幕間:決意の狭間 side セシル&セツナ(part2)
「セシル殿、その……少しお聞きしてもよろしいでしょうか?」
もぐもぐとパンを咀嚼しながら、目の前に座る鬼の女性がどこか恐縮した様子で尋ねてくる。
セシルはベーグルを口に含んだまま、不思議そうに首を傾げた。
「はい、私に答えられることでしたら何でも……」
改めて何を聞かれるのだろう、と内心ドキドキと鼓動が早まる。
「その……アレン殿はどうして、あのような事を私に仰ったのでしょう?」
「あのような事って……?」
ベーグルを食べ終え、冷たいコーヒーで喉を潤す。
この店のベーグルは生地にたっぷりとチョコレートが練り込まれた甘い仕上がりが特徴だ。口いっぱいに広がったまろやかな甘みをコーヒーの苦味が優しく引き締め、双方の美味しさを際立たせる。
しかし、先ほどまで幸せそうにパンを味わっていたセツナの表情には、いつしか真剣で重みがかった色が灯っていた。
「あの人間領の面々との会議が始まる前に……私へ『鬼島に戻った方がいい』と……」
「……そのことですか」
「えぇ。何か深い訳があるのではないかと思いまして……」
クロワッサンを食べ終えたセツナが、何気なくコーヒーを一口含む。
するとその真剣な表情が一瞬で崩れ、これまで出逢ったことのない未知の苦味に驚いたのか、瞳を丸く見開いた。きっと砂糖が足りなかったのだろう。
セシルは思わず小さく苦笑しながら、彼女の手元のグラスに角砂糖をもう一つそっと落としてあげた。
「……少しだけ話が長くなりますが、大丈夫ですか?」
「はい、尋ねたのは私ですから」
セツナさんはストローで追加の砂糖をゆっくりと溶かす様に、混ぜる。
「あと、他の人には秘密にしてくださいね。古くからの友人とはいえ、本人のいないところで過去を言いふらすのもあれですから……」
「もちろんです。決して他言はいたしません」
納得したように凛とした表情で固く頷くセツナ。
セシルは緊張をほぐすように、香草とチーズが表面で香ばしく焦げたフォカッチャを指差し、促した。
セツナは誘われるようにそっと手を伸ばし、一口かじる。途端にまた瞳を輝かせ、ぱくぱくと美味しそうに食べ進めていった。
「人間領も黒い魔素……魔人の侵略を受けているのはご存知ですよね?」
「はい。数年前から大規模な侵攻が始まっていると、聞き及んでおります」
フォカッチャを咀嚼しながら、片手で口元を優しく隠す綺麗な所作で返答が返ってくる。
「正確には、九年前からです。そして、最初に襲撃を受けた場所こそが……彼の故郷なんです」
「……っ!?」
セツナは驚愕に瞳を見開き、言葉を詰まらせた。
次いで、胸を痛めるように痛切な陰りを顔に落とす。遥か東の島で起きた自身の故郷の惨劇と、重ね合わせているのかもしれなかった。
「……幼い身には、到底耐えかねる経験ですね……」
「ええ。事件を知った当初の彼は、何日も部屋から出てこられないほどでした」
「無理もありません……」
いつの間にか、セツナのフォカッチャを運ぶ手がピタリと止まっていた。
「だから……セツナさんには、自分と同じ後悔をしてほしくなかったんだと思います。あの時の私たち……ううん、今だって魔人に対して無力なまま、ただ悪戯に時間だけが過ぎていますから」
今もなお、人間領の土地の三割近くが不気味な黒い魔素に侵食されたまま、時を止められている。アレンのように故郷を奪われ、追われた者は数知れない。
「昨日までのアレン殿を見る限り……彼は既に、立ち直られているのでしょうか」
「それは……私にもまだ、分かりません。彼の心が今も過去に囚われているのか、それとも前を向けているのか。私たちの前ではいつも通り明るく振る舞ってくれていますけど、やっぱり魔人を前にすると……」
「……心のどこかで、復讐を願っている……と?」
