水族館
バスを乗った後に、俺達は電車に乗り換える。マルーンカラーの電車は人が多かったので、ジルダを前に庇うようにドアの付近に立っていた。がたんごとんと電車が揺れる度に俺は片手で吊り革を持ちながら、ジルダを支えていた。
途中、昼になったので、ジルダと昼食を食べることにした。何が食べたいか、と聞くと「なんでもいい」と言ったので、駅近くのオムライスを食べることにした。特に魚が食べたい、ということもなかったようだ。昼食の時間だったので、少し並んでいたがカウンターだと早く入ることが出来た。
そんな中で、ジルダは帽子を被りながら少しずつオムライスを食べていた。お互いに朝食が近かったので、二人で一つのオムライスを分け合うことにする。ソースはシンプルなケチャップにしたが、ジルダは無表情ながら美味しそうに食べているようだった。その証拠に耳が揺れ動いていた。
それから俺達は何回か電車を乗り換えて、水族館に着いた。久しぶりの潮風が、鼻を刺激する。
大阪には行き慣れているので、迷うことはなかった。
赤と青それにガラスによって三層に分けられた特徴的な外観には、青い部分に魚が数多く描いてある。昔に聞いた話によると、太平洋を取り囲む火山の帯と、生命の多様性を表現したデザインのようだ。
そんな水族館には、多くの人が中に入ろうとしていた。親子連れやカップルが多かった。皆の浮き足は軽い。きっと楽しみに思っているのだろう。
俺達も彼らに習って、中に入った。
まず見たのは海底トンネルのように、ドーム状の水槽だった。壁から天井までが全て一つの水槽なのだ。まるで俺自身が海の中にいるような錯覚に陥る。
そんな通路を通りながら、右に左に、ゆっくりと顔を動かしているジルダへ、俺は彼女の歩くペースに合わせながら声をかける。
「ジルダは水族館に行ったことあるのか?」
「……なかった」
「じゃあ、初めてか」
「……そう」
「なら、今回はゆっくりと見るか」
俺の言葉に、ジルダはしっかりと頷いた。
通路の水槽を抜けると、俺達の視界を埋め尽くすかのような大きな水槽が広がっていた。そこには数々の魚がいた。
まず目につくのは、この水族館の目玉でもあるジンベイザメだ。格子に点の模様が特徴的だが、何よりもそのサイズに目を惹かれる。それが海を模した大きな水槽で優雅に泳いでいた。
その他にもイトマキエイやハンマーヘッドシャークなど、多数の魚が泳いでいる。俺はそんな水族館を久しぶりに圧倒された。歩みを止めてそんな水族館の魚たちを見てしまった。
隣にいるジルダを見ていると、同じような感覚に浸っているのか、口を開けてみていた。どうやら本当に見たこと無いらしく、とてとてと前に行きながら水槽の近くで魚を眺めていた。
いつもと同じ表情であるが、足取りがいつもより軽い気がする。
俺はそんなジルダについて行って、隣で一緒に魚を眺める。時々、嬉しそうな彼女の無表情を観察しながら、俺も満足そうに微笑んだ。
それからもジルダのゆっくりとしたペースに合わせながら魚を見ていく。この水族館は大水槽を上から下まで様々な角度から見れるのが目玉だが、それ以外にも小さな水槽は数多くある。
日本を模したコツメカワウソの水槽にはオイカワやアマゴなどがおり、カルフォルニアアシカとゴマフアザラシが同居している水槽もある。また熱帯雨林を再現した水槽では、アロアナやエンゼルフィッシュ、ピラルクなどの熱帯魚が優雅に泳いでいた。
その他にも多くの水槽があり、ペンギンの展示に俺達が出会った時だった。
ジルダはこれまでのように水槽によることはなく、入口のまま立ち止まっていた。見ていたのは――三人組の家族であった。
「パパ! ペンギン!」
「本当だなあ! 小さくてとっても可愛らしいな!!」
「うん!」
身長の高い細身で眼鏡をかけた穏やかな男性と、ジーンズに白いパーカーを着たおっとりとした女性に、髪を二つの三つ編みに括った少女だった。きっと家族だろう、と思う。優しそうな家族だった。少女はペンギンを見たのは初めてなのだろうか。とても愉しそうにしていて、そんな娘を見た父母も嬉しそうだ。
絵に書いたような幸せな家族だと思った。かつては俺も似たような家族の中にいた。父がいて、母がいて、あの少女の場所には妹がいて、さらに俺もいたのだ。一緒にこの水族館に来たこともある。
――いい思い出だ。
まだ俺は小学校に入った頃だったからだろうか。あの頃の雨はまだ保育園だった。幼かったので大きなジンベイザメを見て、泣いていた記憶がある。それを俺の父はなんとか慰めようとしていたが、雨は泣き止まずに母に抱きついていたのだ。あれも今にして思えばいい思い出だったと思う。
俺は一人で勝手に魚をずっと見ていて迷子になって、呼び出されたけど。ちなみに両親はそんな俺に呆れていた。
俺はあの家族を見て懐かしくなったが、ジルダの反応は違っていた。
衝撃を受けたかのように立ち止まっていたのだ。
過去を思い出すわけでも、懐かしいわけでもなく、信じられないものを見るかのようにその場に立ち尽くしていた。いつもは感情が見えない彼女の筈なのに、驚くように目を見開いていたのだ。
俺はそんなジルダの反応に、驚愕していた。
まるで信じられないものを見たかのような衝撃を受けていたのだ。ジルダにとって、彼らの光景は信じられないものだったのかもしれない。
呼吸が浅くなり、目をぎゅっと瞑っていた。
そんなジルダを庇うかのように、俺は今日は“まだ”握っていなかった小さな手を握った。
「俺達も、ペンギンを見ようぜ。よく見てみると、あいつらは一人ひとり表情が違うんだ」
「……そうなの?」
「ああ。あの横の壁に特徴が書いてみたいだからな。オスメスの違いもあれば、性格の違いもある。どれがどれか、一人ひとり一緒に見極めようぜ」
「……分かった」
ジルダはコクリと頷いた。
そんなジルダを引っ張るように、俺はペンギンたちの元に行く。一匹一匹、翼の根本についている輪っかの色を確認しながら、ペンギンの名前と正確に確認してから、どんな行動をするのかを一緒に観察した。
ジルダの言葉はいつも通り少なかったが、「……あれがライオ」「……あっちは止まっている」などと、右手をペンギンに向けながら、いつもよりか積極的に言葉を出していたような気がする。
そんなジルダの左手は、いつもよりも硬く握っているように感じた。




