船出 side ラグナ(Part19)
「うぉおーっ、これがうみ、これがふねかぁーーっ!」
「ポポロ、はしゃぐのも良いですが、あまり身を乗り出して落ちないでくださいね」
「ほんっとに元気すぎない、あの子……。あんなに小さいのに、一体どこからそんな無尽蔵なエネルギーが湧いてくるのかしら……」
「良いじゃないか、子供は元気が一番さね」
「すごいぞーっ! こんなにおっきいてつと、きのかたまりが、なんでしずまない!?」
小さき茶色の獣人は、船が出航して港を離れてから半刻ほどが経っても、ずっと興奮しっぱなしだった。既にサハラドの広大な砂漠地帯は遥か遠く、水平線の彼方へと霞みつつある。
遮るもののない広々とした甲板を右へ左へと小気味よく駆け回り、白い波飛沫が上がるたびに小さな両手を突き上げて歓声を上げていた。こんなに最初からはしゃぎ倒していて、いざウミボウズ討伐や鬼島に上陸したときには、すでに充電が切れて寝ていそうだが果たして大丈夫だろうか。
私たちの乗った中型船は、今まさに外海へと向けて滑るように進み出していた。
事前に「中型船」と聞いていたけれど、いざ乗り込んでみれば素人目にもそれなりに大きく、たった四人しか乗っていない現状では、持て余すほどの広さを感じさせる。
実際のところ、この船の構造は規格外に大きくて堅牢だった。私の故郷の港にも、これほど立派で頑強な造りの木造船は存在しなかった。ルハンの裏での迅速な根回しによるものか、あるいはザビーネの油の乗った老獪な交渉力のおかげかはわからないけれど、こちらの想像以上に気前よく最良の船を融通してくれたらしい。
――まあ、操舵のための船員を一人も貸してくれず、完全に自分たちで動かす羽目になったことには、少しばかり不満が残るけれど。
頭上を見上げれば、雲一つない快晴の空から容赦のない太陽の光が降り注いでいる。その強い光を反射して、うねる波に緩やかに揺れる海面は、まるで無数の宝石を砕いて散りばめたかのようにキラキラと眩しく輝いていた。
空を自由に飛び回り、気流を掴んで滑空するカモメたちが、どこか気持ちよさそうに甲板の上を鳴き交わしていく。頬を撫でる潮風は、先ほどまでいた熱気のこもる砂漠地帯とは違って、微かに冷たくて心地いい。
その清涼な風が、私の長くはない赤髪をさらりと通り抜けていった。
「波風が心地いいねぇ。蛇たちも喜んでるさね」
ザビーネの頭部から伸びている蛇たちも、どこか嬉しそうな感情が見て取れた。目を細め、風を一身に受け止めるようにして小さくうねっている。
「ちょっと気になってたんだけど、それってペットか何かなの?」
「それよりかは、もっと切っても切れない家族みたいなもんだよ。生まれた時からずっと一緒さね」
笑いながらザビーネさんは一匹の顎の下を指先で優しく撫でた。蛇はシャー、と満足そうに喉を鳴らすような小さな鳴き声を上げ、彼女の指に身を委ねている。
生まれた時からの付き合いとは。鱗獣族の生命の神秘を間近で感じ、少し圧倒される。
「おれも! おれもさわってみたいぞ!」
「ん~構わないよ。だけど、少しだけ優しくね」
ザビーネさんがその場にしゃがみ込むと、足元までタタッと近づいてきたポポロに向けて、頭の蛇の目線を合わせてやった。
そのうちの一匹が、興味深そうにポポロの鼻先に頭を近づける。舌をチロチロと出しながら様子を伺っている。ポポロは自身の小さな肉球で、恐る恐る、けれど優しくその冷涼な鱗の頭を撫でた。蛇が親愛を示すようにポポロの手の甲に頬を寄せると、獣人の少年は「うひゃあ」と嬉しそうに目を細めた。
「ラグナ、あんたも触ってみるかい?」
「いや……遠慮しておく」
二人から少し距離を置き、私は木製の、少し傷がついている味のある椅子に腰掛けていたノエへと近づいた。
静かに海原を眺めていたノエは、衣擦れの音に気づいてゆっくりとこちらに顔を向けた。
「あら、どうされましたか?」
「なんとなくよ……」
「ふふ、珍しいこともあるものですね。どうぞ」
対面の椅子に座るよう、ノエから柔らかな手付きで案内される。私は促されるままにちょこんと椅子に腰掛けた。
その大人しい私の光景に、ノエは少しばかり、キョトンとした意外だと言わんばかりの表情をサッと掠めさせた。
「な、何よ。私の顔になんかついてる?」
