新生活
「お兄ちゃん、起きてよ! 朝だよ!」
雨の大きな声とともに、俺の顔に太陽の光がふりかかる。雨が大きな窓を開けたからだろう。俺は目を擦りながら上体を起こそうとするが、残念ながら重たくて起きられなかった。
胸の上に――ジルダがいたからだ。
「どうしていつも俺の上にいるんだよ?」
もう三日とも朝になると上にジルダがいるので、俺は慣れた様子で胸の上から片手で下ろす。シンプルなジャージを着たジルダは薄っすらと目を開けるが、何故か俺の傍で猫のように丸くなりながら――もう一度寝た。
「ちょっとジルダちゃんも起きて! 朝だよ! 朝ごはんは出来ているよ!」
白いパジャマにピンクのエプロンを着た雨はジルダを何度も揺すって起こそうとするが、「う~」と唸るだけで起きる様子はなかった。
俺は大きなため息を吐いた。
それから新しく住んでいる家を眺めた。
ここは広い寝室だった。クイーンサイズのベッドが一つだけあるシンプルな部屋だ。広い窓からは太陽の光が容赦なく突き刺さってくる。
「ジルダ、一緒にご飯食べに行こうぜ」
「うー」
俺がジルダを抱きかかえるようにして起こすと、やはり小さく唸りながら少しだけ目を開けた。何故か不機嫌そうでもあった。
「もうお兄ちゃんが起こすと起きるんだから! ジルダちゃんは甘えん坊だなあ!」
雨はベッドの傍に経って両腕を組んでいるが、俺は呆れたようにため息を吐いた。
「雨もあんまり変わらないだろうが……」
「もうお兄ちゃんなんてこと言うの! 私はいいの!」
恥ずかしそうに寝室から去っていく雨の後ろ姿を眺めながら、俺はジルダを抱えて俺専用の寝室を後にする。
実はこの寝室に最初は俺が一人で寝る予定の部屋だったのだが、これまでの同じ部屋に布団を並べて寝ていた雨は一人になると寝られないようで夜中に枕を抱えてくるようになった。
その次の日の朝にはジルダも、いつの間にか同じベッドで寝ている。同じようなベッドをジルダにも用意されたはずなのに。
この部屋の日当たりがそんなに気持ちいいのだろうか、と俺は首を捻りたくなった。
「お兄ちゃん! 今日の朝ごはんはホットケーキだよ!」
前のアパートと比べると信じられないほど広いリビングに置かれた席につく。隣にはジルダを座らせた。
すぐに雨が先程焼いたばかりのホットケーキを俺とジルダの前に置いた。たっぷりとはちみつがかかっていて美味しそうだ。
「……いただきます」
「いただきます」
「いただきます!」
俺達は同じ席について、むしゃくしゃとホットケーキを食べ始めた。瓶に入ったはちみつがかかって美味しかった。
――こんな生活を送るようになって、もう四日も経っている。
あの日、ソフィーさんの提案を受け入れてからは大忙しだった。
すぐに引っ越しすることになった。
家の用意や引っ越しの準備、さらにはソフィーさんとの養子縁組など、多くの書類を記入したうえであのアパートは引き払った。用意されたのは庭付きの一軒家だった。どうやらジルダの為だけに用意された場所らしく、開けた山の中にあり、他の人はあまり住んでいないようだ。
「そう言えば、ソフィーさんがどこに行ったか知っているか?」
「……」
俺の質問に、ジルダは首を横に振った。どうやらソフィーさんと最も親しいと思う彼女でも行先は知らないようだ。
あの日以来、ソフィーさんは数多くの手続きで忙しそうにしていた。どうやら俺と雨の転校手続きもあって、多くの役所との手続きを行っているらしい。
昨日も家には帰っていないようだ。
「お兄ちゃん、今日は何するの?」
「部屋の片付けかな。まだ荷物が片付けられていないだろう。雨は?」
「私も片付けかな。急な引っ越しだったから服も何も出していないんだよね。多くの物は捨てたとは言え、足りないものは買っていい、って言われているからリストアップしないとね」
「俺も服とかは買い直すかー」
ホットケーキをもしゃもしゃ食べながら何が欲しいかな、と考えていると、雨がふと思い出したようにジルダを見つめた。
「そう言えばジルダちゃんの服はどうしたの?」
「……」
ジルダは雨に聞かれても何も答えなかった。
「お兄ちゃん!」
雨は俺へと目をやった。
「ジルダ、荷物は持ってきたのか?」
尋ねると隣にいるジルダは首を横に振った。
その様子を見た雨が何故か拗ねたように両頬を膨らましていた。
「なんでジルダちゃんはお兄ちゃんの言うことしか聞かないの?」
「なんでなの?」
「……」
俺が聞いてもジルダは返事をせずに黙々とホットケーキを食べていた。ナイフは使えないのか小さな幼児用のフォークだけで、丸いホットケーキを差して食べていた。
「うー、ジルダちゃんともっと仲良くなりたいなあ。せっかく一緒に暮らすのに~!」
雨はホットケーキを食べながら俺を恨めしげに見た。と言っても、俺にはどうすることも出来ないんだけど、とやれやれと甘いはちみつに脳をとろかせるように食べ進めた。
朝食を終えると用意された部屋へと向かう。ちなみに寝室とは別の部屋だ。段ボールの箱は四つほど置かれており、新品のデスクにはノートパソコンが置かれ、クローゼットなども用意されていた。
俺達がソフィーさんに用意されたのは、大きな一軒家だった。それぞれに自室が用意されており、後には自室にベッドも置かれる予定なのだが、客間用のベッドに三人並んで出ている状況だ。本当は他にも客間があって、そこにも大きなベッドは用意されているらしい。
荷解きをしようと思うと、扉がゆっくりと開いた。
「……アワワ、いる?」
ジルダが顔だけを出してきた。
「いるけどどうかしたのか?」
「……ちょっと、来て」
ジルダに案内されたのは広い庭だった。まだ新しいのか芝生が敷かれており、テニスコートほどの広さがある。後ろに見える白い洋館が俺達に用意された家だ。どうしてここまで大きいのかと言えば、昔の富豪が作った家のようだ。それが色々あって、ジルダに為にエルフ達が買ったようだ。
――エルフのお姫様。
片平がそのようなことを呟いたのを耳にしている。俺もよく分かっていないが、ジルダはエルフの中でも重要人物のようだ。
願うことは大体叶うみたいだ。
「ここで何をするんだよ?」
「……実験」
「何の実験だ?」
「……魔力」
「そう言えば、あの日以来、まともに使っていなかったな――」
「……使えるの?」
「ああ、当然だ。あの時、俺は魔力を得たんだからな――」
俺は自信満々にジルダへ、胸を張った。
奴がミノタウロスを倒した後に自我を取り戻した時、俺は普通に魔力を操りながら“迷宮の核”を壊したのだ。
それだけではなく、地上へ帰還する時に重たい弥生を背負う時も魔力で筋力を上げていたのだ。
そんな俺が、魔力を使えないわけがない。
「……なら、使ってみて」
「いいぞ。はぁああああああああああ!」
俺はジルダの期待に答えるように、全身に力を入れて力んだ。
「……駄目みたい」
だが――魔力は扱えず、ポーズを決めただけだった。
あれ?
俺は恥ずかしくなった。




