準備 sideラグナ(Part16)
「でかいな~」
目の前にそびえ立つ邸宅を見上げて、ポポロが素直な感嘆の声を漏らした。
遮るもののない烈日が容赦なく照りつけるこの港町において、その建物は一際異彩を放っていた。雲一つない真っ青な空から突き刺さる陽光は、立っているだけでじわじわと体力を削られていく。砂漠特有の乾いた熱風に晒されながらも、邸宅の外壁は美しく磨かれた淡い砂岩で組まれており、照り返す陽光を浴びて黄金色に鈍く輝いていた。私は眩しさに目を細め、額に浮き出た汗を手の甲でそっと拭った。
建物自体に高さはない。平屋、あるいは二階建てほどの低層構造だ。しかし、この港町にひしめき合う一般の泥レンガ造りの家々と比較すれば、一軒一軒の敷地を十数軒ぶち抜いたかのような圧倒的な横の広さを誇っている。
何より目を引くのは、随所に配置された警備の兵たちだ。陽光にきらめく頑強な鱗を持ったトカゲの亜人種――鱗獣種の兵士たちが、鋭い眼光を周囲に走らせながら整然と巡回している。その腰に帯びたシャムシール(曲刀)の意匠の凝りようからも、ここがただの富豪ではなく、確固たる権力者の家であることを無言の内に強調していた。ジリジリと肌を焼く暑さの中でも、彼らは微塵も姿勢を崩さず、その隙のない佇まいに私は小さく身震いした。
(銅像みたいね…)
高く頑強な外壁の隙間から覗く広い中庭には、砂漠の過酷な乾燥に耐えるヤシに似た巨木が植えられていた。水が貴重なこの地において、青々と、しかしどこか猛々しく葉を広げる緑は決して多くはない。だが、その少ない緑が力強く天を掴まんと枝を伸ばしている佇まいは、厳格な邸宅の雰囲気にどこか心地よい生命の活力を添えていた。それはまさに、過酷な砂漠環境を力強く生き抜いてきた鱗獣種たちの、不屈の生命力と誇りを象徴しているかのようだった。
先頭を歩いていたザビーネが、豪奢な鉄格子の正門前に立つ二人の警備兵へと近づいていく。衣服の隙間から覗く肌に薄い汗の膜を光らせながらも、彼女は気怠げに歩調を緩めない。彼女の頭部から伸びる細い蛇たちが、挨拶代わりにチロチロと赤紫色の舌を覗かせた。
ザビーネが口を開く。紡がれたのは、大陸共通語ではなく、喉を震わせるような独特の響きを持つこの地方の言語のようだ。警備兵たちは事前に約束されていたかのような滞りのない動きで、重厚な正門がギギギと音を立てて開けられていく。その間も、ザビーネは通り過ぎる他の巡回兵たちに片手を挙げ、気さくに言葉を交わしていた。
その様子は、お堅い権力者の屋敷を訪れる使者というよりは、気心の知れた古い友人の家に遊びに来たかのようだ。
「……ねえ、ザビーネさん、あれ何て言ってるの?」
私は正門をくぐる彼女の背中を見つめながら、隣で佇んでいたノエに小声で尋ねた。容赦のない直射日光に温められた砂岩の照り返しが、足元から容赦なく熱を突き上げてくる。
「他愛のない会話ですよ。『最近の調子はどう?』とか『砂嵐のあとの片付けは大変だったね』みたいな。至って普通の世間話ですね」
ノエは事もなげに微笑んでみせる。彼女は流れる長い前髪を耳にかけ、首筋を伝う汗を細い指先でそっと拭った。
「……え、本当に? ザビーネさんって、この国の中枢に関わる大物なんだよね?」
「じょうほうあつめか」
ポポロが何かに気づいたように、ポンと小さな手のひらを叩いた。短い毛並みが太陽の光を浴びて、どこか暑そうだ。
「ええ、その通りです、ポポロ。彼女の仕事は『情報収集』ですから」
ノエは感心したようにポポロを見つめ、それから私に向き直って言葉を続けた。
「彼女はどんな身分の人間からでも懐に飛び込んで情報を集め、それらを最も効果的な形で利用する。私たちがよく知るディロックスとは、また違った毛色の、非常に優秀な情報屋ですよ」
「ふーん……。でも、諜報活動って普通、もっと影に隠れてコソコソやるもんじゃないの? そんなに堂々と目に見えるやり方でいいの?」
あまりにフランクすぎる彼女の振る舞いに、私は少しばかり首を傾げた。照りつける熱気のせいで、思考まで少しぼーっとしてきそうだ。
「ザビーネはかなり特殊な部類でしょうね。そもそも、彼女は首都サハラドの宮廷にじっとしていることの方が稀らしく、常に自分の目と足で現地の生の情報を仕入れる主義だそうです」
「ま、と言うよりはじっとしているのが性に合わないだけだけどねぇ」
いつの間にか会話を終えてこちらに戻きていたザビーネが、キセルの煙をふうっと燻らせながら会話に割り込んできた。陽光に紛れる白い煙が、熱い空気の中に溶けていく。そのまま「どうぞ」と言わんばかりに、長い指先で開かれた正門の奥へと私たちを案内する。
一同は敷き詰められた白石の美しさに目を奪われながら、大理石の柱が並ぶ本館へのアプローチへと歩を進めた。
「ご遜色を」
ノエが少しだけ真面目な顔をして、ザビーネの横顔を見つめる。
「現在の煌王様は、長きにわたる血統至上主義を打破し、完全な実力主義へと国を転換させた希代のやり手と言われています。その気難しい方に直臣として認められているのですから、大したものでしょう」
「それを言うなら、アンタにだって仕官の声はかかっていただろ?」
