作戦会議『前編』 sideアレン(part31)
束の間の休息を終えた俺たちは、里の中心部に構えられた『講道館』と呼ばれる巨大な木造建築へと案内された。
先ほどまで身を寄せていたセツナさんの御殿に比べれば装飾こそ質素だが、大勢の屈強な鬼たちが一堂に会して戦備を整える本部としては申し分のない広さだ。
聞けば、魔人たちと停戦状態へ陥る直前まで、ここが防衛の最前線指揮所として機能していたらしい。壁際に立てかけられた無骨な槍衾や、幾度となく戦略が練られたであろう大机が、生々しく当時の切迫感を物語っていた。
館のあちこちでは、伝令や兵站を受け持つ鬼たちがひっきりなしに激しく出入りを繰り返している。
山積みにされた兵糧の俵、運び込まれる救護用の薬草、そして遠く隣接する工房からは、昼夜を惜しんで振るわれる「カキン、カキン」という刀鍛冶の槌音が、絶え間なく地鳴りのように響いていた。
先ほどその工房を見学させてもらったが、立ち上る火花と職人たちの鬼気迫る眼差し、そして鍛え上げられていく鋼の美しさは、ただただ見事と言うほか無かった。
セツナさんが腰に差しているあの豪壮な太刀も、同じようにして打たれた業物なのだそうだ。同行していたデンドロビウムさんも「是非、私たちの武装にも取り入れたいなぁ」と目を輝かせてぼやいていたほどだ。それほどまでに、この島に伝わる刀の出来栄えは突出していた。
広間の中心に据えられた大きな作戦机の周囲には、俺たちだけでなく、各隊を率いる筋骨隆々なリーダークラスの鬼たちが何名も招集されていた。
鬼達は基本ガタイがいいため、見ているだけで威圧感がすごい。特に闘争心が溢れている人たちで溢れかえっているからこそひとしおだ。
上座に立つセツナさんの両脇には、ハバキリとナタクさんの姿もある。
「ハバキリ、ヤシャ殿の姿が見えませんが……?」
セツナさんの問いかけに、その場に控えていたハバキリが、耳を伏せるようにして申し訳なさそうに視線を落とした。
「セツナ様、それが……いつものお屋敷へお呼びに伺ったのですが、もぬけの殻だったのです……」
「もぬけの、殻……?」
その一言に、広間の空気がピキリと凍りついた。
周囲の指揮官たちからも、ざわりと低く不穏なざわめきが漏れる。
「まさか、ヤシャ殿の身に何か起きたと……?」
セツナさんの引き締まった横顔に、隠しきれない焦燥と動揺が走る。
だが、その懸念を遮るように、ハバキリがおずおずと手を挙げて言葉を継いだ。
「あ、いえ! それは考えにくいかと存じます。ヤシャ殿の庵は確かに里から離れた外れにございますが、前線とは里を挟んでちょうど真逆の位置……もし敵の襲撃があれば、察知できるはずです」
「それに加え、ご自宅とその周辺には争ったような形跡は一切見受けられませんでした。ハバキリに同行させた我が部下からの確かな報告です」
ナタクさんも重々しく頷き、何者かに連れ去られた可能性をきっぱりと否定した。
「そう……ですか。居られないのであれば、今は仕方がありませんね。……万が一の事があってはいけませんから、引き続き、手の空いている者で捜索だけは頼みます」
「承知いたしました」
わずかに視線を落とし、小さく肩を落としながらも、セツナさんは族長代行としての指示を毅然と下す。
だが、一番に頼りにしていた兄ラセツは敵の手に落ち、幼い頃から自分たちを支えてくれた父代わりのヤシャまでもが行方不明。
年若い彼女の背中にのしかかる重圧の大きさに、その横顔には隠しようのない不安が滲み出ていた。
「セツナ殿」
静かに歩み寄ったエデンが、そっと彼女の肩に機械の手を置いた。
この鬼島へ最初に降り立った時と同じ、静かで揺るぎのない仕草。無機質な金属で構成されたアームのはずなのに、その指先の動きには、本当に温かな体温が宿っているのではないかと錯覚してしまうほどの優しさと慈しみが宿っていた。
「大丈夫だ。我々がいる。……貴女は、ただどっしりと前を向いて構えていればいい」
「エデン殿……」
「兄君の安否も、父代わりの方の行方も分からず、不安に押し潰されそうな胸中は重々理解できる。だが……戦う前から、指揮官が下を向いていては兵が迷うぞ」
迷いを断ち切るような、確固たる純然たる励ましの言葉。
その声に弾かれたように、セツナさんはハッと息を呑み、周囲を見渡した。
俺も、セシルも、デンドロビウムさんも、そして歴戦の鬼の戦士たちも。
