緊張の一時 side アレン(part16)
俺たちが乗り込んだ船は、重低音のエンジン音をかすかに響かせながら、静かに港を出港した。
時間は明け方。
地平線の向こうにはまだ太陽の姿は見えず、世界は濃紺の夜のベールに包まれている。
だが、これから昇る光の王を予兆するように、東の空の一角だけが帯状に、薄い琥珀色と淡いピンク色を混ぜ合わせたような不思議な明るさを放ち始めていた。
いま俺が踏みしめているのは、漁師たちが使うような鄙びた木造船でも、人間領で見かける優雅な貿易船でもない。
それは、鈍い灰色の防錆塗装が施された、重厚な金属と厚い鉄板によって組み上げられた、恐ろしく頑強なデウステクス製の鉄鋼船だった。
これなら、通常の銃弾はおろか、魔物の鋭い爪や大剣の直撃すら易々と弾き返すに違いない。
「交易船を急造で改良した」とは聞いていた。
だが、船内の通路や曲がり角のあちこちに、不気味な黒光りを放つ多銃身の機関銃や、ずらりと並べられた巨大な実弾の倉庫が所狭しと固定されている。その物々しい光景を見るに、とてもたった数日の突貫工事で用意されたものとは思えなかった。彼らの技術力と、この作戦にかける執念が垣間見える。
甲板も、客室の壁も、天井も、目に入るすべてが冷たい金属で構成されていた。
そのため、厚手のブーツで一歩進むたびに、カン、カン、と小気味よくも冷徹な金属音が船内に反響し、どこか逃げ場のない戦闘前夜のような緊張感を嫌が応にも煽ってくる。まあ、実際にそうなのだが。
目的地である鬼島は、決して近い島ではない。
しかし、デウステクスの技術で徹底的に改良されたこの鋼鉄の船であれば、数時間でその禍々しい領域に到着するという。
幸いなことに、仲間たちの中に船酔いに苦しんでいる者は一人もいなかった。
この船が向かう先は、ただの観光地ではない。血生臭い死線が待ち受ける戦場だ。
誰しもが言葉少なに、どこか張り詰めた緊張の面持ちを浮かべており、船内に漂う空気は鉄の匂いと共に重く沈んでいた。
いつもならいるだけで場が明るくなるデンドロビウムさんも、乗船してからというもの、船の最下層にある特設の工房設備に文字通り引きこもり、最後の瞬間まで兵装の最終調整に全神経を注いでいる。
キャノン砲の狙撃手を担当するピピもまた、巨大なキャノン砲の操縦室に籠もり、調整を続けていた。
彼女たちの技術と一撃こそが、今回の作戦の最大の要なのだ。
いま下手に関わって、その極限の集中を乱すべきではないだろう。
俺自身、押し寄せる戦闘へのプレッシャーのせいで、どうしても心が落ち着かなかった。
あてがわれた窮屈な鉄製の船室に一人、閉じこもるようにして過ごしていた。作戦行動が始まる前では俺にやれる事などほとんど無い。俺にできる事は、少しでもコンディションを良くすることだけだ。
しかし、ただ硬いベッドの上に寝転んで天井を見上げているだけでは、心臓の鼓動がうるさく耳に響くだけで、余計に落ち着かなくなる。
そんな、やり場のない思考の迷路に陥りかけていた、その時だった。
不意に、錆びた部屋の扉の横に備え付けられていた真鍮製のベルが、コロコロと澄んだ音を立てて鳴り響いた。
俺への来客だ。
「誰だろう……」
ベッドから起き上がり、ハンガーに掛けていた愛用の上着を羽織る。
部屋の扉は、タワー(機械塔)の内部で見かけたものと同じデウステクス製の重厚な自動スライド扉だった。
最初は戸惑ったこの高度な機械の扱いも、今ではすっかり手に馴染み、意識せずともスムーズに指を触れて解錠している自分に、ふと妙な驚きを覚える。シューッというかすかな減圧音と共に、冷たい鉄の扉が開いた。
薄暗い廊下の向こう、鉄の壁を背にして立っていたのは、セシルだった。
「ごめん、もしかして寝てた……?」
気遣うように、少しだけ眉を下げて覗き込んでくる彼女。
「いや、ゆっくりしてただけだよ。セシルこそ、こんな時間にどうしたんだ?」
「良かったら、一緒に朝焼けでも見に行かない? 本格的な作戦行動までは時間があるし、ゆっくり海を眺められるのも、今のうちかなって思って」
セシルはいたずらっぽく、にこっと柔らかく微笑んだ。
これから地獄のような戦地に赴くというのに、彼女のそのいつもの自然体な明るさは、俺の凍りつきかけていた心をすくい上げるように温めてくれる。
断る理由など、どこにもなかった。もしここで誘いを断ったところで、俺はまたあの狭い部屋に戻り、ベッドの上で無駄な思考を巡らせるだけだろう。
「ああ。喜んで」
俺はコートの襟を正し、快く頷いた。
二人で肩を並べ、無機質な機械の廊下を進んでいく。
冷たく機能美にあふれた船内の空気は、かつて機械国内でのタワーの中の質感に酷似していた。
ただ、少しだけ異なる点があるとすれば、通路の端や床面の至る所に、鈍く光る動力パイプや、何らかの液体が流れる高圧ホースが血管のように剥き出しで這い回っていることだ。
