大渦 sideラグナ (part22)
「ラグナ、おきろ~~!」
「うきゃ!?」
耳元で鼓膜を破らんばかりの大声で叫ばれて、私は思わず椅子から跳ね上がるようにして転げ落ちてしまった。
ドスン、と木製の床に激しく尻もちをつき、尾てい骨を突き抜けるような痛みの衝撃が走る。だがそのおかげで、脳裏にべっとりと纏わりついていた昏く重い眠気は、一瞬にしてどこかへ吹き飛んだ。
コスモのあの身の毛もよだつほど冷たい指の感触も、白を敷き詰めたようなあの異様な世界の静寂も、跡形もなく消え去っている。
周囲は見覚えのある、眠りにつく前に籠らせてもらった木造船の、薄暗い船室の景色に戻っていた。ハンモックの揺れと、カビ臭い潮の匂い。寝るつもりは全くなかったのに、どうやらいつの間にかうたた寝に落ち、あの神の領域に精神を引っ張り込まれていたらしい。
「ちょ、ちょっと……何よ、一体……っ」
頭がぐあんぐあんと激しく揺れ、ポポロの大声の余韻で耳の奥がキーンと嫌な音を立てて鳴っている。不意の大声と尻もちの二重の衝撃のせいで上手く頭が回らない。三半規管が悲鳴を上げ、船酔いの吐き気がぶり返してくる。だが、とりあえず目の前にいる小さな獣人に文句の一つでも言ってやらないと気が済まないことだけは確かだ。
私は机の上にお行儀悪く二本足で立ち塞がっている、茶色の毛玉――ポポロをキッと鋭く睨みつけた。
「ポポロ、あんた、いきなり何すん……ッ!?」
言いかけたその瞬間だった。
――ズドォォォン!!
胃の腑に直接響くような、不気味で重厚な地鳴り。それと同時に、船体がミシミシと軋む悲鳴を上げて大きく右へと傾いた。危うく自分の舌を噛みかけ、私は慌てて床に両手をついて這いつくばるように踏ん張る。机の上の小物が床へ滑り落ちて派手な音を立てた。
ただの一度、船体を伝ってきたその衝撃だけで、外がただ事ではない異常事態に陥っていることを本能が察知した。波の揺れなどという生易しいものではない。何者かが意図を持って、この船を破壊しようとしている衝撃だ。
「たいへんだ! ふねが、おそわれてる!!」
ポポロの丸い瞳が、かつてないほどの警戒の色に染まっている。
「……どうやら、そのようね」
不規則にローリングを続ける床の上で、私は壁に手を突きながら何とか踏ん張って立ち上がった。先ほどまで重い泥のようだった身体に、アドレナリンが急速に巡り、血管を駆け巡っていくのが解る。
頭が、実戦の予感によって強制的にクリアに塗り替えられていく。
足場そのものが不規則に、しかも暴力的に揺れ動くというのは、これまでの人生で初めての経験だった。地上の戦いなら、どんなに不利でも大地が裏切ることはない。だが、底の知れない海という逃げ場のない揺籠の上では、抗いがたい生存本能が直接「死の危険」を激しく脳内に警告してくる。
できることなら、このまま部屋に引きこもって揺れが収まるのを待ちたかったが、そうも言っていられない。このまま放置すれば、船ごと海の底へ引きずり込まれて終わりだ。
「いそぐぞ! ノエとザビーネがうえで、たたかってる!」
「わかってるわよ!」
慌てて部屋を飛び出していったポポロの小さな背中を追うようにして、私も部屋を駆け出した。
鱗獣種用に頑強に作られているはずの船の広い廊下を進む間も、船体は断続的に激しくきしみ、悲鳴を上げ、左右に傾き続けている。自分の平衡感覚が狂って吐き気がぶり返しそうになるのを、奥歯を強く噛み締めて強引にねじ伏せる。精神的なコンディションは最悪だが、幸いなことに身体だけは何とか鋭く動いてくれている。それだけが今の私の、唯一の不幸中の幸いだった。
狭い木製の階段を一段飛ばしで駆け上がり、長い廊下を抜けて、眩しい太陽の光が差し込む甲板へと勢いよく飛び出した。その瞬間――私は我が目を疑うような、悍ましい光景に思わず息を呑んだ。
「な、何これ……っ! 嘘でしょう!?」
船室に入る前と今とでは、視界に飛び込んでくる光景があまりにもかけ離れすぎていた。
頭上の天気は雲一つない抜けるような快晴のままだというのに、今の甲板の上には、明らかに「海から這い出てきた招かれざる連中」が文字通り溢れかえって蠢いていたのだ。
その怪異の群れが、身体からどす黒い魔素を陽炎のように立ち上らせているのを見て、私は一目でそれらが黒い魔素の生み出した魔物の類、それも魔人の手先であることを理解した。だが、こんな悍ましい見た目の魔獣は、九年間の旅でも一度だって目にしたことがない。
腰の鞘から細剣を引き抜く。先ほどまで脳裏で饒舌に語りかけていた創造主様とやらは、今は完全に沈黙し、ただの物質としての重みを手に伝えてくるだけだ。