全員が彼女の次の号令を、全幅の信頼を込めた瞳でじっと待っていたのだ。
セツナさんは目を閉じ、乱れた胸中を落ち着かせるように深く、長く息を吸い込んだ。
そして再び瞼を開いた時、そこには迷いを脱ぎ捨てた、凛々しい若き族長の顔があった。
「……お見苦しいところをお見せして申し訳ありませんでした。これより、ラセツ奪還ならびに魔人掃討の作戦会議を始めます!」
張り詰めた空気の中、力強い宣言とともに、反撃の軍議が幕を開けた。
開け放たれた障子格子の隙間から、乾いた風が吹き抜け、机上に広げられた大きな羊皮紙の端をパタパタと揺らす。
「現在、この里の南西から南東にかけて、最も近い距離に三箇所の敵拠点が確認されております」
ナタクの太い指の動きに合わせ、側に控える鬼の戦士が筆に朱墨を浸し、鬼島の険しい山河が描かれた地図へ手際よく印を落としていく。
「規模的は大きくはありません。魔人も有象無象ばかり。セツナ様が島へ戻られるまでの間に遭遇したという、規格外の化け物クラスは確認されておりません」
淡々と、しかし淀みなく戦況が紡ぎ出されていく。留守を預かっていた彼らが、いかに万全の備えでこの時を待ち侘びていたかが痛いほど伝わってきた。
「……魔素による土地の汚染はどうですか?」
セツナさんの淡々とした進行をしていく。
魔素の侵食。今もなお人間領を蝕み、草木を枯れ果てさせ、生きとし生けるモノを絶望に追いやる死の帳だ。あれが広がっていれば、侵軍そのものが困難を極める。
「問題ございません。わずかな澱みこそあれど、大規模な侵食には至っておりませぬ」
「道中の進軍路にも汚染の兆候は確認されておりませんので、兵の移動に支障はないかと」
ナタクさんの力強い返答に、胸を撫で下ろす。どうやらこの美しい島は、まだ奴らの毒牙に完全に染まりきってはいないようだ。
「セツナ様、いかがいたしましょう。ラセツ様が幽閉されているとすれば、これら前哨拠点の先……『オニデの集落』である可能性が極めて高いと踏んでおりますが」
ハバキリが身を乗り出し、机上の地図を指差しながら言葉を補足する。
「セツナさん、その『オニデの集落』っていうのは?」
隣で黙って聞いていたセシルが、素朴な疑問を口にした。
一瞬、周囲の鬼の将たちから「余所者が」とでも言いたげな鋭い眼差しが向けられた気がしたが、セシルは気にも留めず涼しい顔で受け流している。大した度胸だ。
「オニデはこの里に次いで二番目に大きな集落です。島のほぼ中心部に位置し、交易の要所でもありました」
セツナさんが静かに応じると、地図の中央へ新たな朱色の丸が刻まれた。
「この一帯は、見通しの良いなだらかな平地が広がっています。……それが攻め手としては最大の難点ですね」
「遮蔽物が少ない以上、力攻めを仕掛ければ遠方から察知されます。攻め込むのならば、深い夜陰に乗じるか、あるいは感知される間もなく電撃戦で一気に踏み潰すかの二択になるでしょう」
ナタクさんの戦術眼は的確だった。土地の起伏や風の流れを知り尽くしているからこその判断だ。
「ちなみに、手前にある三箇所の拠点を潰せば、そのオニデとやらは目と鼻の先なのか?」
腕組みをしたエデンが、碧い光を宿す双眸を作戦図へ向けながら確認する。
「いえ、道中には放棄された小集落がまだ幾つか点在しております。それに加え、奴らが周辺を徘徊し、新たな前哨地を構築している可能性も十分に考えられます」
ハバキリが眉をひそめながら首を横に振った。
「う〜ん、そうなるとさ、戦力を無闇に分散させるより一点集中で突っ込んだ方が早いんじゃない?」
デンドロビウムさんが顎に手を当てて呟く。だが、エデンが冷静にそれを否定した。
「それでは背後が疎かになる。撃破し損ねた側面の拠点から回り込まれれば、挟撃の餌食だ」
「あ、そっかぁ」
「それに、手薄になったこの本陣を逆襲されるリスクも跳ね上がる。……中々骨の折れる状況だな」
地図の端を険しい目で見つめていたフェリクセンが、低く唸るようにぼやいた。
たった一つの拠点を奪還するだけでも、無数の命と知恵が交錯し、極限の駆け引きが繰り広げられている。
吹き抜ける風に乗って、遠くの滝の轟音と工房の槌音がかすかに重なり合っていた。
その張り詰めた空気の中、俺は固唾を呑みながら、自分に何ができるのかを必死に考え続けていた。
あ、9月さんだ。
9月さんが笑ったよ。
私は拒絶したよ。




