化物 sideラグナ(part25)
「な、何よ……こいつ……」
海から出現した『それ』は、文字通り桁違いの質量を持っていた。
私たちの乗る中型船と同等、あるいはそれを遥かに凌駕するのではないかと錯覚するほどの巨体。大海を割って姿を現した悪夢の化け物は、逃げ場のない洋上で、傲然と私たちを眼下に見下ろしていた。
その容姿のベースは、先ほどまで甲板を埋め尽くさんばかりに這い出てきた、異形の魔人どもと同じだ。
しかし、体表の生々しい濃紺の皮膚の随所には、凝固した血のような黒や毒々しい紫色が邪悪な斑点模様となって浮かび上がり、見ているだけで生理的な嫌悪感と悪寒がせり上がってくる。
そして何より異質なのは、巨大なタコの頭部に、天を突くような立派な一対の角が禍々しく生えている点だ。
さらに、その背後には飾りのようでありながらも、妙に生物的で鋭利な一対の小さな翼が、ぬらぬらとした飛沫の隙間から不気味に蠢いていた。
スケール感も、肌を刺すような威圧感も、先ほどの雑兵どもとは比べ物にならない。血走った巨大な双眸がぎょろりと動き、明確な敵意を持って私たちを冷酷に見据えた。
「また、これはとんでもないのが出てきたね……」
ザビーネさんが船首からこちらへ近づいてくる。
巨体であるからこそ、海面から突き出た足の太さも本数も桁違いだった。
だが、よく見ればその大半は、すでに先端が切り落とされていたり、深く引き裂かれて黒い魔素のヘドロを垂れ流したりしている。おそらく、私たちが甲板で迎撃したダメージが本体へ蓄積されているのだろう。
自慢の触手を傷つけられ、怒りに任せてようやく本尊がお出ましになったというわけだ。
激しくうねる波の上で、誰もがその圧倒的な存在感に言葉を失い、金縛りに遭ったように動けない。周囲の空気すらも、奴の放つ濃密な魔素によって粘り気を帯びたように重苦しく停滞していた。
「グォオォォォォン!!」
次の瞬間、醜悪な蛸頭は大天に向かって、鼓膜を直接引き裂くような狂おしい咆哮を放った。
ビリビリと大気が震え、衝撃波となって肌を叩く。奈落の底から響くような地鳴りの咆哮。
遥か先、海霧の向こうで微かに揺らいで見える鬼島まで届くのではないかと思えるほどの爆音だった。
上を向いて吠えた奴の足の隙間から、無数の鋭い牙が同心円状にびっしりと生え揃った大口が覗く。あの中に一飲みされてしまえば、骨も残らず噛み砕かれるのは火を見るより明らかだった。
私たちは思わず武器を構えたまま片手で耳を押さえ、衝撃に身構える。
激しい戦闘で既に傷だらけになっていた船体が、地響きのような震動でピシピシと軋み、悲鳴を上げた。
咆哮に伴って、奴の口から強酸性の唾液か体液のようなドロドロとした飛沫がビシャビシャと甲板に降り注ぐ。
床に触れた飛沫が小さく白煙を上げるのを見て、ゾッと背筋に冷たいものが走った。地鳴りのような咆哮が止み、化け物が再びその双眸でこちらを鋭く睨みつける。
顔の周辺にある無数の細い触手を生々しくウネウネと忙しなく動かす様は、奴が完全に臨戦態勢に入ったことを物語っていた。
「お相手さん、随分とやる気みたいですね」
「全く、どうなってんのよ!? この海は!」
「ここでこんな化け物を野放しにしてちゃ、サハラドに戻ってもどれだけの被害が出るか分かったもんじゃないさね……」
「うおぉ! びびってられるか、やるぞ!」
ポポロの叫び声を合図にするように、奴の本体から伸びる大小様々な蛸足が、海面を爆破するように割って一斉に襲いかかってきた。前後左右、上空からも、あらゆる死角を突いて質量兵器が迫る。
「くっ!」
迫り来る濃紺の肉塊を、私は細剣で弾き、切り裂き、紙一重でかわしていく。
だが、一撃を受け止めるたびに、大木で殴られたかのような重い衝撃が腕を伝って骨へとビリビリとしびれるように響いた。
(こいつ……ただの野良の怪物じゃない……!)
