エルフの男
エルフの男――トウィグに連れられてジルダがやって来たのは、府内にあるホテルだった。
最上階のスイートルームである。最上階全てを貸し切っており、部外者は誰もいなかった。ジルダはトウィグの言うことに一切逆らわず、大人しく付いていた。そしてリビングルームに入った直後、トウィグは何も言わず、後ろにいたジルダを裏拳で殴った。
柔らかい地面を転がったジルダは唇を切ったのか、口からは赤い血が出ていた。その状態のまま、起き上がろうともしなかった。そんなジルダの髪を持ち上げながら、トウィグは冷酷な声で言った。
「――ジルダ、どうして俺がお前をここに連れてきたか分かるか?」
男の言葉に、やはりジルダは反応しなかった。
しても無駄だと知っていたからだ。
虚ろな目で眼の前のトウィグを眺める。
トウィグは微かに口の端を上げて、もう一度手で叩いた。
「トウィグ様、宜しいのですか? その者は貴方様達にとって、重要な人物なのでは?」
その様子を見ていた大男である岩盤は、目を伏せたまま言った。
「いいんだ。こいつは所詮、贄だ。俺達の為に“あれ”を封印するためにいる。それ以外に価値はない女だ。長老どもは“あれ”にビビって、こいつの言うことをすべて聞いて軟禁しているがな――」
トウィグはそう言いながら、もう一度ジルダの顔面を殴った。頬が赤く腫れた。
「で、だ。ジルダ、お前を連れてきた理由は一つだ。」
そう言っている間にも、トゥイグはジルダを殴る。まるで物言う三どんバックのように。
「“あれ”を解放しろ。“あれ”の力があれば――人を、根絶やしに出来るだろう?」
トウィグは、眉間に皺を寄せながら言った。
ジルダはやはり反応しなかった。
その様子に苛立ったトウィグは、掴んでいるジルダを窓へと投げた。窓が割れない程度の強さで。だが、ジルダの額が避けて、やはり赤い血が流れる。そのことにトウィグは気にも留めなかった。
「見てみろ、ジルダ。この世界では“人”と名乗る蛆虫共が、うじゃうじゃといる。まるで星にたかる虫のようだ。奴らは森を切り、火を燃やしている。唾棄すべき行為だ。そんな獣どもを駆逐し、森を守るのが、森に生きる俺達――“白き命の木の民”の使命だと思わんか?」
そんなトゥイグはジルダが倒れている傍に立ち、窓越しの眼下に広がるコンクリートジャングルを冷たい目で見下ろした。
何百もの車が黒い煙を吐き、小さな人が集まって線となっている。
だが、その中に自然は数えるほどしか無く、温かみのないコンクリートしかトゥイグの目には移っていなかった。そんな光景にトゥイグは唾を吐いた。気に入らなかったからだ。
「そもそもエルフという名も気に入らない。我らを示すのは、過去も未来も“白き命の木の民”の筈だろう? 猿どもの言葉じゃない――」
そもそも――エルフ、とは、彼らの種族名ではなかった。
この世界に彼らが降り立った時に初めてであった者が、耳が長いことからエルフと呼んだことから、よりこの世界の人――即ち地球人により馴染みを持つようにと、本来の種族名である『“白き命の木の民”』を使うのを止めて、エルフを名乗るようになったのだ。
当時の族長の判断だった。
そのおかげか、現代ではエルフは敵対種族として認定されず、地球人から有効種族として保護されるようになったのだが、トゥイグは不満だった。
――何故、誇りある名を捨ててまで、このような浅はかな猿どもに従わなければならないのだと。
「――だからだ、ジルダ。お前の“それ”を解放しろ。“それ”の力を使えば、こんな星に住む猿どもを根絶やしに出来るだろう?」
こんな取るに足らない星などさっさと征服して、我らに住みやすい星にしてしまえばいい、とトゥイグは考えていたのだ。
「……」
ジルダはそんな話を聞かされても、何も言わなかった。
トゥイグの浅はかで薄っぺらいなど想像できたからである。その先に何が待っているかを彼は想像できないのだ。だからジルダは彼に従った場合のことを考えると、やはりどうしても従う気にはなれなかった。
だから瞬きすらもしなかったのである。
「やはり、無言か。昔と一緒だな。痛みには慣れているようだ。少し前にもこうしたものだ。あの時も、同じ提案をしたのに、お前は何も言わなかった――」
トゥイグは床に倒れているジルダを蹴って、窓へと強く叩きつけた。ジルダの顔面が窓に勢いよくぶつかり、透明なはずのガラスに赤い跡がつく。
ジルダは痛みを堪えることもなく、ただ淡々と受け入れているようだった。
「まあ、女どもにはバレて、罰を受けそうになったがな。あの時は軽くしか“小突け”なかったが、今は違う。ジルダ、ソフィーには、お前が護衛を俺に変えるように言った、と伝えた。だからもう助けが来ることもないぞ。お前は“それ”を解放するまで、ここにいるからな――」
ジルダは何も言わなかった。
そんな彼女の頭をトゥイグは踏みつけた。だが、本気ではない。魔力を纏っていないからだ。あくまでこれらの行為はジルダの身を削るためだけで、殺すつもりは一切無いようだった。
「おい、岩盤。何故、お前はまだここにいる?」
それを何度か行った後、トゥイグは部屋の入口で待機している岩盤が気にかかった。普段は用が済むと、他の護衛と同じように部屋から出て外で待機するからである。
それなのに今日に限っては、同じ空間にいる。
トゥイグにとっては、少し不愉快なことだった。
「――少し、気をつけた方が宜しいかと思いまして」
「何についてだ?」
トゥイグは、小さな舌打ちをした。
「“あの少年”です」
「あんな猿の何に気をつける? 固有魔法も持たない魔法使い擬きだろう。あんなゴミはこの世界にはごまんといる。所詮は魔力を持っただけの、我らの真似事だ。ジルダ、お前もあんなやつを護衛に選ぶなんて、本当に見る目もない女だ」
トゥイグは見下すようにジルダの隣にいた鵲露のことを思い出していた。不細工な青年だったと記憶している。
岩盤との戦いを見ていたが、『強化』しか使っていなかった。全ての者が固有魔法を持っている『白き命の木の民』にとっては、固有魔法を持たない者など落ちこぼれもいいところだった。
もしも『白き命の木の民』で固有魔法を持っていないのなら、自分たちの仲間と認定されずに枯れ葉として処理されるだろう、とトゥイグは思っている。
そもそもそんな汚点が同種族にいるのなら、自分がまっさきに殺しにいく、とトゥイグは考えていた。
誇り高き民に、汚点はいらない。もしも殺したとしても、罪に問われることもないだろう、と本気でトゥイグは思っている。
「……」
誰にも見られないように床に顔を付けたまま、少しだけジルダが唇を噛んだ。
「――少し、不可解に思ったのです」




