異邦 side ラグナ(Part15)
「んぅ……、今何時……?」
ボロのソファに横になったまま、寝ぼけまなこで寝言のようにぼやく。
重い瞼を押し上げ、天井から横に視線を向ければ、ヒビだらけの壁掛けの木製時計が、ちょうど午前九時を指そうとしているところだった。
結局のところ、私は残されていたもう一つのベッドをノエに譲り、このあちこちに穴の空いたスプリングのへたったソファに身体を横たえて夜を明かしたのだった。お世辞にも寝心地が良いとは言えず、私でさえ足の先がはみ出てしまって少し寝づらかったのだ。身長が二メートル近くもあるノエならば、このソファでは横になることすらできなかっただろう。
それに、残されたシングルベッドだってそこまで大きいものではなかった。身体を丸くしなければ到底入り切らない上に、彼女にはオマケとして、私の腕よりも逞しく強靭な、美しい鱗に覆われた太い尻尾まである。寝返りを打つたびにその立派な尻尾がベッドからずり落ちてしまうのは目に見えていた。
それもこれも、すべてはあの小さな身体のくせに、贅沢にもベッドを丸ごと一つ独占して大の字で爆睡した不遜な獣人のせいだ。……朝方に目が覚めた時、あまりに狭苦しそうに寝ているノエが不憫で、ポポロを無理やり退けようかとも思ったのだが、彼の無邪気で幸せそうな寝顔を見ていたら、どうにも毒気が抜けてしまったのだ。
しかし、それとこれとは話が別である。あとで起きたら、あのぷにぷにの頬っぺたでもきつくつねって叱ってやらなければ気が済まない。
「あぁ……。でも、よく寝たかも……」
ソファの上にようやく上半身を起こし、両腕を天井へ向けて思いっきり伸ばしながら、凝り固まった身体をほぐす。コキコキと小気味よい音が室内に響いた。
昨日の激戦の疲れはだいぶ取れているようだったが、微かに動かした拍子に、戦闘で負った傷がまだチクリと小さく痛んだ。
だが、あんな激しい戦闘をしておきながら、一晩寝ただけでこれほどの軽傷で済んでいるのは、客観的に見てもどう考えても異常だろう。
(……やっぱり、あの剣のせいかもね)
もしかしたら、創造主とやらが遺した力が私の肉体に宿っているのか、あるいは剣そのものが主である私を癒やしているのか……。そんな不気味でありながらも、どこか頼もしくもある愛刀は、すでに開け放たれたカーテンの傍らで、容赦なく降り注ぐ朝の直射日光にさらされていた。
まだ朝の早い時間帯だというのに、窓から差し込む光はすでに肌を焦がすような強烈な熱量を放っている。嫌でもここが過酷な砂漠地帯の延長線上にあることをアピールしているかのようだ。だが救いなのは、ここが海辺に面した港町であるということだった。
窓から暖まった風が入り込み、火照った私の肌を撫でていき、かすかに赤髪を揺らしていく。
……もう少しだけ涼しければ文句などないのだが。流石に直射日光に温められているせいで、海辺から吹く風とはいえ、嫌でもぬるくなってしまうのだろう。まあ、それでもあの遮るもののない砂漠を延々と進んでいた時に比べれば、不快な砂埃が少ないだけ遥かにマシだった。
部屋の中を見渡すと、すでに二人の姿はベッドになかった。シーツは綺麗に整えられており、方やぐちゃぐちゃのまま、完全に私一人が取り残されている。
私は二人が起き出して部屋を出ていく物音にすら気づかずに、泥のように熟睡していたらしい。
「朝ごはんでも、買いに行ったのかしら……」
今日は船を借りて、目的地である『鬼島』に向かう日だ。そのための物資調達にでも出向いているのかもしれなかった。
私は、もう一度窓の外を覗き込む。
決して大きな街ではなかったが、交易の拠点である港町だからだろう、朝からマーケットらしき通りが信じられないほどの熱気で賑わっているのが見えた。白い石造りで構成された街並みの間では、多種多様な鱗獣種たちが、朝の細い往来を忙しなく行き来している。
朝一番で獲れたばかりの、見たこともない奇怪な姿をした新鮮な魚を大声で並べている鰐人族の恰幅のいい主人。通りを外れた日陰の露店で、怪しげな漆黒のローブを深く被り、怪しげなタロットを繰っている占い師。さらには、トカゲ肉の包み焼きや串焼きを、脂の弾ける香ばしい匂いと共に仕込んでいる獰猛な顔つきの蜥人族もいた。
