表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/14

【第10話】愛の刃と消えぬ悔恨


 灯台(とうだい)(なか)には、()わらぬ(しず)けさが()ちていた。


 事務官(じむかん)(おとこ)()(おく)り、ノアの横顔(よこがお)()かんだ安堵(あんど)表情(ひょうじょう)()つめていると、この冷徹(れいてつ)空間(くうかん)(つめ)たさが、ほんの(すこ)しだけ(やわ)らぐように(おも)える。


 だが、その(おだ)やかな時間(じかん)(やぶ)るように、(ふる)びた真鍮(しんちゅう)電話(でんわ)が、()(ひび)いた。


――ジリリリリリ!


 (わたし)受話器(じゅわき)(みみ)()てると、(かす)かな雑音(ざつおん)()こうから、()てついた吐息(といき)のような、(せつ)ない拒絶(きょぜつ)気配(けはい)(つた)わってくる。


 それは、(あら)たな(まよ)()(つむ)ぐ、(ゆが)んだ言葉(ことば)前兆(ぜんちょう)だった。


 手元(てもと)真鍮(しんちゅう)のランタンの(とも)()もまた、その気配(けはい)呼応(こおう)するように(はげ)しく()(はじ)める。


()きましょう、ノア」


 (わたし)がランタンを()(なお)して(こえ)をかけると、(むね)の『(しろ)(ほん)』を大切(たいせつ)そうに()きしめた少女(しょうじょ)は、まっすぐな(ひとみ)をこちらに()けて(ちい)さく(うなず)いた。


 灯台(とうだい)(おも)(とびら)()けると、そこにはすでに、あの受話器(じゅわき)から(ただよ)ってきた拒絶(きょぜつ)気配(けはい)(くら)未知(みち)なる(みち)がどこまでも(ひろ)がっていた。 


 (わたし)たちはその(ゆが)みの(うず)のなかへと、(ふたた)(いっ)()(あし)()()した。


 周囲(しゅうい)()たす()てつく静寂(せいじゃく)のなかで、ふいに足元(あしもと)硝子(がらす)(かす)かにきしむ(おと)(つた)わり(はじ)めた。


 (うす)(こおり)()()られるような、繊細(せんさい)で、けれど痛切(つうせつ)(つめ)たい(ひび)き。


 空間(くうかん)のあちこちが不規則(ふきそく)(ゆが)み、(つめ)たい波紋(はもん)(ひろ)がっていく。


「……()まって、ノア」


 (わたし)がランタンを(すこ)(たか)(かか)げると、前方(ぜんぽう)(くら)がりに、鋭利(えいり)なガラスの結晶(けっしょう)渦巻(うずま)いているのが()えた。


 そこには、他者(たしゃ)(かたく)なに拒絶(きょぜつ)する、刺々(とげとげ)しい意志(いし)()ちている。


 (ゆが)みの中心(ちゅうしん)(うずく)まっていたのは、(ひと)()(とし)()いた女性(じょせい)(かげ)だった。


 彼女(かのじょ)()()れた大判(おおばん)のショールを(ふか)(あたま)から(かぶ)り、(みずか)らの周囲(しゅうい)(かこ)分厚(ぶあつ)硝子(がらす)(かべ)のなかで、(ひざ)(ふか)(かか)()んでいる。


 その背中(せなか)(おどろ)くほど(ちい)さく(まる)まり、時折(ときおり)(うち)なる(いた)みに()えるように(ほそ)(ふる)えていた。


 ショールの隙間(すきま)から(のぞ)(しわ)(きざ)まれた指先(ゆびさき)は、(みずか)らの(うち)(のこ)記憶(きおく)(ぬく)もりを(たか)かめるように、(ふる)える()でショールの(すそ)(よわ)々しく(にぎ)()めている。


 世界(せかい)との(つな)がりを一切(いっさい)()()り、ただ(ひと)つの後悔(こうかい)()()がし(つづ)けているかのような、悲痛(ひつう)拒絶(きょぜつ)気配(けはい)が、その(ちい)さく(まる)まった姿(すがた)から(おも)(ただよ)っていた。


 彼女(かのじょ)(ひく)()()(いき)は、(しろ)()てつき、周囲(しゅうい)硝子(がらす)(かべ)をさらに分厚(ぶあつ)()()ます(かて)となっているかのようだった。


 外部(がいぶ)からの(ひかり)(こえ)(とど)かない暗闇(くらやみ)(おり)のなかで、あの()()いたいという(おも)いを(とど)め、その(こころ)(けっ)して()(はな)さぬようにしがみついているその姿(すがた)は、()(もの)(むね)()()けるほどに(かたく)なで、(けっ)して()るがなかった。


