道標 side ラグナ(part33)
「ねえ……それ、どんな奴が連れていったの? お兄さんの交渉相手はどんな姿だったの?」
胸の動悸を悟られぬよう、私は逸る気持ちを必死に抑え込みながら言葉を紡ぐ。
ヤシャは地面の不格好な地図を見つめたまま、白髪混じりの頭をぽりぽりと掻いた。
「ラセツの奴、護衛もつけずにたった一人で行きよったからな。誰もその交渉現場を見てはおらん。ただ、ここ数日奴らの襲来がないところを見るに、一応の交渉は成立したんじゃろうて」
「……私でも、そのくらいの推測はするわね」
「じゃあ、あなたたちはそのお兄さんを取り返しに行かないのですか?」
ノエが小さく身を乗り出し、澄んだ瞳で不思議そうに尋ねる。
「人質を取られておるからの。下手にこちらから騒ぎを起こして、ラセツの首を飛ばされては元も子もない。それに、時間が欲しいのはこちら側も同じじゃ」
「きゅうえんまち、ってことだな!」
「そういうことじゃ、ポポロよ」
ポポロが木彫りのカップを両手で高く掲げ、元気に声を上げる。相変わらず重苦しい場にそぐわない快活な響きだ。
ヤシャは「がしがし」と音を立てるように、隣に座るポポロの頭を揉みほぐすように撫でまわす。ポポロの小さな体が、その強い力で左右に大きく揺れていた。
「つまり……セツナさんという方の帰還を待っているわけですね」
「あぁ。その間も里では着々と負傷者の治療を進め、武具を鍛え直しておる。来るべき日までに着実に反撃の機を窺っておるというわけじゃ」
ヤシャが肩をコキコキと鳴らすと、服の上からでもわかるその強靭な筋躯が隆起した。老いてなお衰えぬ命の圧力が、波のように伝わってくる。
「でも……いつ帰ってくるか分からないじゃない。そのセツナって人」
「む……」
私が直球で核心を突くと、ヤシャはまるで苦虫を噛み潰したかのような苦悶の表情を浮かべた。
落ちぼけた目を泳がせるその姿からして、彼自身も薄々その懸念を抱いていたのだろう。
「……さっき貴方は、魔人のいる場所に案内できると言ったわね? それは本当?」
「うむ。儂も最前線におったし、この鬼島の地形なら死ぬほど知り尽しておる。奴らがいそうな潜伏先や、あの魔素溜まりまでの最短ルートなら案内できよう」
「なら、私たちをそこへ連れていって」
「ラグナ、さっき表立って戦えないことは貴方も……」
「だからこそよ」
制止しようとするノエの言葉を、私は指をさして遮った。
「今、あなたたちはセツナとやらが戻るのを待っている。それまでは不気味な停戦状態が維持されるかもしれないけれど……彼女が向かった先がどこか、分かっているの?」
私はザビーネに視線を送る。
私の意図を察したザビーネは、紫煙を燻らせながら何かに察して「にやり」と妖しい笑みを口元に浮かべた。
理由が分からず、ヤシャが不審そうに首を傾げる。
「どこなんじゃ、セツナが渡った場所は? 儂らは昔から外の世界には疎くてのう」
「私たちの国《サハラド鱗皇国》のお隣……『機械国デウステクス』という国でね。機械やら機構っていう技術を駆使して生きている、文化も技術も何もかも違う連中の国さ」
「ほほう〜……機械の国、とな。また奇怪な話じゃのう。生きておるうちにこの目で見てみたいものじゃ」
「おれもみたいぞー!」
「ポポロは黙っていなさい」
話に混ざろうとしたポポロの口をサッと手で塞ぎ、私はヤシャに向き直る。明るいのはポポロの長所だが、今は話を前に進めなければならない。
「……それで? あなたたちは、そのデウステクスとやらとの救援交渉が『上手くいかない可能性』を考えなかったの?」
「そっちは考えとらんかったのう」
「え、本気で言ってる……?」
私は小さくため息をついた。額を押さえたくなるほど頭が痛くなってくる。
ノエやザビーネも、少しばかり面食らったような顔で顔を見合わせている。
「むしろ、その可能性を排除して待っていたの?」
「……いやぁ、そっちはさっぱり頭になかったわい」
「なんでよ……!」
私の思わず漏れた呆れ声に応えるように、谷を吹き抜ける風が赤土の粒子を散らした。
鬼というのは皆こうも能天気な種族なのだろうか。それとも、絶望ばかりを経験してきた私がマイナス思考に過ぎないのだろうか。
「普通、真っ先に不調に終わる可能性くらい考慮するでしょう?」
