帰宅
いつの間にか夜空の満月と星達は分厚い雲が隠していた。ぼろぼろの俺の肉体を、冷たい雨が濡らす。ポケットに入っていたスマートフォンは岩盤との激闘で壊れており、帰り道すら俺には分からなかった。
幸いにもまだ魔力は残っていたので、強化した体だと簡単に木々の上に登ることができた。その結果、街らしき明るい方向を見つけられた。その方向へ俺は進もうとするが、岩盤との戦いで殆ど全ての魔力を失っており、これ以上『強化』を使うことすらままならなかった。
だから、帰るためには方向だけが分かっている深い森の中をがむしゃらに歩くしかなかった。
無造作に生えた木々やその根っこは俺の行く手を阻む。さらに森が深すぎるあまり、登山道など無く、獣道を立った一人で歩いていくしかない。
そんな中、痛む体を必死になって動かしながら、俺は帰路を急ぐ。ただの人の身では、帰るまでにどれだけかかるのか俺には分からなかった。
まるで出口のない迷路を彷徨っている気分だった。
そもそも明るい場所が街かどうかも分からないのだ。あの先に見えるのは蜃気楼で、実際には何もない可能性もある。もしくは明るいだけで街ではなく、鉄骨か高速道路かもしれない。本当の街はもっと下に多くの光が見えるのだが、流石に遠すぎて人の足だと辿り着ける気がしなかった。
俺は無心になって、森の中を歩く。
寒い、と感じてしまった。雨によって全身がびしょ濡れになっているからだろう。激しい雨の勢いは止まることなく、周りの蝉の声や鹿の鳴き声を消すほど強くなっていった。
その結果、俺は大きな石を踏んで先に行こうとした時に、足をすべらせてコケてしまった。さらに坂道だったので、激しく転がってしまう。体のあちこちが木々によって浅く傷つき、全身が泥まみれになってしまった。
「はあ――」
俺は深い溜息を吐きながら、木々の隙間から空を見た。
だけど、明かりは何も見えず目の中に雨が入ってきて痛かった。だから横を向いて、雨を凌ぐ。立つ気にもあまりなれなかった。
怪我によって熱っぽい体が、酷く冷えていく。
頭もずいぶんと鮮明になって、どうやって帰ればいいのか考えたくもなるが、どうしても頭の中に占めるのはジルダのことだった。
あのエルフの男が誰なのか、俺は知らない。どうやらジルダは知っているようだ。また、ソフィーさんとも知り合いのようだ。エルフの数は少ないので、きっと全員が知り合いなのだろう、と考えてしまった。
考えてみれば、俺のエルフの知り合いはジルダとソフィーさんだけで、ジルダは俺に何も教えることがなければ、ソフィーさんも断片しか情報をくれない。きっとまだ俺を信頼していないのだと思う。
そんな中で、あの男が俺を徹底的に痛めつけてまでジルダを連れ去った理由が、俺には分からなかった。以前に聞いたソフィーさんの話では、ジルダの中に眠る“あいつ”は悪夢である、と言っていた。とすれば、エルフはジルダのことを忌避するのではないか、と思うが、どうやらあのエルフの男は違うようだ。
何か理由があって狙ったのだろうか。
例えば、ソフィーさんから護衛の座を奪いたいとか。もしかしたらジルダの護衛という立場がエルフの中では価値のあるものなのかもしれない、と思ってしまった。だが、真実は何も分からない。
どうしてあいつは俺を憎んでいたのか、あそこまで俺を痛めつけるのに理由は合ったのか、ジルダのことがどうして欲しかったのか、そればかり考えてしまう。
だが、雨に心配をかけないためにも俺は帰らないといけない。まだ家族を失ったばかりで、あいつも不安定だと思うから今頃は泣いているかもしれない。
なんとか覚えている住所と家の特徴から、やっと降りた山道で車を止めて運転手に今の場所を聞きながら、なんとか家にたどり着くことができた。
まだまだ夜が深く、大雨も続いている。だが、大きな家にはまだ明かりが着いているようだった。
鍵は持っていたので、簡単に開くことができた。できる限り音を鳴らさないように気をつけるが、どうしても金属音が鳴ってしまう。
すると、奥からドタバタと足音が聞こえてきた。
やってきたのは、やはり雨だった。いつもと同じようにいちご柄のパジャマを着ている。ずっと起きていて、さらに泣いていたのか、目も腫れぼったく鳴っている気がした。
「お兄ちゃん! 大丈夫!?」
ぼろぼろな俺の姿を見て、雨は驚いたように口を開けてしまうが、それを片手で押さえている。
「大丈夫……だ」
俺は疲れた様子だったと思う。
「そんなこと言って、そんなに体もびしょ濡れで! それに返ってくるのも遅いから、心配したんだよ。何度も連絡したんだからね!」
雨は目に涙を浮かべながら抱きついてきた。どうやら俺の体が濡れているのも気にならないようだ。そんな雨の頭を俺は優しく撫でるように受け止めていた。
「ごめんな――」
いつもの雨だったので、俺も安心したかのように表情が崩れた。
「あ、そうだ! ジルダちゃんは? 一緒じゃなかったの?」
「ジルダは……」
思わず俺は口を濁してしまった。
なんて言えばいいか分からなかったのだ。
まさか俺を見捨てて別のエルフのところに行ってしまったなんて。
「お兄ちゃん! 何があったの! 教えて! きっとお兄ちゃんがそうなったのに関係があるんでしょ!?」
鬼気迫る雨の様子。
そんな彼女に俺は口ごもりながら、言った。
「実は……」
俺はジルダとタクシーに乗って、それから襲われたことを口にする。
そして、俺の力が全く歯が立たなかったこととジルダがエルフの男に着いていったことを言った。
言うしかなかった。隠しても意味がないと思ったからだ。
「お兄ちゃん!」
「……何だよ?」
「――いつ、ジルダちゃんを助けに行くの?」
雨が言ったのは衝撃の言葉だった。




