撃退 sideラグナ(part27)
背後から聞こえたのは、耳を圧迫するような怒号だ。
悲鳴というよりも、己の肉体を一部損なわれたことに対する、ドス黒い苦悶と怨嗟が入り混じった激しい咆哮。
「グォォォオオォォ――ッ!!」
鼓膜が震え、脳髄を直接揺さぶられるようなその雄叫びを上げながら、化け物は残っているもう片方の巨大な腕を、宙に放り出された私に向けて真っ直ぐに伸ばしてきた。
大木をそのまま振り回しているかのような、圧倒的な質量感。その蠢く巨腕の周囲を、まるで主を護る盾のように無数の小さな蛸足がウネウネとのたうち、一斉に私を狙い定めている。
さらに悍ましいことに、それらの蛸足の先端には、見るだけで吐き気を催すようなドス黒い魔素が急速に収束し、禍々しい弾丸の形を形成し始めていた。
足の踏ん張りも、回避するための跳躍の支えもない、完全な空中。
私に避ける術など、どこにも残されていなかった。
目の前には、こちらを撃ち抜くためにチャージを終えつつある魔素の輝き。自由落下のなかで、死の予感が背筋を駆け上がる。
だが――。
私は引きつりそうになる頬を強引に歪め、不敵に笑った。
空中から見下ろす視界の端、揺れる船体がはっきりと捉えている。
「残念ながら……もう勝負はついてるわよ」
船体の中央部。
先ほどまで私が立ち、死守していたあの激戦の甲板。そこには今、怪しくも力強い深緑の魔素の光が、まるで篝火のように激しく揺らめいていた。
ザビーネがその細い身体の内側から、魂のすべてを削り取るようにして、残された全魔素を練り上げている証拠の輝き。
彼女の頭髪から伸びる蛇たちが、一斉に高周波の唸りを上げ、獲物を狙う矢のように鎌首をもたげている。
「これで……お終いさね……ッ!」
次の瞬間、彼女の頭髪の蛇たちの口から、深緑の光線が同時に発射された。それらはバラバラに飛び散ることなく、空中で一本の超巨大な極太の光条へと収束し、一条の破滅のレーザーとなって放たれた。
その光線は、巨大な化け物の右頭部を一直線に貫いた。
光の速度で世界が塗り替わる。
空の一部が、一瞬にして鮮やかな深緑色へと染まり、あまりの眩さに私は思わず目を細めた。強烈極まりない、文字通りの一撃必殺。
「……ッ!?」
凄まじい光に焼かれた化け物は、断末魔の悲鳴や雄叫びを上げることすら許されなかった。
巨大な一対の双眸がぐるりと白目を剥き、脳震盪を起こしたようにその巨体をだらりと脱力させる。これほどの威力をまともに喰らえば、いかに巨大な化け物でも耐えられないだろう。
そのまま崩れ落ちるように、海へとゆっくりと倒れ込んでいく。
同時に、化け物の巨体が海面に激突したことで生まれた、山のような水飛沫と落雷のような轟音が辺り一面を支配した。
私と、宙を舞っていた切断された片腕も、それに続くようにして大水柱を発生させる。私は冷たい落下の風のなかで、必死に受身を取ろうとしたが、乱れる平衡感覚のなかで上手く体勢を制御できず、不格好な体勢のまま濁流の海へと真っ逆さまに突っ込んでしまった。
ドボォォォン!!
「ラグナ!」
遥か上方で、誰かが私の名を叫ぶ声が聞こえた。
だが、その声は冷たい水の底へと一瞬で遮断される。水面に強烈に叩きつけられた衝撃で、全身に、特に背中と脇腹に打撲のような鋭い激痛が走った。肺の中の空気が無理やり押し出されそうになるのを、必死に口を塞いでこらえる。
「ぷはっ! げほっ、ごほっ……!」
何とか水面に顔を出し、激しく咳き込みながら息を吸い込む。
冷たい海水が鼻と喉を刺激して痛い。おまけにフルプレートではないとはいえ、旅用の服に、浸水してずっしりと重くなったマントまで丸ごと着込んでいたため、驚くほど身体が泳ぎづらい。水を吸った布地が鉛のように私の手足を引っ張り、ただ浮いているだけでも死に物狂いの体力を消耗する。
特に先ほどまでの連続戦闘のせいで、筋肉は完全に悲鳴を上げており、余計に身体が重く、思い通りに動かない。
私はガチガチと鳴り響く奥歯を噛み締め、凍える体に鞭を打つようにして、必死に船の側面へと向かって手足を動かした。
「こっちです! 今、タラップを下ろしますから、そこを踏ん張ってください!」
甲板から、ノエの焦りを帯びた声が届く。カタカタと音を立てて、木製の簡易タラップが船の側面から滑り落ちてきた。
「は、早く……お、お願い……っ」
思いのほか、この近海の海水は芯まで凍りつくように冷たかった。
衣服の隙間から侵入してくる海水が、急速に私の体温を奪っていく。一刻も早く、この海から這い上がりたい。
それに、ザビーネの光線に焼かれたあの化け物から溢れ出た、ヘドロのような黒い魔素が海面にじわじわと広がり、濁った紫色の油膜のように漂っている。あんな不浄な魔素の塊に巻き込まれるのは、精神衛生上、絶対に耐えられない。
