同行 sideラグナ(Part2)
バーハイドアウトに向かう道中。
ついさっき目的地を同じくした同伴者は、隣を歩いているわけではなかった。
「おぉ、なんだこれ!? あのいきものは!?」
あっちこっちへと興味深そうに道を外れていくからだ。何かを見つけるたびに耳をぴくぴくと震わせて目を輝かせ、しっぽを激しく振り回している。先ほど「道に迷った」と言っていたが、それも大いに納得だった。ただでさえ彼は身体が小さいため、鬱蒼とした草むらに阻まれて周囲が見えていないことに加え、うろうろと本能の赴くままに動いている。しかも、それを本人が全く自覚していないのだから世話はない。
私はあまり彼のことを気にせず、黙々と前進を続けた。
しかし意外なことに、彼はある程度距離が離れると、急いで四足歩行に切り替えて猛スピードで駆け寄ってくるのだった。
走るときは四足なんだ……という謎の発見をしつつも、私は歩調を緩めることなく歩みを進める。
時刻はすでに、昼の十一時を回ろうとしていた。
だが、そんな私の都合など知る由もない小さな獣人は、草むらからぴょんと跳躍し、私の肩へと飛び乗ってきた。
「なぁなぁ、はいどあうとってここにあるのか?」
ただでさえずっしりと重い上に、あちこちを走り回ってなんでもかんでも触りまくっているため、彼の手足は泥だらけだった。すでに敷布団代わりに酷使され、長い旅路で煤まみれになっていた私のマントが、さらに彼の小さな肉球マークで彩られていく。あまり深く関わりたくなかった私は、前を向いたまま無視を決め込むことにした。
「おーい。なぁ、はいどあうとってどこにあるんだ? このもりのなかで、どうやってわかるんだ?」
だが、彼は私の肩から降りることなく、ぽんぽんと頭やら肩やらを叩いてくる。ただでさえ重みで足取りが重くなり、歩きづらいのに、鬱陶しいことこの上ない。
さらに、彼はその小さな体躯で声を張り上げるのが癖なのか、あるいは元からの性質なのか、声量がやたらと大きくて耳の奥に響いた。
「なぁなぁなぁなぁ!」
だんだんと自分を叩く強さが容赦なくなってくる。普通に痛い。私はついに根負けした。
「わかったから……一回降りてよ」
ようやくそこで首を巡らせ、彼の方を向く。
間近で見る彼は、一切の曇りがない、純粋そのものの目でこちらを見つめていた。
何も知らない、純粋な瞳。
――それは、まるで昔の自分だった。あの故郷で、家族やみんなと幸せに暮らしていた頃の私と、何一つ変わらない無垢。
何も言わずに見つめていると、彼は不思議そうに首を傾げた。
「んー? どうした?」
「……何でもないわ。教えてあげるから、降りてくんない?」
「おー」
意外にも素直に言うことを聞いて、彼はひょいと肩から降りた。
そして、今度は二足歩行で私の隣を歩き始める。歩幅は私の方が遥かに大きいはずなのに、彼自体の足運びが驚くほど早いため、ぴったりと横に並んでいる。
しかしながら小さな体躯のどこに、先ほどの驚異的なスピードが隠されているのか到底信じられない。
獣人は運動神経に優れた一族だと知識としては知っていたが、目の当たりにするとこれほどとは。
成人の獣人ともなれば、私よりも大柄な者もいるだろう。あまり敵に回したくない相手だなと思いつつ、彼の質問に答えることにした。
「この迷いの森の中には、特別な目印があるの。あれよ」
私は、ある樹木の根本を指差した。
その先には、何十年も前に打ち捨てられたのだろう、倒れた騎士を模した小さな銅像が横たわっていた。大きさは50cmにも満たないその像は、完全に苔に覆われて植物と同化し、そこから何本かの新芽が天に向かって伸びている。その寂れた光景は、不気味な森の中でどこか神秘的でもあった。
「あれのどこがなんだ? なんかぞうがたおれてるだけじゃないか」
「まぁ、気づかれちゃまずいからね。これに似た銅像が森の中に点在してるわ。その像の『視線の先』が、次のポイントを示しているの」
「へ~、すぐにばれないようにか。なかなか、かんがえられているな!」
どこか感心したように小さな腕を組み、うんうんと偉そうに頷いている。まったく、この獣人は何目線で話しているのだろうか。私は呆れつつ、腰に下げていた水筒を取り、蓋を開けて軽く水分補給を行った。
「おれにもくれ!」
「え……? あなた、水筒持ってないの?」
「もってたけど、からだ!このもりにはそれなりにながーくいるからな!」
「迷ってたことを自慢げに言わないでよ……」