セシルは言葉に詰まり、深く下垂れてしまった。
今はルクレチアのもとで和平の道を願い、そして模索しているはずだ。
……しかし、魔人を目の当たりにしたあの瞬間。宿敵ユーグに狂気的な眼光で詰め寄ろうとしていたアレンの横顔。
あの時ばかりは、まるで人が変わってしまったかのように見えた。
平和を望んでいるのは嘘ではないし、それも彼の本心に違いはない。
……だとしても。
人に刻まれた強い感情は、そう簡単に消し去れるものではないのだ。きっと、激しい憎悪もまた、彼の中に残り続けている。
誰にも……親しい自分たちにさえ見せないドス黒い感情が、彼の奥底で静かに、だが着実に蠢いているのかもしれなかった。
「……シル殿! セシル殿!」
ハッと我に返る。目の前には、焦りの色を浮かべたセツナの顔があった。
どうやら自分まで深く考え込みすぎてしまっていたらしい。冷房の効いた涼しい店内のはずなのに、額には脂汗がじとりと滲んでいた。
「すみません、余計なことを聞かせてしまいましたね。せっかくのセツナさんとの親睦会だというのに……」
「いいえ、私こそ……お気を遣わせてしまって申し訳ありません」
気まずい沈黙がテーブルを包み込む。
ガラス窓の向こうの大通りは人々の歓声やホバーカーの駆動音で満ち、店内も賑やかな談笑に溢れているというのに。
二人が座るこのボックス席だけが、まるで世界から切り離されてしまったかのように重い静寂に支配されていた。
カラン……と、グラスの中で溶けかけた氷が体勢を変える小さな音だけが、虚しく響く。
「セシル殿」
「は、はい……?」
身を固くする。何を言われるのだろうと、脈打つ胸の鼓動が耳の奥でうるさく跳ねた。
しかし、俯いていたセツナが顔を上げると、そこには穏やかで上品な、そして息を呑むほど美しい笑みが浮かんでいた。
窓から差し込むやわらかな陽光を浴びたその姿は、どこか神々しくすら感じられるほどだった。
「私と……友達になっていただけませんか?」
「……へ?」
思ってもみなかった申し出に、素っ頓狂な声が出てしまった。
まさか話題を変えようとしてくれたのだろうか。それにしてもどうして急に?
混乱しているセシルだったが、ふと見ると、提案した張本人のセツナも顔を真っ赤にして視線を泳がせている。
「な、なんでセツナさんの方が照れてるんですか……!?」
思わず突っ込むと、次第にセシルの方が逆に冷静さを取り戻してきた。
セツナの白い肌は耳元や首筋、果ては頭のツノの根元まで真っ赤に染まっていく。
「い、いえ……突然、大変不躾なことを申しました。その、島には同胞こそ数多くおりますが、私と同年代の者はほとんどおらず……おりましたとしても従者ばかりで、対等な友人と呼べる存在がおりませんでしたので……」
消え入りそうな声で、しかし一生懸命に言葉を紡ぐセツナ。
一国を背負う屈強で気高くあるべき鬼族の代表者——その重圧を降ろした今の彼女は、どこからどう見ても等身大の可愛らしい少女そのものだった。
「その……今よりも気軽にもっと、色々なことをお話ししたり、聞いたりしたいのです」
「フフ……もちろんです! こちらこそ、よろしくお願いします……セツナさん」
「……っ、はい!」
パッと花が咲くように、セツナの表情が明るく華やぐ。
セシルは照れ隠しに冷えたコーヒーを一口含んだ。先ほど感じたはずの苦味はすっかり消え去り、どこか爽やかで優しい味わいが胸いっぱいに広がっていった。
みなさまどうも&初めまして!
みゃ~むら、でございます。
今回もお読みいただきありがとうございました。
あ〜自由になりてぇ。そうは思いませんか?
あの上空を気持ちよさそうに飛び立つ鳥になってミテェ。
人は空への憧れはやめられないんでしょう。
だからこそ飛行機を作り、その果ての宇宙を目指したのですから。
よし!ぼくもいくぞ、パタパタパターン!