少なくとも現時点で、あの化け物は沈黙した。そう信じたい。
タラップを掴み、残された全ての力を指先に集めて、一歩一歩、濡れた木を踏みしめて上がっていく。
登りながら、ふと間近に見えた船の側面に目をやり、私は絶句した。
外板は無残に削れ、蛸足の強大な締め付けによって開けられた亀裂や穴があちこちに見える。さらには、粘液にまみれた魔物の眷属どもが這いずり回った、腐食したような汚い痕跡がベッタリとこびりついていた。
鬼島という目的地に向かう途中だというのに、こんなボロボロの状態で、そもそも私たちは無事にたどり着けるのだろうか。仮に着いたとしても、帰りの足はあるのか。暗い不穏な思考が頭をもたげる。
ーーただでさえウミボウズとの戦闘もまだだと言うのに。
「さ、寒い……ッ」
何とか最後のステップを登りきり、濡れそぼった泥人形のように甲板へと這い上がった。
そこに広がっていたのは、言葉を失うほど無惨な光景だった。
側面よりはマシかもしれないが、美しかった木製の甲板は、私たちの激しい斬撃の跡によってズタズタに裂け、至る所に魔弾の不気味な着弾痕が、黒い焦げ跡となって無数に刻まれている。
中型のそれなりに頑丈な船でなければ、最初の締め付けの時点でとっくの昔に崩壊し、全員が海の藻屑になっていただろう。
「ふぅ……」
ふと見ると、ザビーネが普段の不敵な余裕をすっかり失い、へたり込むようにして甲板に直接座り込んでいた。
体内の魔力を、ほとんど使い切ってしまったのだろう。
彼女の頭から伸びる蛇たちも、先ほどまでの覇気が嘘のように、力なく丸まっていたり、だらんとした紐のように力なく垂れ下がったりしている。
私たちは、彼女にそれほどの無理を強いてしまったのだ。
私は震える身体を引きずるようにして、水分をボタボタと滴らせながら、彼女の元へと近づいた。
「だ、大丈夫……なの、ザビーネさん?」
「……あぁ、少し休めばね。けど、流石に……ちょっとばかり、無理をしすぎちまったかねぇ」
絞り出すような彼女の声はか細く、いつものようにキセルに火をつける元気すらなさそうだ。本当に指一本動かしたくない、そんな極限状態なのが痛いほど伝わってくる。
「無理をさせて……本当に、悪かったわ……」
「何を言うんだい……あんたたちこそ、あのデカい足をよく引きつけてくれたよ。あんたが動かなきゃ、今頃この船ごと胃袋の中だったかもね」
弱々しくも、私を気遣うような言葉。
そこへ、大きな足音を響かせながら、戦闘の余波を一切感じさせない端正な佇まいでノエが近づいてきた。
「ラグナ、本当にお疲れ様でした。最後の一撃といい、今回も素晴らしい戦いぶりでしたね」
「……まぐれよ。ザビーネさんが、この船についてきてくれたおかげで、生き残れただけ」
「ふふ、そうですね。彼女がいなければ、どうなっていたか」
ノエは優しく微笑むと、倒れかかっているザビーネの肩をそっと支えた。
「ノエ、舵輪や…船の航行に深刻な問題は?」
支えながらも、弱々しい声で現場の確認をする。
「幸い、舵などの根幹に関わるエリアは無事です。ただ、メインマストが一本、完全にへし折れてしまいましたから……スピードはかなり落ちるでしょうね」
「……これだけの化け物相手に、マスト一本で済んだんだ。安い、必要経費さね……」
ザビーネが自嘲気味に笑う。確かに気づけば無慈悲に一本へし曲がっている。気づかない間に一本やられていた様だ。少しばかり悔しさが滲み出てる。
さっさと船から処分した方がいいだろう。
「ザビーネは、これ以上喋らずに休んでいてください。ラグナも、これ以上そのままでいては風邪を引きます。すぐに乾いた服に着替えてください」
「う、うん……ハ、ハックシュン!」
可愛げのないクシャミが漏れてしまい、私は恥ずかしさで顔を赤くしながら俯いた。
ノエは手慣れた様子で、ザビーネの軽い体をそっと背中におぶる。そして、彼女を船室へと連れて行こうとする背中に、私は足元を濡らしながらついていった。
「……そういえば、ポポロはどこ?」
「彼は今、船内の隅々を見回ってもらっています。船底の浸水具合の確認と、万が一にも船室に隠れている残党がいたら、私たちが休んでいる間に襲われかねませんからね」
「流石ね……本当に、よく動くわ」
相変わらず抜け目のない連携だ。
野生的な直感に優れるポポロと、戦闘後でも驚異的な冷静さで次のリスクに頭を回しているノエ。
日は既に傾きかけており、橙色に空を染めかけている。
冷たい体とは裏腹に、胸の奥に、ほんの少し温かさを取り戻していくのを感じながら、私たちは傷だらけの船室へと足を進めた。
どうも&初めまして。
みゃ~むらです。
今回もお読みいただき、ありがとうござました!
感想コメント等お待ちしております。
今日も暑かった!!
三連休の二日目が終わっちゃったぴ…。




