岩盤
「いきなりかよっ!」
俺はジルダを抱え、後ろに避けた。
岩盤と呼ばれた男が地面を殴ると、まるで爆発したかのように大きな穴が空いた。凄まじい威力だったので、俺の顔が引き攣った。
以前の俺であれば、迷わず逃げていただろう。
奴は――魔法使いだ。それも固有魔法を持っている優れた魔法使いである。魔力を持たない一般人の頃なら戦うすべを持たず、俺は助けを乞うか逃げるしか選択肢がなかったが、今の俺には魔力がある。
全身を魔力で『強化』する。
その状態のまま、駆け出した。
「……駄目」
ジルダの制止も俺は聞かなかった。
これまでモンスターを倒したのと同じように、岩盤を力いっぱい殴った。大きな両腕を揃えられて、盾のように防がれた。衝撃が拳骨に伝わる。まるで大きな岩を殴っているようだった。魔力で強化しているため拳は壊れていないが、割れるどころか岩盤を一歩たりとも後ろにのけぞらせることも出来なかった。
「――子供、攻撃が軽いぞ」
岩盤が、大きな腕を振るった。
俺も片手で防ごうとするが、それごと潰されてふっとばされた。だが、なんとか受け身を取り、地面からすぐに立ち上がる。
だが、そんな岩盤に距離を詰められた。
俺は離れるのではなく、逆に距離を詰めて指を伸ばして手刀で岩盤の目を狙う。岩盤は反射的に頭が後ろへと動いたので、地面を強く蹴って顔面に飛び膝蹴り。手刀はブラフだ。
だが、岩盤は頭で受けた。膝が割れるかと思うほど痛かった。俺達はその衝撃でお互いに距離が離れるが、またしても距離を詰めていく。
幸いなことに、速さは俺の方に分がある。
『強化』が馴染んだ体は、羽のように軽かった。頭へとハイキック。回転してからの肘。突き。前蹴り。
続けるような攻撃の連続を、岩盤は両腕を揃えて岩のように受ける。
まるで俺は硬い岩をがむしゃらに殴っているようで、むしろ攻撃している俺の拳骨のほうが裂けて両手が真っ赤に染まっていく。それでも気にせず、右手を全力で撃ち抜いた。
だが、岩盤はそんな攻撃の全てを受けきった。
俺はあまりにも攻撃が通じないことに、目を大きく見開いた。それどころか、攻撃をしすぎるあまり
「次はこっちの番だ――」
岩盤は大きく拳を引いた。テレフォンパンチだ。動きは遅い。すぐに後ろに下がれば、簡単に避けられる。
だが、俺の目には剥き出しになった奴の顎が狙いに思えた。今なら奴に大打撃を与えられるかも知れない。
俺は既に痛みを感じない右の拳を、力強く振るった。ソフィーさんの教えを胸に、これまでよりも魔力を多く込めて。
岩盤が嗤う。
「――甘いな。子供が」
俺の拳は、奴の顔を仰け反らせることすら出来なかった。
むしろ奴の拳が俺の体を強く殴った。魔力で強化しているが、無防備な胸に食らった。顔を狙われなかったのは、きっと岩盤があいつの言葉通りに“遊んでいる”からだと分かる。
俺の体が空中を飛び、地面へと転がった。余りの衝撃のあまり、呼吸すらまともに出来ずに立ち上がることさえ出来なかった。
そんな俺の背中へ、今度は上から槌のように拳を落とされる。防ぐことも躱すことも出来ずに、俺は抵抗できず地面へと叩きつけられた。そのまま岩盤の太い足で蹴るように転がされて、胸を強く踏まれてしまう。憎まれ口すら出すことができず、呼吸すらままならなかった。
「――ジルダ! 見ろ、これがお前の選んだ男の実力だ!」
エルフの男は、俺を蔑むように嗤った。
そしてジルダへと近づいていく様子を、俺に見せるように岩盤に蹴り転がされた。俺は全身に魔力を施し、なんとか岩盤の足から逃れようとするが、土を強く握ることしか出来ない。それを岩盤に投げつけても反応すらされなかった。
「……」
ジルダは何も言わなかった。
「ジルダ、俺と一緒に来い。そもそもお前は“外界”にいていい存在じゃない――」
「……行かない」
尊大な男の言葉に、ジルダは小さく首を横に振った。
「本当に来ないのか?」
「……行かない」
「岩盤、やれ――」
エルフの男の命令通りに、岩盤は俺をより強く体重をかけて踏んでいく。
「……ぐっ――」
俺は潰れたアヒルのような声しか出なかった。
「――いいのか、ジルダ? 俺はお前には手を出さないが、あいつをどうこうしてもいい身分の者なんだ。もし、お前がソフィーに助けを呼んでも、今なら助けが来る間もなくあいつを殺すことができるぞ」
岩盤が足を上げて力が緩んだかと思えば、強く俺を踏み抜いた。その度に口から悲鳴が漏れ出た。きっとこれでも手加減しているのだと、激しい痛みを感じながら俺は分かっていた。
歴戦の魔法使いにとって、俺など取るに足らない存在で一思いに殺すことは出来るのだ。
「……」
「お前が頷かないなら、あいつを殺してやる――」
「……」
ジルダは何も言わなかった。
そんなあいつが、岩盤にいいようにされている俺の方を見てきた。
不安そうに揺れているジルダの目がよく見えた。無表情な彼女にしては珍しく唇をかみながら、両手でワンピースを強く握りしめている。俺には、今のあいつの気持ちが痛いほど伝わった。
「お……うっ……――」
わざわざ俺のためにあいつの元に行かなくてもいい。耐えろ。いつかは誰かが助けに来てくれるはず。タクシーの運転手は生きていると思うから、警察に通報したはずだ。家の近くでこんな騒ぎを起こせば、きっといつかソフィーさんだって助けに来てくれるはず。
俺はそう言おうとしたが、その前に岩盤に言葉を潰された。
「――知っているよな? ソフィーはお前を守っているわけじゃない。“供物”であるお前が、他の者に利用されるのを防いでいるだけだ。お前が俺の元に来たいというのなら、その通りに従う薄情な女だと言うのはお前がよく知っているだろう?」
「……」
「ジルダ。もう一度言う。一緒に、来い。来なければ、あいつを殺す――」
エルフの男が目で指し示すと、岩盤は先程よりも“少しだけ”強く俺を踏んでいく。
もう俺の口から声を出なかった。むしろ顔をサッカーボールのように蹴られて、口から血が出ている。切ったのだ。魔力で強化しているため、かろうじて生きているが、段々と頭はぼやけてきた。
「………………分かった」
ジルダは泣きそうな顔から、元の無表情に戻ってから頷いた。
「――良い返事だ。よし、来い、ジルダ」
望んだ返事が聞けたことによって、エルフの男は口角を上げてジルダの肩を抱いたまま歩みを進めようとする。
「じ、ジルダ……」
岩盤の足が離れた俺は、口から彼女の声を呼ぶことが出来た。
「――アワワ、付いてこないで」
「だとさ。お前の出番は終わりだ。お前のような猿は生きているのも胸糞悪いが、ジルダとの約束だ。殺さずにいてやる。だが――岩盤、死なない程度に痛めつけてやれ」
「御意」
俺は岩盤に足首を掴まれて、道路の遥かに下にある山の下の森の中へと投げ出された。
ジルダの姿は――もう見えなかった。
闇の中に、消えていた。




