夜凪 sideラグナ(part29)
「結局……ウミボウズなんて、出なかったじゃない……」
ぽつりと漏らした小さな文句は、濡れた夜風にさらさらと溶けて消えていく。
食事を終えた私たちは潮流に身を任せるようにして、ゆったりと船を滑らせていた。
激戦の最中、中央のマストが一本豪快にへし折れてしまったせいで、船の進行速度は想定の半分以下まで落ち込んでいたが、既に鬼島は目と鼻のさき。小舟でたどり着く様な距離となっていた。
この暗い時間帯でも、鬼島<オニカド>の雄大な自然を肌で感じる事ができるほどだ。
すでに夜は深く沈み、視界の限りは漆黒の闇に包まれていた。
この果てしない暗夜において頼れる灯りは、濃紺の夜空にぎっしりと散りばめられた満天の星々と、海面を穏やかに照らす静かな月明かりだけ。
日中の苛烈を極めた戦闘が嘘のように、波は静まり返り、凪いでいる。
私は一人、甲板での夜間警備を申し出ていた。
潮風に晒されて冷たくなった船の手すりに身を乗り出し、肘をついて、暗い波間や鬼島をじっと見つめる。
黒い海面が月光を反射するたび、鬼島からの夜光虫たちが儚くも力強い小さな煌めきを芽吹かせ、また瞬く間に消えていく。まるで海の上に咲いては散る、神秘的な光の花園のようだった。
だが、この静寂の時間だけが、今の私にとって唯一「一人になれる」時間でもあった。
胸の奥を重く押し潰していた日中に起きたトラウマやフラッシュバックは、不思議と今は治まっている。
……もっとも、トラウマを克服しただなんて、そんな都合のいい奇跡が起きたわけではない。
ただ単に、夜の警備をしている私の警戒心が極限まで張り詰めたままであり、頭の中が戦闘中のように冷たくクリアに冴え渡っているだけだ。
この緊張の糸を解けば、あの凄惨な光景が即座に脳裏にフラッシュバックするだろう。
それに、うっかり油断すればそのまま倒れ込んでしまうかもしれない。
正直に言えば、想定外の戦闘で肉体も精神も限界を迎えており、今すぐにでもベッドに潜り込んで泥のように眠りたい気持ちは山々だった。
けれど、ポポロは戦闘後すぐに泥のように眠りについてしまったし、ザビーネさんも極度の疲労困憊で、食事を取った後は船室へと引っ込んでしまった。
残る警備の枠は私かノエのどちらかだったが、私はノエに「休んで」と譲った。
ノエはどこか申し訳なさそうに眉を下げながらも、「ではお言葉に甘えて……」と驚きつつも素直に私の好意を受け取ってくれた。
全く、私を何だと思っているのだろう。
「これから……私は、どうすればいいんだろう……」
夜風に向かって呟く。
頭に浮かぶのは、昼間――正確にはあの戦闘の直前交わした、コスモとの会話だった。
彼女が語った考えや理想。
それがどれほど魅力的で、純粋な美しさに満ちあふれているか、痛いほど理解できている。
そりゃあ、全ての種族が手を取り合い、争うことなく幸せに生きていけるのなら、それに越したことはない。
種の垣根を越え、互いを尊重し協力し合える世界。もしも幼い頃の無知な私なら、目を輝かせてそんな夢を願っていただろう。
だが、現実はもう、そんな綺麗な理想論で済む段階をとうに過ぎているのだ。
頭ではその甘美な理想に惑わされそうにもなるが、私の心や世界の現状はそれを許してくれない。
様々な種族が表向きは平穏を装い、国境を行き交う商人や旅人を受け入れている。
けれど、それも互いに踏み込まないための最低限の干渉に過ぎない。他国でどんな悲劇や不利益が起きようと、見て見ぬふりを決め込むのがこの世界の現実だ。
現に、人間領が魔人どもに侵攻された今でも、助け舟を出しているのは機械国<デウステクス>だけだ。
それだって、遥か昔からの浅からぬ繋がりがあったからに過ぎない。もし昔からの付き合いがなければ、機械国だって冷淡に知らんぷりを決め込んでいたに違いないのだ。……一体いつからの付き合いなのかは、私には知る由もないけれど。
