灼会 sideラグナ
「お待たせしたね。連れてきたよ」
ザビーネがそう言って、執事が開いた重厚な二重扉の先へと、迷いのない足取りで進み出た。
「オウ、遅カッタナ」
部屋の奥。きらきらと眩しく光る広大な海を一望できる大きな窓ガラスと、そこから差し込む容赦のない割れんばかりの太陽を背にして、一人の巨漢のトカゲ人が佇んでいた。雲一つない晴天から突き刺さる烈日の陽光は狂気じみており、逆光の中に浮かび上がる彼の巨体はそれだけで圧倒的な威圧感を放っている。彼専用に作られたのであろう特注の巨大な木製机の上には、びっしりと文字の書かれた羊皮紙の書類やファイル、怪しげな獣の石像に羽ペンなど、さまざまなものが雑多に並んでいた。
その雄々しく分厚い漆黒の鱗に覆われた威厳ある佇まいには、先ほどマーケットで見かけた者たちや、門前にいた警備兵とは一線を画すような確かな品位と覇気が感じられた。また、彼が身につけている上質なシルクの衣服や、部屋のあちこちに置かれているオブジェも、どこか野性的な民族調でありながら、そのどれもが素人目にも一級品であることが見て取れる。
「久しぶりですね、ルハン。町長になったと聞いた時は驚きましたが、まさかこれほど大きな港町の長になっていたとは」
ノエは歩調を緩めて一礼し、長身の身体をしなやかに屈めながらも、どこか懐かしむように目を細めた。
「フン。ソウ言ウオ前ハ、相変ワラズソノ日暮ラシノ傭兵稼業カ」
ルハンと呼ばれたその鰐人族の男は、のっそりと首を動かした。
なんと言うのだろうか。話している言語は共通語ではあるのだが、いかんせん抑揚が全くない。喉の奥をガラスで引っ掻いたようなしゃがれた声をしており、何を言っているのかが非常に聞き取りづらい。室内に響くその声は、隣をテクテクと歩くポポロの舌足らずな言葉以上に、しっかりと耳を澄まさないと理解できないほどだった。
当のポポロはといえば、ルハンの言葉など耳に入っていない様子で、絨毯の上をパタパタと歩き回りながら、部屋中に飾られた光るオブジェを忙しなく観察していた。流石にこの街の最高権力者ということもあってか、棚や壁には物珍しそうなオブジェや未知の魔獣のはく製、極彩色の絵画などが飾られており、ポポロはそれに興味津々のようだ。短い尻尾を小さく揺らしながら、熱心に覗き込んでいる。
「二人とも、数年ぶりの再会で積もる話もあるだろうけど、取り敢えずは互いにメリットのある話をしようじゃないか」
ザビーネが長い指先でキセルを揺らし、流れるような動作で二人の間に入るようにして手際よく仲裁しつつ、私たちを部屋の奥へと誘う。
私はノエとザビーネの背中に続くようにして、部屋の中央に配置されている、いかにも高そうなソファーへと向かった。まるで主の権力を誇示するかのように、部屋の壁や柱のあちこちに金色や宝石の装飾が施されているが、そのソファーも例に漏れず、肘掛けや背もたれに見事な金細工が彫り込まれている。
「オ前ガ、船ヲ使イタイト言ウ、人間族ノ娘カ。俺ハ名ヲルハン、ト言ウ」
ルハンはぎょろりとした大きな二つの眼球を動かし、じっと私を見据えた。
「ラグナよ」
私は愛刀の柄にそっと手を添え、背筋を伸ばして短く名乗る。
彼は普通にこちらを見たつもりなのだろうが、金色の虹彩に一本の細い闇を穿ったような、鱗獣種特有の垂直スリット状の瞳孔がぎょろりと動く様は、嫌でも私の身体を強張らせた。
「ポポロだ、よろしく!」
オブジェからようやく興味を移したポポロが、私の足元からひょこっと顔を出して元気よく片手を挙げた。
「遠路遥々ヨク来タ。オ前達ニハ、外ノ砂漠ノ暑サハ応エタダロウ。オイ、血酒を人数分ダ」
ルハンは慣れた様子で、部屋の隅に控えていた部下の蜥人族へと短く命令を下した。どうやらここでの歓迎の飲み物らしいが、わざわざ『血酒』と口にするあたり、一体何の生き血なのかが嫌でも気になってしまう。ルハンのその鋭い縦長の眼光が、再び私を捉えた。まるでつま先から頭の先まで、こちらの実力を隅々まで値踏みするような、油断のならない視線だった。