目の前の化け物は小癪にも、こちらの出方を伺うように腕や足元を執拗に狙ってくるのだ。まるで対人戦闘の経験でもあるかのような、嫌らしい軌道。それが予測不能な角度から無数に迫ってくるため、足場の悪い船上では目眩がするほど戦いづらい。
それでも、私は極限まで研ぎ澄まされた感覚でその猛攻をいなしていく。
視界の左右では、ノエとポポロがそれぞれの超人的な運動神経を駆使し、波飛沫を浴びながら巧みに足をかわしていた。その後方では、魔力の枯渇しかけているザビーネさんが迫る触手を回避している。
図らずも、今度は私が前衛としてザビーネさんを死守する構図となった。
その時、ノエが驚異的な跳躍を見せた。彼女は襲いかかってくる蛸足の甲をあえて自ら踏みつけ、それを足場にして、垂直に立ち上がる奴の巨体へと真っ直ぐに駆け上がり始めたのだ。
「ポポロ!」
「りょうかいだっ!」
四つ足で甲板を疾駆し、嵐のような触手の隙間を縫っていたポポロが、ノエの鋭い呼びかけに即座に応じる。ナタを口にくわえたまま、野生の獣そのものの動きでノエの後を追うように触手の群れへと飛び込んだ。
「うおっ、ぬるぬるして、すべるぞ!」
文句を言いながらも、ポポロは強靭な爪を吸盤に突き立てて強引に踏ん張り、大足を駆け上っていく。
巨体の化け物は、自身の身体を蟻のようによじ登ってくる二人の侵入者を海へと叩き落とそうと、触手を己の身体に向けて激しく打ち付けた。しかし、二人はそれを紙一重で予測し、叩きつけられる瞬間に別の足へと飛び移り、あるいは邪魔な肉塊を切り伏せながら、確実にその本尊の顔面へと肉薄していく。
皮肉なことに、奴が二人を潰そうと手数を増やせば増やすほど、それが二人にとっての新たなる足場となって道を切り開いていった。そして同時に、船首の私へと向けられる攻撃の手数が劇的に薄くなっていく。
一瞬の空白が生まれた。ノエの狙いは、最初からこれだったのだ。
「ザビーネさん! さっきの石化熱線、もう一回だけ何とかならない!?」
「……あぁ、もう一発だけなら、死に物狂いで捻り出してやるさね……!」
ザビーネさんはそう応じるや否や、深く目を瞑り、体内の残った魔素を総動員して集中し始めた。
手数は減ったとはいえ、依然として甲板にはいくつかの触手が嫌がらせのように蠢いている。
だが、先ほどまでの統率された苛烈さに比べれば、明らかに攻めの一手が雑になっている。あの二人が命懸けでボスを引きつけてくれているのだ。これなら、私一人でもザビーネさんを完璧に死守できる。
そう確信したのも束の間だった。
「グォオオオォオオォン!!」
醜悪なボスが再び短く咆哮すると同時、海面からさらなる巨大な「片腕」を持ち上げてきた。その先端は、私たちのような五本の指を持つ手ではない。禍々しい無数の蛸足が一本に絡み合い、蠢く巨大な肉の棍棒のようになっていた。一体、何本の足を持てば気が済むというのか。
真の絶望はその大木のような腕がこちらに向けられた瞬間に訪れた。
その絡み合う触手の隙間から、ドス黒い魔素の塊が弾丸のように空中へと大量に吐き出された。
どうも&初めまして!
みゃ~むら、です!
今回も読んでいただき、誠にありがとうございました。
なんと今回で25万字を突破しました(多分)
いえ~い、ジャスティス。
まさかここまで、続けられると思ってなかったです。
読んでくださる方々に感謝です。
これからも楽しんで、書いていきたいです~!