足元から伝わるかすかな機械の振動と、その不骨なパイプラインの存在が、今自分たちが大地ではなく、大海原を突き進む鉄の怪物の上にいるのだという事実を、強く再認識させてくれる。
「そういえば、フェリクセンは?」
ふと気になって、俺は尋ねた。
「誘ったんだけどね、『今は忙しい』って断られちゃった」
セシルは少し唇をとんがらせ、不満を露わにする。
「あいつ、まだ何かしてるんだな」
思い返せば、乗船前に開かれた最後の作戦ブリーフィングでも、フェリクセンが用意しているという『秘密兵器』の全貌は、とうとう俺たちに明かされることはなかった。
大丈夫なのだろうか、と胸の奥に小さな不安がよぎる。
ただでさえ見知らぬ土地での作戦行動なのだから、事前に情報共有してくれたら、俺たちにだって手伝えることくらいあるんじゃないのか。フェリクセンなりの気遣いなのかもしれないが、もう少しくらい俺たちを頼って欲しいものだ。
そこから、二人の間になんとも言えない沈黙が流れた。
話せる話題はあるはずなのに、どうしてか上手く会話を紡ぐことができない。俺の身体は、自分が思っているよりも強張って、緊張しているのかもしれない。
これから本物の戦地へと赴くのだ。これまでは嫌というほど鍛錬を積んできたとは言え、実戦経験の乏しい俺が緊張しない方がおかしいのだ。
俺のそんな悩ましげな面影を敏感に察知したのだろう。セシルは、その艶やかな黒髪のポニーテールをサラリと揺らしながら、上目遣いでこちらの顔を覗き込んできた。
「もしかして、緊張してる?」
「……してないって言ったら嘘になるな」
「だよね〜。正直に言うと、私もめちゃくちゃ緊張してるよ!」
「そうは見えないけどな」
隣を歩くセシルは、硬い鉄の天井に向かって両腕をぐっと前方に伸ばし、背中を反らせて伸びをしながら、おどけたように笑っている。
その軽やかなステップといつも通りの佇まいからは、命がけの戦いを前にした悲壮感や緊張など、微塵も感じられない。
「だって、緊張してたら肩に力が入っちゃって、動けるものも動けなくなっちゃうでしょ? だから、なるべく深呼吸して、リラックス! これが一番だよ」
「……セシルは、やっぱり強いな。すごいよ」
「そんなことないって。ただ、あんまり難しいことを考えないように、頭を空っぽにしてるだけだよ」
彼女は照れくさそうに笑いながら、甲板へと繋がる重い鉄の防水扉を、俺よりも手慣れた動作で開いてみせた。
バァン、と開かれた扉から、一筋の、息を呑むほどに鮮烈な光が差し込んできた。
「うわぁ……見て、すごく綺麗……っ」
「ああ、本当に、すごいな」
甲板へと踏み出した瞬間、俺たちの視界を支配したのは、あまりの美しさに言葉のすべてを失ってしまうほどの、壮大な夜明けの光景だった。
遮るもののない洋上の風は容赦なく冷たく、少しばかり肌寒く、俺の頬を優しく、だが鋭く撫で抜けていく。潮の香りがツンと鼻腔をくすぐった。人生で初めて体験する、波を裂いて進むこの独特な浮遊感。
そこには、視界を遮る木々も、そびえ立つ建築物の冷たい影も存在しない。
ただ、どこまでも、どこまでも真っ平らに広がる完璧な地平線。
その境界線から、夜空の深い藍色をゆっくりと、だが力強く染め上げるように、燃えるようなオレンジ色の朝日がその頭を覗かせようとしていた。
海面は朝日の煌々たる光を受けて、まるで無数の宝石を撒き散らしたかのように、赤金色にきらきらと波打っている。
たった今までいた冷たく無機質な鋼鉄の船内から、一歩外へ出ただけで、そこには世界の始まりを祝福するかのような、圧倒的な大自然の息吹が満ちていた。
冷たい潮風が髪を激しくなびかせるなか、俺たちはただ並んで立ち尽くし、世界が光に満たされていくその奇跡のような瞬間を、いつまでも静かに見つめ続けていた。
皆様、どうも&初めまして!
みゃ~むら、です。
お読みいただき、ありがとうございます!
感想、レビューお待ちしてます。
皆様は映画を見ますか?
私は好きです。面白い映画というのは時間や場所を忘れて没頭できるもの。
自由はないけれど不安もない、素晴らしい時間を過ごせる最高のエンタメの一つとも言えるのではないでしょうか。
それに恋愛からアクション、コメディ、ミステリーなどジャンルも多種多様。特に近年はサブスクによるサービスでより手軽に自宅で映画が見やすい良い時代にもなりました。
少し前はブルーレイやDVDを購入したり、幼い頃は金曜ロードショーをリアルタイムで眠い目を擦りながら見て、ビデオでも録画などもしていました。
受動的なコンテンツの中で最高峰の映像コンテンツであり、創作物だと思います。
皆様もお好きな映画がなければ、探してみるのもまた一興かと思います。
また次回で!