 分厚(ぶあつ)()()まされた硝子(がらす)内側(うちがわ)には、(ゆが)んだ文字(もじ)(こお)りついたまま()()められていた。


 それは、(ちか)づく(もの)すべてを(はげ)しく()(はな)すような、冷酷(れいこく)決別(けつべつ)言葉(ことば)だった。 


 ノアが(いた)ましげに一歩(いっぽ)(ちか)づこうとした瞬間(しゅんかん)女性(じょせい)周囲(しゅうい)硝子(がらす)破片(はへん)(とが)り、一斉(いっせい)(わたし)たちを威嚇(いかく)した。


 彼女(かのじょ)(かか)える拒絶(きょぜつ)(ちから)はあまりにも強固(きょうこ)で、その内側(うちがわ)()めた(いた)みを(あば)かれまいと、狂暴(きょうぼう)なまでに(うごめ)いている。


 (わたし)はランタンの黄金(おうごん)()(はな)ち、その(かたく)なな硝子(がらす)(おく)(ひかり)(とど)かせようと、その(かがや)きを(かざ)した。


 しかし、女性(じょせい)(かげ)はさらに(ふか)()(ちぢ)め、硝子(がらす)破片(はへん)はランタンの(ひかり)さえも乱反射(らんはんしゃ)させて(はげ)しく()(かえ)す。


()ないで……。(わたし)のことなど、もう(ほう)っておいておくれ」


 硝子(がらす)内側(うちがわ)から(ひび)(かす)れた(こえ)は、(かな)しいほどの(ひび)きを()びていた。 


 だが、ランタンの(ひかり)乱反射(らんはんしゃ)するその一瞬(いっしゅん)(わたし)硝子(がらす)奥深(おくふか)くに(かく)された、もう(ひと)つの文字(もじ)(そう)見逃(みのが)さなかった。


 表面(ひょうめん)にあるのは「お(まえ)など、もう(わたし)子供(こども)ではない」「目障(めざわ)りだからどこへでも()えておしまい」という(はげ)しい拒絶(きょぜつ)言葉(ことば)。 


 しかしその裏側(うらがわ)結晶(けっしょう)(もっと)(ふか)(かく)にあるのは、()()めたいという未練(みれん)必死(ひっし)()(ころ)した、あまりにも痛切(つうせつ)(いの)りだった。


(わたし)という存在(そんざい)(うし)(がみ)()かれず、お(まえ)のやりたいことの自由(じゆう)を、どうか純粋(じゅんすい)(まっと)うしなさい」


 自分(じぶん)という重荷(おもに)(にく)ませてでも、子供(こども)未来(みらい)()(はな)ちたかったのだ。


 そのために、(みずか)冷酷(れいこく)(かべ)となることを(えら)んだ、あまりにも純粋(じゅんすい)で、あまりにも(ゆが)んだ(はは)(あい)


「……あの()に、やりたいことの自由(じゆう)純粋(じゅんすい)(あた)えたかったのね。自分(じぶん)邪魔(じゃま)荷物(にもつ)にならないよう、わざと(きら)われる悪者(わるもの)になって、あの()未来(みらい)(とき)(はな)とうとした。」


 (わたし)(しず)かに、けれど明確(めいかく)叱責(しっせき)(ひび)きを(はら)んだ(こえ)言葉(ことば)(つづ)けた。


「けれど、それはあまりにも身勝手(みがって)(ひと)りよがりよ。理由(りゆう)()らされず、(もっと)(あい)する母親(ははおや)から冷酷(れいこく)()(はな)されたあの()が、()()れた自由(じゆう)のなかでどれほど()(なが)すか、(かんが)えもしなかったの。一生(いっしょう)()えない拒絶(きょぜつ)(きず)と、()()のない(せつ)なさや(いか)りを()()けることが、あなたの()う『自由(じゆう)』だなんて……。そんな残酷(ざんこく)()()けを、(わたし)母親(ははおや)(あい)だなんて(みと)めないわ。あの()(おも)うふりをして、一人(ひとり)綺麗(きれい)()えようとしないで。あなたが(はな)った言葉(ことば)(やいば)を、まずはあなた自身(じしん)がきちんと()()めなさい」


 ランタンの黄金(おうごん)()が、(わたし)叱責(しっせき)呼応(こおう)するように(するど)()()がった。


 女性(じょせい)身体(からだ)(はげ)しく(ふる)える。


 拒絶(きょぜつ)(かべ)(おく)で、彼女(かのじょ)呼吸(こきゅう)(あき)らかに狼狽(ろうばい)へと(みだ)れていくのが()かった。


 そこへ、ノアが(まよ)うことなくさらに一歩(いっぽ)(まえ)()た。


「あなたの(やさ)しさは、そんな(つめ)たい(やいば)のままで()わっていいはずがありません。その言葉(ことば)(おく)にある本当(ほんとう)(ねが)いを、どうか(わたし)(あず)けてください!」


