救い
俺がジルダについて、知っていることと言えば、強大な力を持つことと意識があることだけだ。
それ以外には何も知らない。
こいつはどこの誰で、どうしてジルダの中にいるのか。そもそも“人やエルフ”であるならば、どうして人の中で魔力の塊として存在しているのかが俺に亜h分からなかった。
――魔法というのは、そういうのも可能なのだろうか。
「……そうですね。露様は知っていてもいいのかも知れません。ただし、誰にも――口外しないでくださいね」
ソフィーさんは窓側の扉に肩肘をつきながら、いつもの無表情で運転しているが、少しだけ超えが震えているようにも思えた。
きっと気の所為ではないはずだ。
「――分かった」
俺は、深く頷いた。
「どこから言えばいいでしょうか。かつて――私たちの住む世界に“魔王”がいました。世界を混沌に陥れた存在です。その魔王は“勇者”と“聖女”が封印したのですが、それが姫様です」
「つまり――」
「――姫様の中には“魔王”がいます。この星をも、壊せるような力を持っています」
ソフィーさんの言葉を聞いて、俺は『世端』へとより深く魔力を注ぎ込んだ。俺の魔力の奥底にいる“魔王”の存在を感じ取る。
少し、生暖かい気がした。
◆◆◆
ホテルの一室で、肉を殴る鈍い音が腹から伝わる。暴力を受けているのは私だ。耳の長いエルフの男から、一方的に硬い皮の靴で蹴られているのだ。私は床に横たわったまま、それを耐える。痛い気がするが、自分の意識と体の感覚がかけ離れているようで、何も感じなかった。
目に映るのは分厚い雲で隠れた真っ暗な夜と、雨粒だけだ。いつの間にか雨になっていたようだ。
「――ジルダ、お前が“奴”を解放すれば、お前を縛る全ての楔が無くなるんだ。俺がお前を殴っているのは、『白き命の木の民』としての行持を取り戻すためだ。どうだ、ジルダ! この世界が醜いと思わないか?」
エルフの男――トゥイグは、私の髪を掴んで無理やり立たせると、窓の向こうに広がるコンクリートジャングルを見せてきた。夜だというのだから真っ暗な筈の歓楽街は、街灯やネオンライトによって昼のように明るい。
故郷では考えられない光景だった。
太陽の輝きや月の明かりだけが私たちにとっての“光”であり、火ですら限られた時にしか使うことはない。私たちは温暖な場所に住んでいたので普段は樹の実や果実のみを食べて、何日か置きに肉を食べる習慣があるだけだ。
温かい物を食べる文化もあまりなかった。
そんな私たちにとって、この世界はとても生きにくいものだった。木の香りは殆無く、町中に出れば人の声や機械の作動音などがとても五月蝿いように感じるのだろう。
とはいえ――私は何も思わなかった。
トゥイグに何を言われても、私の気持ちが変わることは決してなかった。“これ”を解放することなく、トゥイグの暴力と言葉を聞き流すだけだった。
それをしていると、苛立つようにトゥイグは私を部屋の隅の壁へと投げて、大声で怒鳴る。
「ジルダ、よく考えろ! 何がお前にとって救いになるかを! どうすれば、かつての故郷が私たちの元に戻るかを!」
それからトゥイグは一旦部屋から去った。
トゥイグの姿がなくなっても、私は床に倒れたまま起き上がることはなかった。豪華なシャンデリアの天井を見ながら、私はトゥイグの言葉を振り返る。
――私たちの故郷。そんなもの、“私”には存在しないのに。
思わず笑いそうになったものなのだ。
私は郷愁というものがなかった。この世に生まれ落ちてから殆の時を、このような狭い空間で過ごしたのだから。木を見るのは窓からだけ。小鳥すらも私の部屋にはやってこなかった。
物心ついた時のことを思い出す。
乳母たちは、私を――化物を見るかのような目で世話していたのだ。
◆◆◆
私は自分の生まれをよく知らない。
父が誰で、母が誰なのか。傍にいた者は何も教えてくれなかった。これは乳母達が話していた内容を覚えているのだが、どうやら私は赤子だった頃の殆どをベッドの上で過ごしていたようだ。
子どものように私が泣けば乳母達がやってきて世話してくれたらしいが、必要最低限しかされなかったらしい。おしめやミルク、その他最低限の着替え等だけだ。次第に私は泣かなくなって、あまり手のかからない子になったようだ。
きっと赤子の時の私は、次第に諦めていったのだと思う。
最初は泣くことによって、多くのことを表現しようと思ったのだ。
お腹が減った。鼻が痒い。おしめが気持ち悪い。陽の光が眩しい。五月蝿い音が聞こえる。なんか気持ち悪い。そんな要望を私は泣くことでしか表現できなかったのだが、命に関わること以外は基本的に放置された。着替えが定期的にあったのも、私を清潔に保つことで病気にならないように配慮されたのだろう。
乳母達は――私を怖がっていたようだった。
理由は簡単だ。
私の中に“魔王”と呼ばれる者がいるからである。私はこの者をあまりよく理解していない。“魔王”と話す機会も無ければ、“魔王”についての話を聞くこともあまりなかったからだ。
ただ、感じるだけだ。
五臓六腑の奥底で、恨みを抱いて眠っているような気がする。だが、私が生きている限り、“魔王”が表にでることはない。
そのように――封印されているからだ。
私はそれから赤子を卒業し、少しだけ大きくなった。寝返りやハイハイができるようになり、活動範囲が広がったのである。
それでも私の部屋は変わらなかった。小さな部屋に閉じ込められて、全面に布が敷かれた部屋で一日を過ごすのだ。部屋自体はいつでも出ることが出来た上に、侍女も部屋の扉が開いた先にずっといたが、私はあまり出ることがなかった。
本能だろうか。
私はハイハイできるようになってから、彼女たちに何度か抱っこを求めたことがあったが、彼女達が応えてくれることはなかったのだ。冷たい視線でそっと避けられるのである。
毎日顔が変わる侍女たちは誰であっても、対応は殆ど変わらなかった。だから私はそんな侍女たちと信頼関係を築くことが出来なかったからだろう。
彼女たちはずっと遠くから見ているだけだったのだ。
侍女である彼女たちから、“温かさ”を感じたことはなかった。
そんな私は少し物心ついてから、侍女同士が話す内容を聞いていたため言葉が少しずつ話せるようになった。
だから知らないこと、聞きたいことを無邪気な顔をして、諦めずに彼女たちに話しかけていたのだ。
だが、侍女たちの反応は乏しかった。
答えてはくれる。私が投げた質問に当たり障りのない返答はしてくれるが、それ以上の答えはない。また能動的に侍女たちが何か私に教育をしてくれることはなかった。
そんな私は物心ついた時から、一日のほぼ全てを小さな部屋にある窓から見える外を見て過ごした。木漏れ日の隙間から見える空の変化を一日中感じ、四季折々の木の変化を見るのだ。
そして侍女たちが用意する食事を食べる。私はこれ以外の生活を知らなかったため、他の者もこのように暮らしているのだと本気で感じていた。
それから少し成長すると、少しだけ教育されるようになった。
トゥイグだった。
彼は前族長の子であり、村内でも高い地位にいる男らしい。
彼はニタニタしながら言った。
「――ジルダ、お前は贄だ。お前の父と母が、お前に“魔王”を封じたのだ。我らを守るためにな。だからお前は両親の期待に応えないといけない。何が合っても、それを表に出すな。それがお前の役割だ」
そう言って、トゥイグは、私を殴った。




