその外へと及んでいた。もちろん私の傍にはソフィーがいて、私の行動を全ての民が怯えるように注目していた。
そんな風に外を歩いていた私は、子どもたちが遊ぶ広場を見つけた。草原が生えた広い空間であり、母親だと思う優しき人たちが、私のように小さな子を連れていた。彼らは小さな花を摘んで冠を作って遊んでいたのだ。
彼女たちは互いに楽しそうに微笑んでいた。二人での温かい空間を共有しているのだ。
私には、衝撃的だった。
雷に打たれたように、私の足が止まってしまった。
私には信じられない光景だったのだ。
これまで私の周りにいた大人たちは、私には無表情、あるいは嫌悪しか示さなかった。笑みを浮かべる者としてトゥイグはいたが、彼は愉悦の顔であり、自らの快楽だけだった。
だけど、眼の前の光景は違っていた。
大人が私のような子供に対して慈しみを持った笑みを浮かべて、子供も大人を安心してその場の物を楽しんでいるのだ。また子どもが作ったものを大人に見せると、頭を撫でながら褒めている。
私には向けられたことのないものだった。
あの“温かみ”は、生まれてこの方感じたことなかった。
だから、私も、あれが欲しくなってしまった。
手を伸ばしてしまう。
本能だろうか。それとも私に足りないものだったからだろうか。
私にとって人というのは安らぎではなく――監視である。私の全て見張られているのだ。当然ながら生殺与奪でさえも。
きっと私の中に“魔王”がいるからだろう、と思う。
大人たちの願いは、私が“魔王”を封じることで、それ以外は波風立てずに生きながらえてさえいればいいのだ。
だが、そんな私にとって足りないものが欲しいという些細な願いでさえも、誰も叶えてくれなかった。
「ひ、姫様! か、帰るわよ。申し訳ございません。お花を望むのならこちらにどうぞ。どうぞ、ごゆっくり、と」
多数の大人を引き連れている私が近づいているのに気づいた大人は、すぐに子どもの手を引っ張ってその場から去ってしまった。
どうやら私が、子どもが遊んでいた花に興味あると思ったからのようだ。
だが、私が欲しいのは、そんなものではなかった。
私がこの時に子どもが編んでいた花を摘みながら思ったのは、次なら誰か“温かさ”を与えてくれるだろうか、といくことだった。
だからこの事があって以来、私は子どもたちが遊ぶ場にソフィーを連れて出かけるようになった。あの時に欲しかったものがそうすれば手に入るのではないか、と私は幼い頭で考えていたのだ。
――だが、それは叶わなかった。




