王
俺の最後に会った記憶といえば、ミノタウロスに踏み潰されたのだ。
だが、体に痛みが襲うことはなく、両手を確認してみるも何故か体に血も付いていなかった。
だが、近くにミノタウロスがいるのではないか、と俺は辺りを見渡すが残念ながら先程までのダンジョンの光景も、ミノタウロスも、一緒にいた弥生でさえも、全てが消えていた。
――暗闇が、俺を包んでいたのだ。
辺りを星々が照らしているというのに、不思議と真っ暗であった。さらにその星も様々だった。流れる川のように集まった星もあれば、眼の前に落ちてきそうなほどの青い星が暗闇の中に浮かんでいる。さらに太陽も通常よりも大きいように感じる。
さらに俺が立っている場所を見ていると、土の上だった。幾つもの大きな穴が近くにあるように思える。
そんな地面の地平線を探すと、暗闇の浮かぶ星が境目で輝いていた。
まるでここを――月面のようだと思ってしまった。
土しか無い地平線、その先に見えるのは宇宙。あの青い星は地球のように考えてしまう。かつて小学生のときに宇宙の図鑑にハマった時に見た月面の光景に、そっくりであった。
それなのに、息が吸えているからここが現実ではないのが分かる。
最初はここが天国なのだと思った。
俺がミノタウロスに殺された結果、大気圏を突破して月にまで到達したのだと思った。そう考えると、俺は笑えてきた。
運が悪い、と言えばそれだけなのだろう。
最初は門震に巻き込まれて、そして二回目は強くなるために迷宮ダンジョンに潜った結果、二回ともミノタウロスに遭遇した。どんな確率なのだろうか。きっととても低いと思う。レベル6のモンスターはそう出るものではない。そもそもレベル6は大都市災害級だ。多くの探索者が犠牲になることもあり、国内でも年に数回しか発生しない。
最近のダンジョンでは高くても、レベル4のモンスターの出現しか聞いたことがなかった。それなのにこの短期間に二度も、レベルの低いダンジョンから、レベルの高いモンスターが出たのだ。
俺の運が悪かったのか、それとも弥生の運が悪かったのだろうか。
いや、きっと俺の運だろう、と思った。これまでのダンジョン攻略で弥生は一度として、高レベルのモンスターと戦うことはなかった、と言っていたのだから。
さて、天国の形はこんな感じなのだろうか。もっと雲が多い光景を想像していたのだが、事実は違うようだ。
そんな風に自分を納得させながら暗闇の中を歩く。
だが、そんな俺の考えは的外れだった。
ここがどこなのか、俺はすぐに知ることとなる。
「――誰だ? 無断で我のところに踏み込む者は?」
声を発した持ち主は、クレーターの大穴の上で黒い球体に胡座で乗りながら“浮いていた”。まるで重力など関係ないかのようだった。
「――俺だ。露だ。鵲露だ。あんたは……誰だ?」
俺は声の持ち主の“そいつ”の外見をよく知っていたが、本人ではなく知らない別人だった。
姿形は白いワンピースを見た幼女であった。長い銀髪をツインテールに纏めている。小さな身長であり、見慣れた可愛らしい容姿をしている。さらにその特徴的な耳は長かった。
いつも一緒にいるジルダと同じ様子をしているが、こちらを恨むかのように睨めつける目だけが違っていた。この頭上に広がる宇宙のように、幾つもの小さな光を放っているのだ。まるで彼女の目自体が小さな宇宙かのようで、吸い込まれそうな不思議な感覚に陥る。
さらにそいつの周りには乗っている黒い球体だけではなく、小さな球体が幾つも浮いていた。色も様々だ。赤、白、青、黄色、まるでスーパーボールのような物が螺旋を描いていた。
「……確かに、お前以外来ることは出来ないか」
やれやれ、とそいつは深い溜息を吐いた。
「俺以外が来られない、と言うことは、ここは天国なのだろう? 他の人も来られるんじゃないのか? それとも死んだ先に行くところはひとりひとり違うのか?」
「お前は何を言っているんだ?」
彼女は、呆れたように言った。
「俺は死んだんだろう?」
「死ぬわけがないだろう。お前は阿呆か? 我を神だとでも勘違いしているのか? そんなわけがなかろうが」
「じゃあ“あんた”は一体……?」
「――お前なら、知っているだろう? “我”が、誰なのかを」
その時、俺は全身に強い圧力を感じて抵抗することができず、奴の前にひれ伏した。まるで圧倒的強者を前に這いつくばることしかできない弱者のように。
そんな状態で、俺の頭の中に奴の正体が浮かんでいた。
無数の球体を生み出し操る魔法。“我”という一人称。そして、この圧倒的な圧力で全ての物を地面に突っ伏すことから――ジルダから受け取った“魔力の正体”だと。
「――知っていたな。俺の中で、間借りしているやつだろう? これぐらいで俺を屈服できると思わないほうがいいぞ」
俺は片膝を地面につきながらも、なんとか堪えながら顔を上げる。冷や汗をかきながらも奴に全力で抗うために、顔には余裕そうな笑みを浮かべようと頑張る。
俺とお前は、対等だと言いたいがために。
「ほう、耐えるか。意外と根性があるようだな――」
「意外と褒めてくれるんだな」
「正当な評価だ。お前は知らないだろう? 我がどれだけ優れた魔法使いだったのか。三千世界の覇者となった我を――」
尊大な態度で、彼女は言った。
「なるほどな。その姿は仮初ってことか――」
納得したように、彼女へと俺は頷いた。
この“圧力”は本物だ。
ミノタウロスよりも強いことは確実だった。
だが、きっとその姿でさえも借り物なのだろう、と思う。幼女であるジルダと、歴戦の魔法使いだと語る彼女が同じ姿をしているとは考えづらい。頭の中で俺は、奴の姿を想像し始めた。
奴の本当の姿を考えたのだ。
例えばソフィーさんは歴戦の魔法使いであるが、ロリータ・ファッションをしている。このように奴も奇抜な姿をしているのではないか、と思ってしまう。俺は幾つもの女性の服を想像した。
だが、服の知識に乏しい俺にとって、どうしてもソフィーさんのイメージに引っ張られて、コスプレのような服しか思い浮かばなかった。
「――お前、何かいかがわしい想像をしているな」
そんな俺の顔から察した奴は、軽蔑した目を向けてきた。
何故分かったのかは俺には分からない。
「そんな想像はしていないけどな。ただ、お前本当の姿がどんな姿をしているのか、が気になっただけだ。ジルダと全く同じとは思わないからな――」
「……まあ、よい。その通りだから、それについては目を瞑ってやろう」
「で、教えてくれよ。ここはどこなんだよ? あんたがいるということは……俺の中か?」
奴は、言った。
俺はまだ死んでいないと。
となれば、俺はまだ生きていると言うことだ。ここは天国ではないということだ。
「――想像通りだ。だが、お前は死ぬ直前で命を失いそうになっている。だから、その体、“我”が使うぞ」
有無を言わさない奴の言葉。
だが、死にかけの俺は逆らうことが出来ずに、その場で身を低くして奴の圧力を耐えるしかなかった。