「やっぱり、なんかいみてもきもちわるいぞ!」
ポポロは甲板へ這い上がるなり、すかさず背中に背負っていた肉厚なナタを引き抜いた。
確かに、見ていて鳥肌が立つほどに不気味な生物だった。敵の背丈は、人間の私より少し高いくらい。
だが、その顔や腕、足の構造は、自然界の理を冒涜したような異形そのものだった。
人間の輪郭をベースにした頭部には、ベタリと這い回るタコの頭部が顔面ごと癒着しており、ぬらぬらとした質感の腕や足のあらゆる隙間から、無数の小さな触手が生え、それらが生き物のようにうねうねと蠢いている。ずっと海の中に潜んでいたのだろう、その体表にはドロドロとした海藻や緑色の藻がへばりつき、中には身震いするような斑点模様のヒトデが皮膚に直接張り付いているものまでいた。表面は海水と汚い粘液でぬらぬらと滑り、その独特の強烈な生臭さと様相が、生理的な不気味さに拍車をかけている。
「ギチギチギチ……!」
ウネウネと網の目のように襲いかかってくる眷属の長い腕を、ポポロは獣人特有の野性的な俊敏さで隙間を縫うようにしてかわし、鋭いナタの一撃で切り伏せていく。ズシャァと小気味よい音がして倒れた眷属たちは、血を流すのではなく、黒い霧となって空気中に溶けるように消えていった。
けれど、本当の絶望は甲板の上だけではなかった。
ふと船の外に目をやると、海面から何本もの超巨大な濃紺の蛸足が、すでに大蛇のように、あるいは船を閉じ込める檻のように船体を取り囲んで締め付け始めていたのだ。一本の太さが、教会の柱ほどもある。それが海中から何本も突き出しているのだ。
ミシミシ、メリメリと厚い木材が悲鳴を上げる怪しい音が、船のあちこちから不穏に響き渡る。先ほどからの激しい揺れは、間違いなくあの大足の仕業だ。それなりに頑強に造られているはずの船体が、その圧倒的な質量による絞殺行為によって、目に見えて内側へと歪んでいくのが分かった。
「こんな所で、あいつらに会う前に沈められる訳にはいかない……っ!」
近づいてくる異形の魔人達を、私はポポロと共に切り伏せていく。敵は生意気にも黒い魔素を凝縮した、禍々しい弾丸を口の触手の隙間から飛ばしてくる。
だが、真の脅威は絶え間なく船を襲う巨大な蛸足だった。何本あるかも分からない巨大な足が鞭のようにしなって、上空から容赦なく甲板へと振り下ろされる。太さも軌道もバラバラなため、船全体の揺れも相まって、攻撃の速度とタイミングがイマイチ掴めない。
「くっ…!」
細い足は何とか切り伏せて撃退しているが、太いものはその強靭な筋肉と質量も相まって、切りつけたこちらの刃が硬いゴムを叩いたかのように弾かれそうになる。
ドォンと至近距離に蛸足が叩きつけられ、その衝撃で足元が激しく揺れ、私はポポロとの距離を強制的に分断されてしまう。
異形どもは容赦なく黒い魔弾を撃ち込み、さらには魚の骨で作られたような禍々しいモリを突き出して襲ってくる。私はそれを細剣の腹で弾いていた。船への被弾を最小限に留めたかったからだが、守りながらの戦いは私のスタイルではない。
(仕方ない……!)
防戦一方ではジリ貧だ。多少の船の被弾は必要経費として許容しなければならない。私は全ての攻撃を縫うようにして一歩前へ踏み込み、守りから攻勢へと舵を切る。
まずはポポロや、奥で戦っているはずのノエとの合流が先決だ。
異形の魔人どもは、数こそ多いがその動き自体は泥のように鈍い。それよりも脅威なのはこの無数の巨大な蛸足だ。あまりにも太く、純粋な質量勝負では私に勝ち目はない。だがこいつを何とかしなければ、船が沈むのは時間の問題だ。
「本当に気持ち悪いわね……っ!」
二本の巨大な足がこちらを目掛けて、空気を引き裂く轟音と共に同時に振り下ろされる。流石に正面から受けるのは無理だ、かわすしかない。
バックジャンプで高速で迫りつつあった足を紙一重でかわす。私がつい先ほどまで立っていた頑丈な木床は、強烈な打撃によって粉々に爆ぜ散り、木片が顔をかすめていった。
だが、着地した瞬間を、敵は完全に狙っていた。
飛び散る水飛沫の中から、死角を突いて伸びてきた別の蛸足の一本に、右足の首をガッチリと捕らえられる。ぬらりとした、吸盤の吸着感がブーツ越しに伝わってきた。
「――しまっ!?」
叫ぶ間もなく、そのまま強引に、かつ凄まじい速度で頭上高くへと持ち上げられ、宙へと乱暴に連れて行かれる。
どうも&初めまして!
みゃ~むら、です。
お読みいただき、ありがとうございました。感想お待ちしております。
お腹減った( ゜Д゜)




