対面 sideラグナ(part38)
「誰も、いませんね……」
声は、静まり返った集落へと吸い込まれるように消えていった。
両側に佇む建屋の陰を伺いながら進むが、人影はおろか、生き物の気配すらない。無人――そう表現するのが正しいのかどうかすら、私には測りかねていた。
「この集落はまだ広い。油断はせえへん方がええじゃろ」
先頭を行くヤシャが、太い指で道の先を指し示しながら静かに注意を促す。その背中に続いて足を進めるが、違和感は拭えない。
鬼はもちろん、魔人の姿すら見当たらなかった。これほどの規模の集落であれば、かなりの数が配置されていてもおかしくはないはずだ。
ほんの少し前まで、私たちはもっと狭い山道や小さな集落で、まるでこの島の住民であるかのように群がり出てくる敵を相手にしていたというのに。この不気味な空白は何なのだろう。
「奥に広場がある。細かい捜索は後回しにして、とりあえずそこまで行ってみんか」
「そうだねぇ……」
ザビーネが煙管を指で弄びながら、曖昧に頷く。
集落の境界を跨いだ瞬間から、肌を刺すようなプレッシャーが漂っていた。
この奥に潜む「何か」が、それほどまでに圧倒的な実力者であり、自分一人で十分だと高を括っているからなのか。あるいは、「私はここにいる」と、不遜な態度でこちらの恐怖を誘っているかのようだった。
見上げる集落の建屋は、どれも惨惨たる有様だった。
倒壊した木組み、崩れ落ちた壁、黒ずんだ焦げ痕。
廃墟と化した街並みを視界が拾うたび、胸の奥から忌々しい記憶がフラッシュバックする。じわりと額を滑り落ちる脂汗。
せっかく綺麗に敷き詰められていたはずの石畳は微細に割れ、無惨な溝を刻んでいた。
こみ上げてくる吐き気と、頭を締め付けるような激痛。それらを私は、歯を食いしばって全力で無視する。
前に進まなければならない。今、この時のために、私は今日まで泥を啜るようにして生きてきたのだから。
ふと見上げた空は、残酷なほどに青かった。
天高く座す太陽が燦々と光を注ぎ、その下を幾筋もの白い雲が、悠然と揺蕩っている。風に身を任せるその姿は、あまりにも呑気で、どこか美しかった。
私たちは地上で地を這い、必死に命を削り合っているというのに。
理不尽なまでの対比に気分は最悪だったが、同時に、この状況で天気までどんよりと曇っていたら、とても正気ではいられなかったかもしれないとも思うのだった。
「ねぇ……ここ、明らかに『何か』いるわよね」
沈黙がつくり出す静けさに耐えかね、私は押し殺した声で話題を振った。胸の鼓動を誤魔化すように、腰に刺している剣の柄を握る手に力を込める。
「じゃろうな」
ヤシャが短く応じ、視線を前に向けたまま鼻を鳴らす。
「それが、どーかしたかー?」
背後から追いついてきた一行のリアクションは、驚くほど軽やかだった。拍子抜けするような声に、私は思わず足を止めて振り返る。
「……なんでそんなに呑気なわけ? 怖くないの?」
「前方から嫌なプレッシャーは感じますけど、ここまで来て怯えていても仕方ないでしょう? ……どこか具合が悪ければ話は別ですが」
「まさか。絶好調よ……」
嘘だった。
足は鉛のように重く、指先は微かに震えている。
自分が望んだ復讐だ。それは私の大願であり、いまさら揺らぐものではない。
しかし、胸に秘めた大願の強さと、これから死線へと足を踏み入れる恐怖は、全くの別物だった。
湧き上がる悪寒を押し殺そうと、さらに柄を強く握りしめる。
「大丈夫ですか?」
不意に正面から声をかけられ、顔を上げる。ノエがこちらの顔を覗き込むように、整った顔立ちを間近に寄せていた。
「う、うん……」
動揺を隠そうとした瞬間、ノエの手が伸び、私の両肩をガッツリと掴んだ。ビクッと体が小さく跳ねる。
「深呼吸してください」
「へ……?」
「息をゆっくり吐き出して……」
戸惑いながらも、言われるがままに口からゆっくりと息を吐き出してみる。