「もう使われてないようなボロ船でも、動けば何でもいいわ。とにかく鬼島に辿り着ければ構わないの」
私が一歩前に出て直談判すると、ルハンはわずかに口角を上げた。
「早速本題カ。セッカチダガ、面白イ奴ダ。ザビーネカラ予メ聞イテイタガ、本当ニ鬼島トナ……」
ルハンはどこか楽しそうにクスクスと喉を鳴らしながら、上等なソファーへとどっしり腰掛けた。
話しながら、私たちも促されるままにソファーへと腰を下ろす。トカゲ人の硬い皮膚に合わせたものかと思いきや、見た目の割に意外と座り心地は悪くない。むしろ、私が今までの過酷な一人旅の人生の中で座ってきたどの椅子よりも、圧倒的に上等でふかふかとしたものだった。
「目的ハ、ナンダ? 今、鬼島ハ魔人達ニ占領サレタと、専ラノ噂ダガ」
ルハンは太い指に嵌まった宝石の指輪を弄びながら、低い声で核心を突いてきた。
「アンタに関係ないでしょ?」
私はあえて突き放すように、冷たい視線を返す。
「只ノ、私ノ興味ダ。世間話トモ言ウガ」
相変わらずの抑揚のなさと聞き取りづらさは変わらないが、ぎりぎりコミュニケーションはとれそうだ。
「じゃあ、余計に関係ないじゃない。詮索はいいから、船を貸してくれる『条件』だけを教えて」
私がそう切り出すと、ルハンはふむ、と顎を引き、何を思ったのか突然ソファーから身を乗り出して、私の隣に座る竜人族の女性を真っ直ぐに見つめた。
「ノエ、俺トケッk――」
「しません。他の条件を」
私の隣で静かに成り行きを見守っていたノエが、ルハンが言葉を言い切るよりも前に、食い気味に、そしてキッパリと言い放った。ピシャリと空間を凍らせるような、彼女のあまりにも鋭く冷徹な目線が、横にいる私でさえ少し怖いと感じるほどだった。どうやら、事前に聞いていた「求婚された」という話は、何一つとして嘘ではなかったらしい。
「げんきだせ」
ポポロがトコトコと歩み寄り、ルハンの大きな手をポンポンと叩いて軽く励ます。トカゲ人ゆえに表情の機微は分かりづらいのだが、ガックリと肩を落としたルハンの全身から、何となく「激しく落ち込んでいる」というオーラがこれでもかと伝わってくる。
「ルハン、流石に今のはダサくないかい?交換条件で、それを持ち込むのは無いさね」
ザビーネが呆れたようにため息をつき、キセルでトントンとテーブルに置かれている灰皿を叩いた。
「ザビーネ、オ前マデ……」
「ダ・サ・イ」
「……」
ルハンは大きな身体を丸め、完全に意気消沈して黙り込んでしまった。街を統べる最高権力者なのだろうが、これに関しては完全に彼が自爆しただけなので、私は一切悪くないだろう。
そうして気まずい沈黙が流れる間に、先ほど席に着く前にルハンが部下に命じた『血酒』とやらが、銀のトレイに乗せられて運ばれてきた。
その物物しい名前と不穏な色彩からあらかじめ想像はしていたが、ガラスのグラスに並々と注がれていたのは、ひんやりと結露した、どこまでも妖しく濁った赤い液体だった。
「えーっと……これ、何の血……? なんか、変な薬草みたいな香りもするんだけど……」
私はグラスを少し遠ざけながら、顔をしかめてザビーネに視線を送った。
「瑠璃トカゲの生き血に、数種類の砂漠ハーブを配合したやつでね。この鱗獣領じゃあ、至る所で飲まれている一般的なお酒さね」
ザビーネはクスクスと笑いながらグラスを手に取る。
「ラグナとポポロは、苦手なら無理に飲まずに置いておいてもいいかもしれませんね。……ふふ、久しぶりに頂きましたが、相変わらず美味しいですね」
少しばかり機嫌を戻したノエもまた、さも当たり前かのようにグラスを美しい指先で持ち上げ、滑らかな動作で口元へと運んでいく。
私は流石にどうにも食指が動かなかったが、隣のポポロは、小さな鼻をひくつかせながらグラスをじっと見つめ、完全に迷っているようだった。