ザビーネは歩きながら、からかうように視線をノエへと投げかけた。しなやかな尾がドレスの裾をわずかに揺らす。
「ノエ、そうなのか!? すごいな!」
ポポロが目を丸くしてノエを見上げた。当のノエは「少し昔の話ですよ」と困ったように眉を下げて、長めの前髪を指先で軽く払う。
だが、私には正直、そこまでの驚きはなかった。初めて会った時から、彼女の洗練された身のこなし、豊富な知識、親しみやすい人柄、そして何より己の能力に甘えることなく周囲へ細やかな気遣いができるところは知っている。むしろ、あの絵に描いたようなクズ情報屋であるディロックスの下で、なぜ便利屋のように使われているのかが不思議なくらいだった。
「ノエにはどういう席が用意されていたの?」
多彩なノエに、煌王がどんな席を用意していたのか。純粋な興味から尋ねてみる。
「あれは確か……武芸指南役だったかねぇ」
ザビーネが記憶を掘り起こすように視線を上へ向けた。
「ノエの、竜人族ならではのしなやかな身体捌きと体術は、一国の武官たちの中でも目を見張るものがあるからねぇ。……だからこそ、アタシもその怪我を見た時は本当に驚いたよ」
彼女はキセルを薄い唇に咥え直し、ぼやくように呟いた。と同時に、彼女の頭部から伸びる蛇たちが、まるでノエの衣服の隙間から覗く包帯を舐めるかのように、一斉に首を伸ばしてじっと眺める。
「一体そのケガ、誰とやり合って負ったんだい? ……もしかして、今巷を騒がせている、あの問題の『土地神』かい?」
土地神。
あの、私たちを砂漠の遺跡へと誘った張本人。正式には神殿の奥で今も眠り続けているハティが、かつて共に戦った「大切な仲間」だと言っていた存在。その単語が響いた瞬間、頭上の太陽とは違う、ヒヤリとした緊張感が私たちの間に走った。
「やっぱり……今、この国でも問題になっているんですか?」
ノエが表情を引き締め、いつになく低い声で尋ねる。
「問題どころの騒ぎじゃないね。今この国で起きている、最大の事件と言ってもいい。上層部ではあの土地神様をどう扱うかで、意見が真っ二つに分かれているよ」
意見が二つに分かれている。つまりは、神として救うべきか、あるいは――。
「討伐、か」
私の呟きに、ザビーネは静かに頷き、キセルを持つ手を止めた。
「アンタも実際に見たから分かるだろうけど、あの土地神は完全に『黒い魔素』に侵されている。まともな理性を失っている状態さ」
「ええ、各地で暴れ回っているらしいですね。私も今日、街の噂で知ったばかりです」
ノエの言葉に、ザビーネは再び歩き出す。本館の巨大な影が、私たちの足元へとじわじわと迫ってくる。
「知らなかったのも無理はないさね。本当にここ最近起きたことさ。今までは大人しく砂漠を遊泳していただけだったのにねぇ。今に街を飲み込むよ」
どうやらこの国にとっても、国の根幹を揺るがしかねない重大な局面に陥っているようだ。
「……実際に、あの土地神を救う方法はあると思いますか?」
ノエはザビーネの背中に向かって、縋るように問いかけた。その声は心なしか震えており、彼女がどれほどハティや土地神の身を案じているかが痛いほど伝わってきた。
「具体的な確証があるものは無い。けど、アンタだって知っているだろ? 黒い魔素に侵された存在を、元に戻す方法があるってことをさ」
ザビーネはピタリと足を止め、振り返って私たちを鋭い翠玉の目で見つめた。
「霊人の魔素……つまり『白き魔素』ですね」
ノエが即座に答える。
「あぁ。一番手っ取り早く、確実なのはそれだ。だけど現状、その力を持つ霊人族とコンタクトを取れる手立てがこの国にはない。あとは、機械国の持つ大型の『浄化装置』にかける方法もあるが……あれは莫大な時間がかかる上に、何より相手に装置の中で大人しくしていてもらわなきゃならない。あの巨体で暴れ狂う神を拘束するなんて、それこそ現実的じゃないねぇ」
ザビーネはそこで言葉を切り、キセルの煙を長く吐き出した。
再び歩を進め、本館の立派な二重扉の前で足を止めた。重厚な木製の扉は太陽の熱を吸って、触れずとも熱気が伝わってくるほどだ。
「……それってほぼ不可能に近いんじゃないの?」
私は屋敷の豪華な扉を見つめながら、複雑な思いを口にした。
「あの土地神がどれだけ巨大か、私たちはこの目で見たわ。あんな規格外の存在が、大人しく待っててくれるとは思えない……」
私の懸念を聞いたザビーネは、ふっと妖艶な笑みを浮かべた。キセルを持つ指先で、トントンと自分の唇を軽く叩く。
「ま、そのあたりは、法皇が最終決定するだろうさ」
ザビーネがクスクスと笑いながら扉をノックすると、中から執事らしき鱗獣種の老人が静かに扉を開けた。
開かれた扉の隙間から、ひんやりとした涼しい空気と、砂漠の権力者ならではの香香の香りが一気に漂ってくる。外の狂ったような酷暑から解放される安堵感と、これから始まる交渉への緊張。私たちは互いに視線を交わして小さく頷き合い、表情を引き締め、ついに港町の町長が待つ応接間へと足を踏み入れた。
みなさま、どうもです&初めましての方もどうも!
みゃ~むら、です!
ご拝読いただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!