「いえ。本当にどうしたのですか? えらく素直でしたので、別人かと思ってしまいました」
「失礼ね!」
ぷいっと膨れる私とは対照的に、クスクスと上品に笑うノエは視線を風に身を任せて優雅に飛んでいたカモメへと移した。
「自由に飛び回れて、本当に楽しそうですね」
「……自由への憧れでもあるの?」
「誰しもが、一度は願うものではありませんか?」
あちこちを旅をしながら、命の保証もない過酷な傭兵稼業に身を置き、挙句の果てには私のような復讐狂についてくる物好きだ。
これが自由でなければ、一体何を自由と呼ぶのだろう。
「それで言ったら、ノエは他の人たちよりも一歩リードしてるんじゃない?」
「……そうかも、しれませんね」
私の言葉に、ノエはどこか遠い目をして微笑んだ。釣られるようにして、私もまた青い海原へと視線を落とす。
その瞬間――ズキリ、と脳の奥を直接針で刺されたような痛みが走った。
それの正体はわからない。
「……自由に生きようとした結果、こうして鬼島に向かうことになっていましたから」
「何よ……私のせいで巻き込んだって言いたいの?」
自嘲気味に返そうとした、その時だった。
「ラグナ、あなたもいつか……すべての呪縛から解き放たれて、自由に生きられる日がくるといいですね」
「何よ、急に……そんなこと――」
チリ、と頭の中で嫌な光景がフラッシュバックする。
美しすぎる快晴の景色を、直視しすぎただろうか。
穏やかな時間を過ごす度、美しい自然を目にする度。
――あの、二度と戻らない穏やかで幸せだった過去の時間が、唐突に脈絡もなく脳裏を焼き尽くしていく。
視界の端から、どす黒いモヤがかかってくるような悍ましい感触。
まるで、たった一人だけ生き残ってしまった私を妬むかのように。
恨むかのように。暗闇の底へと引きずり込もうとするように。
背中のマントや足首を、見えない無数の手が強く引っ張っているような錯覚。
私の足を。腕を。頬の古傷を。
血だらけの手で、ねっとりと愛撫されるかのような、あの忌々しい恐怖。
「顔色が悪いですよ、ラグナ。もしかして、波に酔いましたか?」
「……っ!」
ノエの温かくも優しい声が鼓膜に届き、ハッと我に返った。一気に視界の黒いモヤが晴れ、元の眩しい太陽の光が戻ってくる。
眼前に広がるのは赤く燃え上がる火の海でも、死者の山でもない。
蒼く輝く海と、屈強ながらもきれいな竜人族だ。
自分の呼吸が酷く乱れていることに気づき、慌てて手すりを握りしめた。
「ウミボウズが出る領海に差し掛かるには、まだかなり時間があるさね。辛いなら、無理をしないで下の客室にでも入って休んどきなよ」
大きな舵輪を器用に操りながら、正面の海原を見つめたままのザビーネが、背後から気遣わしげに声をかけてくれた。
「……えぇ、そうさせてもらうわ」
私はそのありがたい申し出にすがるようにして、その場を立ち上がった。
ザビーネたちに甲板の管理を任せ、逃げるようにして階段を下り、長い廊下を歩いて船室の奥へと向かった。
木製の扉を閉めた部屋の中は、潮風が吹き抜ける甲板のように決して涼しいわけではなかった。
港を発つ瞬間までは、いつも通り普通にしていられたはずだった。なのに、いざ陸地が遠ざかり、ただ広い海だけに取り残されると、やはりまだ精神的な苦しさが波のように押し寄せてくる。
自分の身体が、まるで泥でも詰め込まれたかのように鉛のように重く感じる。
引き絞られるように、胸の奥がキリリと痛んだ。
けれど、もうすぐだ。
あの憎き魔人たちを、ようやくこの手で、一匹残らず根絶やしにできるかもしれない。
その昏い高揚感と、身を焦がすような復讐心だけが、今のラグナの虚ろな心を辛うじて満たしていた。
どうも&初めましてでっす。
みゃ~むら、と申します。
今回もいかがだったでしょうか。
感想やコメント、リアクション等お待ちしております!
さて早速一つ、謝らなければいけないでしょう…。
そう、更新は火、木、土にすると言ったな。あれは、嘘だ。
ということで、なぜか急にモチベが沸きまくっているので。
毎日投稿、ふっかつで~す。
どんどんパフパフ~!
頑張るぞ~(血涙)
ということで。今まではそこそこ眺めの文字数でお送りしていたのですが。
今度から3000字前後で読みやすいスタイルでお送りできたらな、と思います!
次回も、よろしくお願いします('ω')ノ