心の中で深くため息をつく。ハイドアウトまではあと少しだ。別に水くらい分けても減るものではないが、彼に分ける義理などない。
だが、さっきのように肩に乗られ、しつこくねだられるのも面倒だった。
「まぁ……少しだけならいいわよ」
少しだけ葛藤し、結局私は分ける方を選んだ。
「はい、どうぞ」
荷物袋からコップを取り出し、そこに半分ほど水を注ぐ。その場にしゃがみ込み、コップを差し出した。
「お~、ありがとう!」
彼はそれを両手で大事そうに受け取ると、ぐびぐびと勢いよく、あっという間に飲み干してしまった。
よっぽど喉が渇いていたのだろうか。
「ぷはー、いきかえる~。ありがとう!」
弾けるような笑顔が、やけに眩しく見えた。屈屈なく笑う、獣人の子供。
あの魔人たちに故郷を焼かれ、ただ復讐のために生き続けたこの九年間。
ほとんど他者との関わりを持たずに日陰の中で生きてきた私にとって、その無邪気さは眩しすぎた。
けれど同時に、それは私の凍りついた心を優しく融解させていくようでもあった。
私がじっと彼を観察していると、彼は急に耳をピクピクと動かし、周囲の空気を睨みつけた。
一体どうしたと言うのだろうか。
「ん……おい、うえだ!」
「え……!?」
言われて咄嗟に見上げると、無数の太い蔦が、生き物のようにウネウネとうごめいていた。
次の瞬間、それらが鋭い風切り音を立てて二人を目がけて襲い掛かってくる。
『!?』
私たちは瞬時に別方向へと跳躍し、その場を離れた。
直後、先ほどまで水を飲んでいた場所の地面が派手に割れ、数本の蔦が深く突き刺さった。
もし彼の声に気づかずあそこに留まっていたら、今頃は身体を穴だらけにされていただろう。
元から日陰が多く薄暗いこの地帯では、蔦が作る影の動きに全く気づけなかった。この獣人の野生の勘と人間族にはない圧倒的な聴力で、命拾いしたといえる。
蔦の根本の暗がりを鋭く見据える。とある大樹の中腹あたり。
そこには、禍々しく巨大な「花」が鎮座していた。
だが、花と呼ぶにはそのサイズはあまりにも狂っていた。私くらいなら一飲みで丸呑みにできそうなほどの大口を開けている。
「うそでしょ……」
毒づきながら、私は腰の細剣を鮮やかに引き抜いた。目的地まではあと少しだというのに、こんな面倒な化け物に遭遇するとは。
よく見てみると、その花が根を張る大樹の下には、過去の餌食になったと思しき人間の骸骨がいくつも転がっていた。植物のくせに肉食のつもりか。
これほど異常に発達した危険植物など、これまでの旅でも見たことがない。まだまだ、世界は私の知らない悪意に満ちているらしい。
さらに蔦はその数を倍以上に増やし、鞭のようにしなりながら私を容赦なく襲撃してくる。
「全く……!」
だが、私の身体はその猛攻をいとも簡単に、紙一重でかわしていった。とてつもない勢いで突き出される蔦を、華麗かつ繊細な身のこなしで翻弄する。そのまま、突き出された一本の蔦を一瞬の隙を突いて足場にし、垂直に近い角度を駆け上がっていく。
その間も、あらゆる方向から追撃の蔦が迫る。それを空中で正確に切り伏せ、時に跳躍の足場を変えながら、私は足を止めることなく大元の花へと肉薄していく。
この九年間、死に物狂いで培ってきた体力と剣技を存分に振るっていく。
そのままの勢いで迫る蔦を次々と切り刻み、禍々しい花との距離を急激に縮める。遠目で見たときは、花弁に不気味な赤みがかった模様があるのかと思っていたが、間近に迫って理解した。あれは、吸い上げた獲物たちの「血」で染まっているのだ。
「趣味が悪いわね」
一閃。
私の細剣が円を描き、大輪の肉食花を冷徹に一刀両断した。
フシュゥゥ……と嫌な皮膚呼吸のような異音を上げながら、大元を失った化け物が急激にしぼんでいく。すぐさま足場にしていた蔦から離れ、地面へと着地しようとした――その瞬間だった。
死に体の化け物の背後から、影に隠れていた最後の一本が死に物狂いで伸び、私の手足を強固に縛り上げた。
最期に道連れを狙っているのか。
「くっ……!」
振り払おうと全身に力を込めるが、植物とは思えない万力のような締め付けに、びくともしない。そうしている間にも、目の前で一本の蔦が先端を針のように鋭く尖らせ、私の胸元へと照準を合わせてウネウネと動きを止めた。
完全に、狙いを定められた。
「まずいかも……」
額に冷たい汗がにじみ出る。動きを止めた次の瞬間、その尖った蔦は無慈悲に私の身体を突き刺さんと、凄まじい速度で迫ってきた。
数秒にも満たないその一瞬が、私にとっては永遠のように長く感じられた。
(こんなところで、私は死ぬの……?)