「そのまま……はい、ゆっくり吸って」
呼吸のペースを預けるように、新鮮な空気を肺いっぱいに満たしていく。
冷たい空気が体中を巡るにつれ、いつの間にか指先の震えが収まっていった。荒立っていた鼓動が静まり、霧が晴れるように頭の中がクリアになっていく。
自分が何のためにここにいるのか。その覚悟を、静かに再確認する。
「待たせてごめんなさい、行きましょう。ノエも、ありがとう」
「いえ、私の役目ですから」
ノエの大きな手が肩からゆっくりと離れていく。服の上からでも、彼女の手のじんわりとした温もりが残っていた。
ノエは満足そうに微笑むと、私から少し離れて再び前へと歩き出す。私もその背中を追うように、ボロボロの石畳へと足を踏み出した。
踏み出す一歩が、先ほどよりも少しだけ軽やかに感じられた。
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「おう、ここが広場じゃ」
ヤシャの声で全員の足が止まる。私たちは集落の中心部へと辿り着いていた。
円形に大きく開けたその広場もまた、凄惨な戦闘の痕跡を色濃く残していた。敷き詰められていた石畳は豪快にめくれ上がり、抉れた土肌が無惨に露出している。
「ここも、だいぶ凄惨ですね……」
ノエが眉をひそめ、広場の荒廃に痛ましげな視線を向けた。
「ヤシャ、あのでかい建物……なんだ?」
ポポロが広場に隣接するように聳え立つ、一際大きな屋敷を小さな指で指し示す。周囲の崩壊した建屋に比べれば原形をとどめているが、分厚い壁面には幾筋もの亀裂が走り、重苦しい威容を誇っていた。
「うむ。あれはこの集落で一番でかい建物でな……む?」
説明を続けようとしたヤシャが、急に言葉を詰まらせ、低く喉を鳴らした。
緊迫した空気が一瞬で周囲を満たす。全員の視線が、吸い寄せられるようにその建物の暗がりへと向いた。
漆黒の影に覆われ、はっきりとは視認できない。
だが、そこに何者かが佇んでいる。
「ヤシャ殿……思っていたよりも、お早いお付きで……」
静寂を切り裂いて響いたのは、低く重厚な男の声だった。目を凝らして影の奥を見据えると、そこには異形の威容を纏った鬼の男が立っていた。
「ラセツか……!?」
ヤシャが息を呑み、力強く足を踏み込む。
「左様で。まさか本当にここまでお越しになるとは……」
その姿を捉えた瞬間、胸の奥で固く結んでいた糸が、少しだけ解けるのを感じた。これでようやく、目的の人質を救出できる。遠目から見る限り、ひどく痛めつけられているような様子はない。よく見れば彼の周囲には格子状に形成された魔素が不気味にうごめいているが、破れない道理はないはずだ。
「今、そこから出してやるぞ!」
ヤシャが救出のため、石畳を強く蹴って一歩を踏み出した――その刹那。
「来るな! ヤシャ殿!」
短くも鋭い叫びと同時に、空間そのものが狂暴に鳴動した。
ラセツの前方の足元から、禍々しい漆黒の魔素で編まれた波状の衝動が吹き荒れる。石畳を容易く粉砕し、無数の鋭利な棘となって、地を這うような勢いで私たちへ襲いかかってきた。
『!?』
限界まで身体を絞り、全員が間一髪のところで左右へ躍り出る。
ワンテンポ遅れて、私たちが直前まで立っていた場所の石畳が凄まじい音を立てて爆ぜ、鋭い岩片と土煙が天高く舞い上がった。
強引に離された距離。視界を真っ白に染めた砂埃が、吹き抜ける風によってゆっくりと晴れていく。
――そこに、立ち塞がっていた。
ラセツを背後に庇うようにして立つ、その影。
頭部から歪で禍々しい角を異形に生やした一人の女性が、冷徹な眼光で私たちを鋭く射抜いていた。
皆さまどうも&初めまして。
みゃ~むらと申します。
お読みいただき、誠にありがとうございました。
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