それが船でやってきた遠方からの商人なのか、それとも地元の住婦なのかは分からなかったが、最初に立ち寄ったオアシスの街よりも、遥かに多様な鱗獣種たちが闊歩していた。蜥人族、蛇人族、豚人種に鎧鼠種……。この砂漠の容赦のない直射日光と乾燥から身を守るために発達した、彼ら独自の頑強で分厚い皮膚や硬質な鱗の外套が、朝日に照らされてギラギラと極彩色に輝いているようだ。
「賑やかそうな街…」
これまでに見たことがない異国情緒の光景に、私はただただ圧倒されるばかりだった。
ノエの様にぱっと見は人間族に近い繊細な見た目の者もいるが、やはり耳が生えていたり、立派な角がそびえていたり、身体中が硬質な鱗に覆われていたりと、純粋な『人間族』の姿はどこにも見当たらない。世界が、自分の知っている何倍も広いという厳然たる事実に、嫌でも胸が小さく高鳴る。
そんな私の感慨に呼応するように、下腹の虫が「グゥ〜……」と景気良い鳴き声を漏らした。幸いなことに、部屋に私以外の誰もいなくて本当によかった。恥ずかしさに顔を赤らめながら、自分の腹をさする。
昨日の夜に食したのは、固い干し肉とスープだけ。一人旅をしていた頃の野宿に比べれば遥かにマシなメニューだったとはいえ、昨日の激戦で消費した体力を補うには、栄養価も量も圧倒的に足りていなかった。一人旅の孤独な緊張感の中ではあまり感じることのなかった、強烈な飢餓感が容赦なく私の五臓六腑を襲う。
「……私もちょっと、マーケットに出てみるか」
私は部屋着のままで、使い慣れたタクティカルベルトを腰に巻き、愛刀をそこに差した。上からマントも羽織る。刀の柄には、あの遺跡で嵌め込まれた謎の結晶がしっかりと定着しており、当然ながら刀身に浮かび上がった模様もそのままだ。
元々は盗品とはいえ、長く私の命を支えてきた愛用の細剣に発生しているこの不可解な異常に対し、一抹の不安と割り切れない焦燥を抱えながら、私はボロ宿の部屋を後にした。
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「ん、美味しい……かも」
香ばしく焼き上げられ、少し濃いめのスパイスで味付けがされた謎のトカゲ肉の串焼きを数本買い求め、口につまみながら、私はごった返すマーケットをあてもなく散策した。見た目のグロテスクさに関しては、空腹のあまり途中で考えないことにした。あっさりながらもジューシーな肉汁が口いっぱいに広がり、思いのほか食が進む。
マーケットの熱気は、宿の窓から見下ろした光景よりも何倍も凄みがあり、肌が触れ合うほどの過密さだった。砂漠地帯とはいえ、やはりここは広大な海へと繋がる交易の窓口なのだろう。物資を山積みにした馬車や、頑丈なトカゲが引く荷車がせわしなく行き交っている。
そもそも鱗獣種の亜人たちは平均的な体躯が大きく、どこを見渡しても私より頭二つ分は身長が高い者たちばかりなため、余計に視界が遮られて圧迫感を感じる。
少し視線を港の方へと向ければ、木製の桟橋には、小さな地元の漁船から、遠方の異国から膨大な荷を運んできたであろう巨大な木造の交易船までもが、何隻も青い波に揺られて停泊していた。
「海、か……。久しぶりに見たかも」
あの悍ましい悲劇の夜から逃れて、早九年。
ずっと大陸の内部に身を隠すようにして生きてきたため、これほど間近で海を見るのは本当に久方ぶりのことだった。
本当は、見るのが怖かっただけかもしれない。
寄せては返す波の音を聴けば、あの頃の、今はもう失われてしまった温かい幸せも、術もなくすべてを焼き尽くされたあの夜の激しい憎しみも、一気に思い出してしまいそうで。胸の奥がキュッと締め付けられるのを感じ、私はわざと大きなため息をついて意識を現実へと引き戻した。
そんな風に一人で黄昏ていると、突如として前方の巨大な交易船から、太いロープを使って多くの木箱や樽がドサドサと下ろされ始めた。それを取り囲むようにして、急に荒々しい船員や作業員たちが押し寄せ、周囲は一気に騒がしくごった返し始める。
(そういえば……私たちは、どんな船で島へ行くんだろ)
考えたら、私はこれまでの人生で一度も船に乗ったことがなかった。一応は港町の出身ではあったものの、あの頃はまだ小さすぎたから、危険だと言われて船には乗せてもらえなかったのだ。