復讐も果たせぬまま、こんな名もなき森の化け物の肥やしになるのかと、最悪の覚悟が脳裏をよぎった、その時。
「たあああぁおおあぁあ!!」
小さくも、地鳴りのような勢いのある咆哮が響き渡った。
視界に飛び込んできた獣人の子供は、身体を激しく水平回転させながら、迫り来る蔦を文字通り八つ裂きにした。そして着地の手応えをもぎ取るような勢いのまま、私にまとわりついていた蔦をも、背中に背負っていた彼の背中に背負っていたサーベルを抜き、鮮やかに切り裂いていく。
バラバラと肉片のようになった植物が地面に落ち、私の身体が自由になる。
「あ、ありがとう……」
「みずのれいだ!! はやくはなれるぞ!」
私たちは示し合わせたように、その場を急いで飛びのいた。
数十本もあった蔦が完全に崩壊し、重苦しい音を立てて地面へと崩れ落ちていく。私たちはその光景を、少し離れた安全な場所からただ静かに見届けていた。
だが、真っ先に異変に気づいたのは彼だった。
「おい、つたがきえていってるぞ」
ポポロが短い指で指し示した先を見る。地面へと落ちた蔦の残骸から、不気味な黒い煙のような粒子が立ち上っていた。それは陽炎のように揺らめき、やがて元からそこには何も存在しなかったかのように、完全に消滅してしまったのだ。
その特異な現象を見て、私の頭の中で一つの答えが合点がいった。
「前にここへ来たときは、こんな化け物はいなかった。……きっと、大気中の魔素を濃く吸いすぎてしまった植物が、異常発達して魔物化していたのね」
「まそってこんなにすごいのか!?」
流石の彼も、今回は警戒心が勝ったのだろう。目は相変わらずキラキラと輝かせつつも、決してそれ以上は残骸のあった場所に近づこうとはしなかった。
私は手にした白の細剣を、静かに腰のベルトの鞘へと収めた。
隣の彼に決定的な場面で助けられたのは事実だ。けれど私は、今の化け物を、ほぼ無傷で、しかも大して苦戦することなく立ち回れた自分自身の「動き」に、内心で強い衝撃を受けていた。
(やっぱり、私自身の身体に何かが起きている……)
いくら隠居した師匠の下で過酷な修業を重ねてきたとはいえ、明らかに以前より身体が軽く動き、周囲の景色がスローモーションのように良く見える。今の激しい空中戦を経てなお、息一つ上がっていない自分の肉体が、少しだけ不気味で怖くもあった。
だが、今の私にとってはそれすらもどうでもいいことだ。
人外の凶行で私のすべてを奪った魔人たちを一人残らず討伐するためならば、この身がどう変貌しようともいとわない。
私は自分の手のひらを返し、甲をゆったりと半回転させて見つめた。当然、皮膚の表面を見たところで何が起きているかなど分かりはしないけれど。なんの変哲もない自分の手だけがそこにある。
崩壊し、霧散していく化け物の跡地で、私がそんな物思いに耽っていると、不意に声をかけられた。
「おまえ、つよかったな! おれ、びっくりしたぞ!」
もう植物への興味は綺麗さっぱり失せたのか、気がつけば獣人は満面の笑みで私を見上げていた。
確かにとどめを刺したのは私だが、彼がいなければ今頃は先ほど見つけた骸の列に、私の白い骨が加わっていただろう。
「あなたのおかげで助かったわ。礼を言うわ。……あと」
「?」
「『おまえ』じゃなくて、私はラグナよ。あなたは?」
「ん! おれのなまえは、ぽぽろだ!」
ポポロが胸を張って名乗ると、ラグナはほんの少しだけ、凍りついた心がじんわりと休まるような温かさを感じるのだった。




