遭遇 sideラグナ(Part1)
ラグナは最低限の旅道具を詰めた小袋を背負い直し、腰に下げた白銀の細剣の重みを確かめた。
シーツは、野宿の痕跡で煤け、所々が引き裂かれている。彼女はその「小汚い布」を無造作に羽織り、首元で固く結んでマント代わりにした。
歩くたびに、腰の鞘から覗く抜き身の細剣が、薄暗い森の中でそこだけが切り取られたかのように、鋭く、禍々しいほどの白銀の輝きを放っている。
そこは、獣人領とドライアドの住処を分かつ「境界の森」。地元民ですら足を踏み入れることを忌み嫌う、緑の深淵だ。
見上げるほどにそびえ立つ巨樹たちは、樹齢数百年を数えるものばかりで、その太い幹は数人がかりでも抱えきれないほど。天高く広げられた枝葉は幾重にも重なり合い、地表に届くはずの陽光を遮断している。
足元には、湿り気を帯びた厚い苔が絨毯のように広がり、その隙間から毒々しい色のキノコや、獲物を待ち構える食虫植物が這い出していた。道と呼べる平坦な場所は一箇所としてなく、ラグナの身長を遥かに凌ぐ巨大なシダ植物が、執拗に彼女の行く手を拒む。
「全く……相変わらず歩きづらい」
顔をしかめ、額に滲んだ汗を手の甲で拭った。
森は蒸し風呂のような熱気に満ちている。厚手の旅装とシーツのマントが、湿った熱を内側に閉じ込め、肌にじっとりと張り付く。
昨日、川で水浴びをした時の爽快感はとうに消え失せ、今すぐにでも再び冷たい水に飛び込みたいという衝動に駆られる。
不快感の原因は、暑さだけではない。
朝、目覚めた瞬間からずっと、背後に纏わりつくような執拗な視線を感じている。
いつ襲われてもいいよう、細剣の柄に指をかけ臨戦態勢は維持しているが、その「気配」は一定の距離を保ったまま、一向に近づいてくる様子がない。
(ただの野獣なら、適当に追い払うか手土産に狩ればいい。だが、もし魔獣なら面倒だ……)
魔獣には知性も分別もない。ただ魔素に突き動かされる「魔人のなり損ない」のような存在であり、討伐しても依頼されての討伐ではない為、報酬なしでは骨折り損だ。
ラグナは何にも気づかぬふりを装い、あえて歩みを早める。しかし、後ろの気配はまるで彼女の影になったかのように、急加速する速度にぴったりと適応してみせた。
(尾行されている……? 魔獣の無秩序な殺気とは違う。何者かは分からないけれど、厄介なことに変わりはないか)
ラグナは一度足を止め、深く息を吐き出した。
次の瞬間、彼女は爆発的な踏み込みを見せる。苔むした地面には大きな亀裂が走り、彼女の姿は動体視力を鍛えていない者の目には、文字通り「消えた」ように映っただろう。
数年前まで武器すら握ったことのなかった少女が、血の滲むような努力の果てに手に入れた驚異的な機動力。
(身体の調子が、自分でも引くほど良い。いや、最近はずっとこうだ……)
倒木を飛び越え、乱立する巨樹の間を縫うように疾走する。
無造作に伸びた赤毛がマントの端からたなびく。
身体に起きている異変――常人離れした瞬発力と感覚の鋭敏化。
前までの自分であれば、追跡されていることすら気づけなかっただろう。
その理由は分からないが、今の彼女にはその「異形」の力すら愛おしかった。
故郷を滅ぼしたあの魔人たちに復讐を果たすためなら、神の恩寵であろうと悪魔の呪いであろうと、使えるものは全て使い尽くす。
それが例え自分の命を犠牲にするものだとしても。
(これでも振り払えない……!? どういうこと?)