 ノアが(むね)の『(しろ)(ほん)』を(つよ)(かか)げると、純白(じゅんぱく)(ひかり)硝子(がらす)結晶(けっしょう)(つつ)()んでいく。


 (わたし)もまた、ランタンを(たか)(かか)げてその()(おお)きくした。


 (はな)たれた黄金(おうごん)(ひかり)は、()てついた結晶(けっしょう)のみならず、(くだ)()った硝子(がらす)破片(はへん)までも(やさ)しく(つつ)()んで(あたた)める(ねつ)となって(そそ)がれる。


 (ひかり)拒絶(きょぜつ)(やいば)(はげ)しくぶつかり()い、きしみのような(おと)空間(くうかん)(ふる)わせる。


 女性(じょせい)(つよ)自責(じせき)(ねん)が、(ひかり)(あたた)かさとノアの()()ぐな(こえ)()れてわずかに(ほぐ)(はじ)めたその瞬間(しゅんかん)彼女(かのじょ)(かこ)んでいた()てついた(ゆが)みの(すべ)てが、(おと)()てて(くず)()った。


 (するど)いガラスの破片(はへん)はすべて(きよ)らかな(ひかり)(しずく)へと()わり、女性(じょせい)(すす)けたショールを(やさ)しく()らしていく。


 彼女(かのじょ)は、(おどろ)いたように(みずか)らの両手(りょうて)()つめ、やがてその表情(ひょうじょう)に、(みずか)らの(おか)した(あやま)ちへの、痛切(つうせつ)後悔(こうかい)(ねん)()かべた。


「……そうか。(きず)つけずに、ただ自由(じゆう)(あた)えたつもりだったのに。(わたし)のしたことは、あの()一番(いちばん)(ふか)く、(きず)つけてしまっていたのだね……」


 彼女(かのじょ)(むね)(おく)から(あふ)()た、悲痛(ひつう)後悔(こうかい)言葉(ことば)が、(ひかり)粒子(りゅうし)となってノアの『(しろ)(ほん)』の(ページ)へと()()まれていく。


 (みずか)らの(おか)した(あやま)ちの(おも)さを()った彼女(かのじょ)は、大切(たいせつ)(だれ)かを(おく)()したあの()(あたた)かな(みち)見出(みいだ)すこともできず、ショールを(ふか)(かぶ)(なお)したまま、ただその()()()くしている。


 強固(きょうこ)拒絶(きょぜつ)(かべ)(くだ)()ったものの、空間(くうかん)(しず)まり(かえ)ることはない。


 彼女(かのじょ)足元(あしもと)には()えることのない(ふか)後悔(こうかい)(かげ)(よど)みのように(しず)み、その胸中(きょうちゅう)(はげ)しい(いた)みと連動(れんどう)するように、(つめ)たく重苦(おもくる)しい空気(くうき)がびりびりと()()(つづ)けている。


 その(はだ)()すような緊張(きんちょう)(かん)のなか、ノアはそっと(ほん)()じ、胸元(むねもと)でぎゅっと()きしめる。


 その仕草(しぐさ)には、(ほん)宿(やど)った後悔(こうかい)のあまりの(おも)みに、じっと()えるような痛々(いたいた)しさが()ざっていた。


 (わたし)()にした真鍮(しんちゅう)のランタンの(とも)()(ととの)えようとした。


 しかし、どれほど(しん)調整(ちょうせい)しても、黄金(おうごん)()周囲(しゅうい)(ゆが)んだ空気(くうき)(こば)むように(ほそ)(するど)(とが)り、一向(いっこう)安定(あんてい)しようとはしなかった。


 (ゆが)みは(あば)かれ、(かく)された本音(ほんね)(あらわ)になった。


 しかし、それだけでは彼女(かのじょ)(すく)()げることは(かな)わない。


 (みずか)らの(あやま)ちに()づいたからこそ、(たましい)はより(はげ)しい後悔(こうかい)()()かれ、(いま)なおここに(しば)()けられたまま()()くしている。


 ランタンの(ほのお)が、(すす)むべき(しん)針路(しんろ)()(しめ)すように不規則(ふきそく)(はげ)しく()らめく。


 その(ほそ)(とも)()(するど)()らし()したのは、(たましい)奥底(おくそこ)彼女(かのじょ)(とら)えて(はな)さない(ふか)悔恨(かいこん)深淵(しんえん)だった。


 (わたし)(せま)()不穏(ふおん)予感(よかん)(むね)()きながら、(ひかり)()(しめ)暗闇(くらやみ)(おく)をじっと()()えた。


 

 

(だい)11()(つづ)く。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