世界樹
ミノタウロスは露を踏み潰した後、興味をなくしたかのように弥生へと振り返っていた。既に虫の息であるが、トドメを刺すためだ。その後はこの部屋を出てより上に進み、探索者を蹂躙するつもりでいた。
その筈――だった。
「くくくっ――」
――死んだはずの露から、声を聞くまでは。
ミノタウロスは瞬時に振り返って、もう一度トドメを刺そうと駆け出そうとするが、立ち上がった“誰か”が発する圧力に負けて片膝をついた。
ぶもぉおおおぉぉぉぉ……
ミノタウロスは固有魔法である『ウォークライ』を使い、露の姿をした“誰か”の魔法に抵抗しようとするが、魔法の発動すらままならなかった。
少しだけ警戒するようにミノタウロスを見ながら彼は立ち上がり、愉悦したように嗤っていた。
「ようやく、こいつの呪縛から解き放たれたか。なんとまあ、強靭な精神を持つものだ――」
だが、既に彼の宇宙のような印象を受ける目にミノタウロスは写っていない。黒の粒が渦巻いている両手を閉じたり開いたりしながら見ている。まるで体の持ち主を確認するように。
そんな体は既にミノタウロスから受けた傷は全て治っている。破れている服だけがそのままだった。
ぶもぉおおおおおおお!
自身に興味すら示さない彼に、ミノタウロスは吠えた。『ウォークライ』ではない。ただの叫びであった。
だが、彼は蔑むように口を開いた。
「――牛頭如きが我に意見する気か? 頭を下げて媚へつらうなら、一緒に地上へ出るのはどうだ?」
ぶもぉおおおおおおお!
だが、ミノタウロスは彼の提案を拒否した。むしろやっと彼の魔法の圧力に慣れてきたのか、立ち上がる気力すら生まれている。
彼は自身の命令に従わなかったモンスターに、大きく嘆息した。
「まあ、今の姿だと、話も通じんか。だが、それも一興か。全く、前と同じ相手だというのは些か興が削がれるが、この体を試すのにちょうど良いかもしれないな――」
宇宙のように輝く瞳でミノタウロスを見下ろしていた彼は、視界の端に“見慣れたもの“を目にしたので、右手を出して引き寄せる。
『世端』だ。
それを掴むと、何度か試すように空中を切る。
「こいつはなんとも不細工な使い方しかしていなかったな。これが“世界樹”だと言うのに、そのことを微塵も理解していない――」
彼は近づいて来るミノタウロスすら気にかけず、体の持ち主である露を非難していた。どうやら彼の行動は、逐一内部から見ていたようだった。
ミノタウロスはそんな無防備な彼へ、無慈悲にも両手を握ってハンマーのように振り下ろしたが、『世端』で受け止めた。
彼の魔力で強化された膂力が凄いのか、それとも『世端』へ流し込まれた魔力が多すぎるのか。
彼はミノタウロスのがら空きの胴体を蹴飛ばすと、『世端』を握りしめて魔力を込んでから手を離した。『世端』は穂先から枝分かれし、幾つもの枝になった。それは彼の意思を吸い取るようにミノタウロスへと一斉に向かい、拘束した。ミノタウロスは全身を暴れさせて抵抗するが、木の成長と共に四肢を引きちぎった。
「ふむ。やはり我の知っている世界樹と一緒か。なんとまあ“不細工”な姿になったものだ」
まるでミノタウロスを殺するために一本の木となった『世端』に向けて、彼はつまらなそうに言った。
既に死に絶えたミノタウロスは、瘴気となって消えていく。
一瞬だけ彼は迷宮の先を見つめた。
核を壊そうと思ったのかも知れないが、下卑た笑みを浮かべてそれを成そうともしなかった。
「――このまま地上に向かう方がいいか。あの小娘がいない今が好機なのかも知れない」
彼が思い返すのは、きっと――ジルダのことなのだろう。忌々しげに顔を歪めている。せっかく手に入れた生身を彼は手放したくなかったのだ。
そして反対側へ進もうとした時に、彼は眉間に皺を寄せながら振り返った。多くのミノタウロスがこちらへと現れたのだ。
まるで――軍隊のようだった。
通常の冒険者では敵わないモンスターが、列をなしている。さらに手には大きな斧も持っており、先程のミノタウロスよりも強そうだ。
「……やけにここに力を入れるみたいだな」
はあ、と彼は嘆息する。
ミノタウロスは知能が足りないのか、眼の前にいる敵を倒すことしか頭にない。だからここを去ろうとしている攻略する気がない彼であっても、ミノタウロスの標的だった。
十数体のミノタウロスが、揃って雄叫びを上げた。
『ウォークライ』だ。
ミノタウロスの魔法が合わさり、より大きな衝撃として空間を揺らし、彼へと襲いかかる。さらに彼が発している“圧力”すらもはねのけていた。
ぶもぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!
合わさったミノタウロスの雄叫びは、レベルの高い冒険者であっても身をこわばらせるものであったが、彼は面倒くさそうに耳の穴をかっぽじっていた。きっと煩かったのだろう。
「はあ、まあ、よい。だが、――遊ぶのも飽きた」
彼はそんな全てのミノタウロスに対処するのが面倒だったのか、右手を前へと出した。
一瞬の内に、手の先に無数の粒子を集めて、黒い球を生み出した。爪先にも満たないものだった。それは空中に浮かんでおり、彼の魔法の一端だと分かるが、それ以上のことは誰にも分からなかった。
多くのミノタウロスを見下すような彼は、愉悦したように嗤う。
無数の星が夜空に浮かんでいるような目が、より強く光り輝いた。まるで小さな星たちがそれぞれ意思を持って自ら輝き出したように。
彼はが黒い玉を発射すると、一瞬のうちに走り出したミノタウロスの中心に到達した。
そして、爆ぜた。
辺りを包み込む光と共に大きな爆発を起こしたのだ。
全てのミノタウロスが――ほぼ体の原型も残さず辺りにちらばり、すぐに瘴気に成っていった。
自分を襲ってくる虫を殺し尽くした彼は、やっとダンジョンを出ようと入口へと振り返ると、そこには――知っている影が二つあった。
「――さて、あなたは誰ですか?」
ロリータドレスを着たエルフの女だった。
ソフィーだ。