ラグナの速度に遅れることなく、背後の気配は付いてくる。
相手は自分と同等、あるいはそれ以上の俊敏さを備えている。
このままではただ体力を無駄に消耗するだけだ。
「……仕方ないわね」
ラグナは勢いを止め、深い緑の静寂の中に溶け込むように、別の策を練り始めた。
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追跡者は、森の中で偶然「彼女」を見つけた。
とある噂を聞いてこの森へやってきたものの、いかんせん好奇心が強すぎた。
狼の獣人族である彼は、一族を飛び出した自称・冒険家だ。
小柄な体躯には、動きやすさを重視した茶色の革ベストと短パン。頭にはレンズに微かな傷が入った大きなゴーグルを乗せ、首には地図ケースを下げている。
彼にとって、この森に息づく多種多様な植物や奇妙な生き物たちは、あまりに魅力的すぎた。気の赴くままに木々を飛び越え、珍しい花を追いかけているうちに、気がつけば三日が経過していた。
「あ、あれ?おっかしいなぁ~」
つまり、ポポロは絶望的なまでに迷子になっていた。
途方に暮れていた矢先に見つけたのが、あの白銀の剣を携えた、どこか影のある彼女だったのだ。
すぐに声をかけようと思ったが、野生の勘が警鐘を鳴らす。
「あいつは、なんかやばい」
その直感の結果、図らずも彼は「名前も知らない少女のストーカー」という形になってしまっていた。
しかし、急に彼女が速度を上げたことで、彼の動物的本能に火がついた。
自慢の脚力と、風を切り裂くような鼻の良さ。
迷子の不安や彼女から感じるどこか得体のしれない怖さなどどこへやら、ポポロは夢中になって彼女の背中を追う。
「おいかけっこだー!」
イナズマのような直線的な軌道を描くラグナに対し、ポポロは獣のようなしなやかさで木々の隙間を最短距離で突き進む。
だが、視界が拓けた一瞬の隙に、彼女の姿を見失ってしまった。
「うんにゃ? いったいどこへいったんだー?」
鼻をヒクつかせ、香りが最も強い場所を探る。
視力もいいが、それ以上に彼の鼻は抜群だった。倒れた大木の根本付近から、彼女が持っているであろう干し肉の、香ばしくも力強い匂いが漂ってくる。
(少しだけ、わけてもらえるかな)
そんな期待に鼻の下を伸ばし、彼は無防備に近づいた。
「もうおわりか~?」
背を向けて止まっているマント姿に、ひょいと手をかける。
しかし、指先に触れた質感は、人間の肩ではなかった。はらりと落ちた煤けたシーツの下から現れたのは、折れた太い樹の枝。
荷物袋が巧みにかけられたそのデコイに、主の姿はない。
その瞬間、背後で微かな枯れ葉の音がした。
振り返るよりも早く、鋭い冷気――白銀の刃が彼の首元に突きつけられた。
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「……あなた、誰? 何が狙いで私をつけてた訳?」
ラグナの声は氷のように冷たい。
背後から細剣を突きつけられたまま、謎の獣人は固まった。命を狙う賞金稼ぎか、あるいは……。
だが、次の瞬間、ラグナの視界から彼の姿がかき消えた。
(――消えた!?)
直後、下腹部に強烈な衝撃。
ラグナは回避も防御も間に合わず、仰向けに地面へ叩きつけられた。
後頭部を打ち、火花が散るような痛みが走るが、必死に意識を繋ぎ止める。
(やられた……どこ!?)
すぐさま迎撃のために視線を巡らせようとしたラグナだったが、その必要はなかった。
「おまえ、すっげーな! どこにかくれてたんだ?」
「……えぇ?」
ラグナの上に馬乗りになり、黄金の瞳をキラキラと輝かせている小柄な獣人の子供。
つい先ほどまで刃を向けられていたというのに、彼には怯えの色など微塵もなかった。
ただ純粋な、好奇心に満ちた眼差し。
その無垢な雰囲気に、ラグナは警戒レベルを一段階下げざるを得なかった。
「お~い、むしするなー! どうやっておれのはいごにたったんだー?」
「……そんな難しいことじゃないわよ。上の枝に潜んで、マントをデコイに使っただけ。……どいてくれる?」
「おまえあたまいいな! びっくりしたぞー!」
屈託のない笑顔。
よく見れば、茶色の毛並みに、ぴんと立った大きな耳。つぶらな瞳につんとした鼻は、まさに狼の幼体そのものだ。
自分よりも一回り以上小柄なその体躯に、これほどの瞬発力が秘められているとは。
自分の身体からどいてくる気配が一切ない獣人は首を傾げていたが、すぐに何かを思い出したようにポンと手を叩いた。
「あー! おまえをおいかけてた、りゆうかー! みちにまよってたから、あんないしてもらおうとおもってな!」
……ただの迷子だった。
命の危険を察知して全速力で逃げ、死力を尽くして罠を張った結果がこれだ。ラグナは深い溜息をついた。
「道案内って、どこによ。こんな森の奥に向かう場所なんて、一箇所しかないと思うけど」
「おう! ばーはいどあうとだ!」
ラグナの勘は的中した。この幼い冒険者が目指す場所は、彼女の目的地と同じ――「バー・ハイドアウト」。
森の深淵に隠されたその場所。
「はぁ、わかったわよ…さっさとどいて」
図らずもこの無邪気な獣人と道を共にすることになった。