「無理しない方がいいんじゃない?」
私が声をかけると、ポポロは拳をぎゅっと握りしめた。
「きになる……なむさん!」
小さな両手でグラスを掴み、グイっと勢いよく一口。私とノエ、そしてザビーネの全員が、息を呑んで彼の第一声を待った。
「……にがい」
ポポロは盛大に顔をしかめ、小さな舌をペロペロと出した。
その表情を見てザビーネとノエはどこか癒されているかのように微笑んでいた。
よくよく考えれば、瑠璃トカゲの血うんぬんの前に、これは立派な『お酒』だ。この見た目からして、彼はどう見ても未成年なのでは……? という素朴な疑問が頭をよぎったが、これ以上脱線すると話が進まない。
「話は戻すんだけど……ルハン、船を貸してくれる『他の』条件は?」
血酒を喉に流し込み、ほんの少しだけ機嫌が復活した様子の町長に再度、強調して問いかける。
「ソウダナ……。デハ、最近コノ港ノ近クデ出没シ始メタ、魔物ノ討伐デモオ願イスルカ」
「魔物?」
ルハンは窓の外に広がる、太陽の光できらきらと輝く青い海を一望しながら、呟くように言った。
「あぁ……そういや街のマーケットでも、そんな話を小耳に挟んだねぇ。鬼島に濃い魔素だまりが発生してからというもの、近海に奇妙な魔物たちが現れ始めたってさ」
さすがは国の中枢に属する一流の情報屋。ザビーネは既にその詳細を耳に入れているらしく、キセルを咥えながら深く頷いた。
「一体、とんでもなく巨大な奴が混ざっているらしいよ」
「どんな奴ですか?」
ノエが少し身を乗り出し、真剣な表情でザビーネに尋ねる。
「海ノ化ケ物ダ。我ラガ所有スル、ドノ船ヨリモ巨大カモ知レン」
どこか半笑いで、他人事のようにおかしくルハンが笑った。
……嘘でしょ? 船って、さっき港で見たような、結構いいサイズの大型船だったと思うのだけれど……。
「そんなに、おおきいのか!? ……みてみたい!」
ポポロは恐怖心よりも興味の方が勝ったらしい。身を乗り出して目を輝かせる彼の好奇心には、どうやらブレーキというものが存在しないらしい。
「確かに、この目で見てみたくはありますね。そいつは、船でどれくらいの距離に位置しているのですか?」
「ノエまで!?」
私は思わず頭を抱えた。そうだった、神殿の時も二人の多数決で入ることになったのだ。結果的に遺跡から脱出できたし、細剣の強化?に繋がったとはいえ…。
二人を止める術を私は知らない。だんだん頭が痛くなってくるが、その間も話は着々と進められていく。
「陸地と、目的地の鬼島のちょうど中間あたりの中海らしいよ。だから、大きな遠回りにはならないさね」
ザビーネが短い言葉で補足した。
「ふむ、そんなにきょだいで、どんなやつなんだ。みためとか」
ポポロがまだ苦いお酒の余韻に耐えながら、興味深そうに首を傾げる。
ザビーネがキセルを口に加えたまま言葉を紡ぐ。
「海の塊が、そのまま意思を持って形を成したような奴らしくてね。元々の凶暴性はそこまで高くなくて、こっちから仕掛けなきゃ船を襲ってくることはないから、今は様子見で放置してるらしいんだけどさ」
「じゃあ、倒す必要ある? 実害は出てないんでしょ」
私はしぶしぶと返す。正直、話を聞く限りはもの凄く面倒そうだ。これから鬼島に戦いに行くというのに、前哨戦で無駄に体力を消耗したくはない。
「もしかしたら、鬼島に来るものを拒むための奴の可能性があるよ? これから船を出すなら、討伐しておくことに越したことはないと思うけどね」
ザビーネがそう言って意味深に目を細める。
「現ニ、我々側カラ鬼島ニ近付クモノハ居ナイカラコソ、被害ガ出テイナイトモ言エヨウ」
ルハンが言葉を重ねる。それは港のモノ達も言っていた。鬼島には近づくモノはいない。そしてルハンとザビーネが言う海の化け物たちが、こちらを無差別に襲う化け物ではなく、鬼島への侵入を拒むための防壁のような存在なのだとしたら。
「話の辻褄は合いますね」