「あなたのそれはもう……ただの夢物語よ……」
あの時、生意気にも彼女に向かって言い放ってしまった言葉。
その啖呵に対して、後悔など微塵もない。無性に腹が立ったのも事実だ。
世界を破壊してやる、という衝動。決してその場のノリなどではなく、私の心の奥底……ドロドロとした暗い泥の底から湧き上がった本心の一つだ。
けれど――具体的に、私はこれからどうしていくのがいいのだろう。
この歪んだ世界を破壊する。
口で言うのは容易いが、一歩引いて考えれば恥ずかしくなるほど青臭く、気恥ずかしい台詞だ。
よくもまあ、あんな大層な啖呵を堂々と吐けたものだと、後からむず痒さが込み上げてきて、一人で頭を抱えたくなる。
『私の理想と『同じ志』を持ち、この世界のために立ち上がろうとする者たちを、どこかでずっと待っている。それこそ……己の意志で、ね』
コスモの、あの澄み切った声が脳裏を掠める。彼女の儚くも慈しむ様な、希う表情が何故か瞼の裏からこびり着いて離れてくれない。
浮世離れした美しさを放っていた彼女の姿。その純粋すぎる眼差しは、汚れきった私の心を容赦なく照らし出し、灼くように眩しかった。
私は腰に静かに差している細剣の柄を、ぎゅっと強く握り締める。
相も変わらず、ベルトの金属部分と剣が擦れ合う「チャキ」という冷たい小音しか返ってこない。この剣は、私に何の答えも示してはくれない。
「はぁ……」
彼女の理想。
この世界のために立ち上がろうとするモノを待っている、と彼女は言った。
きっと彼女は、かつて私が母親に読み聞かせてもらったお気に入りの絵本にあったように、皆が手を取り合って笑い合える世界を、今も愚直に祈り続けているのだろう。
彼女はずっと、果てしない孤独の中にでもいたのだろうか。
だからこそ、あれほどまでに他人との繋がりを渇望し、大切にしようとしていたのだろうか。
……案外、私なんかよりもずっと、人間臭いところがあるのかもしれない。
いや、逆かもしれない。
彼女が、この世界を、ありとあらゆる生命を作り上げた。
だから創造主に似ているのは私たちの方か。
ふっと、自嘲気味な笑みが漏れた。
しかし、どんなに彼女が純粋で美しい夢を抱いていようと関係ない。
私は、この胸の中で激しく燃え盛る「復讐の炎」を手放す気など、さらさらないのだから。
コスモの崇高な理想を、私は否定し続ける。
故郷を奪った魔人どもも。私の復讐を邪魔立てしようとする全ての輩も。
この手で、残らず駆逐してみせる。
それこそが、あの日絶望の中で生き残ってしまった私が、死んでいったあの人たちに捧げられる唯一の供養であり。
私が今、この冷たい世界で息をしている、ただ一つの理由なのだから。
波間に揺れる月明かりが、私の腕を白く照らす。
コスモの抱く「光」がどれほど清らかであろうと、私の内側にあるのはドロドロと黒く渦巻く憎悪の闇だ。
たとえ、この復讐の焔にこの身を焼き尽くされようと。
人の心を失い、醜い化け物に成り下がろうとも。
――私は奴らを、残らず殺す。
みなさまどうも&初めまして!
みゃ~むら、です!
お読みいただき、誠にありがとうございました!
感想、レビューお待ちしております。
ようやく、ようやくラグナサイドで鬼島につきました〜!読んでる皆様もいつになったら着くんだよ!って思いながら読んでくださってたでしょうし、書いてる自分にとっても長かった…。
当初はこんなに長くなる予定じゃなかったのに…。
さてさて、これで一旦ラグナサイドはお預けです笑。
次はアレンが鬼島にたどり着くまでの前途多難感を皆様にお届けして、少しでも展開面白いな~って思ってくれる様なお話を展開していければなぁと思っております。
ただ勘の良い読者様はある程度、展開が予想できちゃうかもしれませんね!
予想をしながらお話を進めるのも、面白いかもしれませんよ。
次回からもよろしくお願いします。
ではまた〜!