「ふふ、それだけセツナさんというお方を、一族の皆さんが深く信頼しているということではありませんか」
「そうじゃそうじゃ。ノエ、お主はええことを言うのう!」
「ま、デウステクスの連中は冷徹なまでに判断や行動の速度が速い。救援を寄こすと決めたなら、今頃は艦隊の準備でも進めているかもしれないねぇ?」
「ほう! そりゃあ戦力として実に頼もしいのぉ」
ヤシャが感心したように豪快に笑う。
「……だから、ちょっと待ってって言ってるでしょ!」
私は思わず立ち上がり、地面の不格好な地図を指差した。
「仮に救援が来るとしても、この広い海を越えてくるのよ? 時間がかかるに決まってるわ! それに……普通に破談になって、見捨てられる可能性だってゼロじゃないでしょ!」
「まあ……ラグナの言うことにも一理あるさね。機械仕掛けの連中が、見返りなしに他種の島を助けるとも思えない」
ザビーネが細い煙管を指先で弄びながら同意する。私はヤシャをまっすぐに見つめ返し、言い放った。
「だから——セツナが救援を引き連れて戻ってくる前に、私たちがその魔人どもを追い払ってあげる」
「ほぉ……お主らだけで、か?」
ヤシャの目が再び細まり、私たちを値踏みするように観察する。
彼の目から私たちがどのように映っているかはわからない。だがこれでもそれなりの修羅場は潜ってきたつもりだ。
「ヤシャ。本当にお兄さんが魔人へ交渉に行ってから、一度たりとも戦闘は起きていないのね?」
「うむ。一度も行われておらん。それどころか、双方ともに最低限の見張りしか出しておらんはずじゃ」
(意外と互いに律儀なのね……)
心の中で感想を漏らす。
「鬼の戦士たちは、命じられた通りきちんと静観を守っているわけですね」
「『上の決定には絶対に従う』というのが、古来より伝わる我が一族の絶対の掟じゃからの」
「……だったら話は早いわ。セツナが戻らない間、鬼の戦士たちは戦場に近づかないし、魔人の巣を刺激することもない。……完璧な死角じゃない」
「その隙を突き、鬼の者たちに気づかれないよう潜入し、奇襲を仕掛ける……と?」
ノエが合点がいったように頷く。これならば余程派手に動かない限り、鬼側に察知されることはないだろう。
「そうよ。敵のアジトを一つずつ潰しながら、人質になっているそのお兄さんも探し出す。鬼連中にも気づかれないまま最短で敵を殲滅する……」
「なるほど……。鬼島の一族を刺激せず、救援の到着を待たずに我々だけでしらみつぶしに叩く……理には叶っていますね」
「う〜む……だが、そんな軽業のような芸当が、たった五人で可能なのかのう?」
「……じゃあ試してみましょうよ。一箇所でいいから、奴らが基地やアジトにしている近場のポイントはないの?」
「あるにはあるが……あまり里に近い場所だと、戦闘音で里の鬼どもに感づかれてしまうでの。仕掛けるなら、もう少し離れた場所をピックアップせねばならんじゃろう」
「5人? ヤシャ、オマエもついてくるのか?」
ポポロが耳を傾けながら首をかしげる。
「当然じゃ。おまえらが島のために戦っておるのに、ワシだけコソコソ隠れるわけにはいかんて」
ヤシャは力強く言い放つと、足元の赤い土に木の枝を突き立て、近隣の拠点をいくつか記した。
指し示された場所は、赤土の谷間を抜けた先の険しい岩蔭だ。見たところ距離はそう遠くないように見える。
(……島のためなんかじゃないけれど)
心の中で呟きながら、私は腰の細剣の柄にそっと手を添えた。
「決まりね」
「もう、今から行くんか?」
「もちろん。うかうかしてたらその族長の片割れのお兄さんもどうなるかわかんないでしょ」
「うぅむ……」
「そうとなれば話は早いですね」
「全く、強引な奴らじゃ……」
「ゆっくりする時間もないさね」
「やるぞー!」
太陽が高く登り始め、照りつける陽光が焼き尽くすような朱色の岩壁をいっそう鮮やかに染め上げる。
谷を吹き抜ける風には、赤土の乾いた匂いと、遠くの魔素溜まりから漂う微かな焦燥の気配が混ざり合っていた。
私は腰の細剣の柄を改めて強く握り直し、断崖の向こう、天を覆うように立ち込めるどす黒い魔素の雲を深く睨みつけた。
皆さま、どうも&初めまして。
みゃ~むらと申します。
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アチチのチ。