ノエが手元の血酒を軽く煽りつつ、納得感を示すように深く頷いた。
「じゃあ、決まりです」
即座に、迷いのない声でそう告げた。
「え、ちょ、ちょっと! 何勝手に決めてんのよ!?」
私は思わずソファーから腰を浮かせ、ノエに対して不満をあらわにする。これ、私が船を借りるって話なんですけど。
「他に、今の私たちで即座に受け入れられるような良い交換条件もないでしょう。これ以上、この男から無理難題を押し付けられて、ここで時間を浪費するよりは遥かにマシです」
ノエは至って冷静に、論理的に私をなだめる。
「それはそうかもしれないけど……もしその海の化け物とやらが想像以上に強くて、倒せなかったらどうすんのよ……」
私の至極真っ当な懸念に対し、足元から小さな声が響いた。
「おれたちなら、だいじょーぶ!」
ポポロが、根拠の欠片もない自信に満ち溢れた笑顔で胸を張る。まったく、どいつもこいつも……。私は小さくため息をつきながらソファーに深く背を預けた。最悪、戦ってみて本当にヤバい相手だったら、討伐なんて無視してそのまま全速力で目的地まで船を突っ走らせてやろうか――そんな物騒な思考を頭の片隅によぎらせながら、私は目の前のトカゲの町長を睨み据えた。
「一応……他の話は無いの?」
「無イナ。強イテ言ウナレバ土地神絡ミダガ、マダ国ノ方針ガ定マッテイナイ。私ノ独断デ動ク訳ニモ行カナイ。ソレマデ、ココデ待ッテイル気カ?」
つまり無い、ということだろう。
数秒の沈黙。みんなが私の決断を静かに待っているようだった。
「……ハァ。わかったわよ。その海の化け物退治とやらに出るわよ」
「交渉成立、ダ」
ルハンはどっしりとした身体を揺らし、分厚い漆黒の鱗に覆われた右手を差し出してきた。握手のつもりだろう。私はしぶしぶと手を差し出し、その硬く冷たい鱗の感触を確かめながら握り返した。ルハンの顔は相変わらず、何を考えているのかよくわからない。
「私ハコレデ失礼スル。細カイ事ハ船舶ノ管理ヲ統括シテイル部署ト決メルガイイ。話ハ通シテオク」
ルハンはそう言い残すと、椅子から巨体を立ち上がらせ、そのまま部屋を後にしようとした。すたすた
と、ノエほどの巨体には似つかわしくない驚くべき足の速さで、大きな背中を向けて部屋を出て行こうとする。
そんな後ろ姿に向けて、隣に座っていたノエがスッと立ち上がった。
「ルハン、ありがとうございます。助かりました」
いつもの落ち着いたノエの口調が、静かな部屋中に優しく響く。それは、私が彼女と出会って以来、一番優しい声音かもしれなかった。
その言葉に、ルハンは扉の前でピタリと足を止めた。垂直スリットの瞳が、わずかにこちらを振り返る。
「フン、用ガ済メバ、マタ顔デモ見セニ来ルガイイ」
それだけを、こちらと目を合わせることなく不器用そうに言い放ち、彼は部屋を出て行った。
続いて、ギギギと重苦しい音を立てて扉が静かに閉まった。
皆さまいつもどうも&初めまして!
みゃ~むら、と申します。
いかがでしたでしょうか。ご感想等お待ちしております。
中々前回のような投稿ペースを戻せず申し訳ないです。
現在様々なスケジュールと絶賛格闘中でございます。今後も頑張って読み応えのある文章を紡いでいければと考えております。
いや~しっかしよく振りますね、雨。
なんか前も同じような内容のあとがきを書いた気がするぐらいにはよく振ってますよね。
何せダブル台風が来ているのだとか。
私の古い知識で恐縮ですが、昔って台風が出来てはいたけれど、日本列島に直撃するのは大体9、10月のイメージだったのですが。
私の知識がアップデートできていないのか、それともただの痛い勘違いか。
わかんないですが、少し激しめの梅雨という認識でもいいのかもですね。
何せ、今年の夏も熱くなりそうだし。
水不足だ~ってここ最近は毎年言われてくらいですから。
どんどん振って熱い夏に備えていきましょう。
それでは次回もお会いできるのを楽しみにしております。