蜥人族の作業員たちが、身の丈ほどもある大きな木箱を手際よく次々に船から下ろし、逆に新たな積み荷を船倉へとせせこましく運び込んでいく。その忙しない荷役の近くでは、恰幅のいい豚人族の商人らしき男が、羊皮紙のリストを片手に積み荷の検品を行っているようだった。
「おーい! 西大陸からの積み荷、なんか予定の数より随分と少なくねえかぁ!?」
検品していた作業員が、声を張り上げて商人に詰め寄る。
「あぁ、仕方ねえんだよ。なんでも向こうの大陸でも、最近になって例の『魔人』どもが出没し始めたらしくてな。物資が圧倒的に不足してるらしいぜ」
ドキリ、と心臓が跳ね上がった。
まさか、こんな活気あふれる交易港で、あの忌まわしい言葉を耳にするとは思わなかった。私は歩みを止め、買い食いしていた串焼きを握りしめたまま、思わず彼らの会話に聞き耳を立ててしまう。
「ちっ、マジかよ! クソ魔人どもめ、どこにでも湧きやがって」
「それどころか、向こうの買い手からは『もっと優先的に物資を回してくれ、いくらでも買うから』って、逆に強烈な催促をされたぜ」
「冗談言うな、こっちだって決して潤沢にあるわけじゃねえってのによぉ……」
西大陸――。
そういえば、あの砂中の神殿で出会った気高き白い狼、ハティが言っていた『巨人種』の棲処も、確か西大陸の南部にあると聞いた記憶がある。機会があれば行ってみたい気もするが、今の私にはそんな余裕はない。
「大将。そういやさ、また『鬼島』の方から、鬼族の遺体がいくつか海岸に流れ着いてたらしいぜ……」
別の蜥人族の船員が、声を潜めながら不気味な噂を口にした。
「……本当か? じゃあ、やっぱりあの不穏な噂は本物ってわけか」
「あぁ。あそこにも魔人が現れたってことは間違いなさそうだ」
「おいお前たち、絶対に興味本位であの鬼島には近づくんじゃねえぞ?」
「分かってますって。鬼島には近づくな、なんてのは、ここらの土地じゃ5つのガキでも知ってる常識ですからねぇ。それに最近は海自体も物騒っすから」
「全く……困りものだな。そういや、ウミボウズは会わずに済んだみたいだな」
船員が自嘲気味にハハハと笑いながら作業に戻っていった。
だが、私にとってそれは笑い事ではなかった。
ディロックスの情報には、やはり何一つとして間違いはなかったのだ。しかも鬼族の遺体が海岸に流れ着いただなんて……現地は今、想像以上にかなり不味い状況になっているんじゃないのか。
鬼島は、すでに魔人の手によって完全に蹂躙されている可能性すらある。焦燥感がじわじわと胸を焦がしていく。
「ん……?」
私は重い気持ちのまま踵を返し、一度宿に戻ろうとした。その時、マーケットの喧騒の端、視界の開けた先の路地に、見覚えのある二つの後ろ姿が不意に映り込んだ。
ノエと、そしてポポロだ。
二人は何やら、ボロ布を継ぎ接ぎして作られた怪しげなテントのような露店の中を、身を乗り出すようにして覗き込んでいる。その露店の奥からは、もう一つの不意味な影が、二人を見据えるようにして暗闇から顔を覗かせているのが見えた。
このまま一人で宿に戻ることも考えたが、戻ったところで退屈するだけだし、何よりあの二人の行動だ、今後の航海や鬼島に関する重要な何かに直結している可能性は十分に高かった。
私は手元の串焼きの木串をゴミ箱へと放り込むと、足音を忍ばせながら、静かに二人の背後へと近づいていった。
「ちょっとあなた達、私を置いてどこ行ってたのよ」
私の一声で二人がそれぞれこちらを向いた。
「お、おきたか」
耳をぴょこっと動かしながら、こちらに返事してくる。
「おはようございます、ラグナ。いえ、本当に気持ちよさそうに眠っていたものですから」
驚きもせずに、二人は至って平然と私に挨拶を返してきた。見ればそれぞれ、屋台で買い求めたのだろう分厚いサンドイッチや、何かのトカゲを丸ごと素揚げしたような香ばしい代物を、器用に口に運んでいる。
「二人してのんきにご飯食べてるんじゃないわよ……。先に行くなら一声くらい……」
ジト目で文句を言いかけ、私はふと、その言葉を喉の奥で止めた。
テントの奥に鎮座する、その『人物』の異質な存在感に気がついたからだ。
その者は、文句を垂れる私の姿をどこか可笑しそうに眺めながら、妖艶な笑みを浮かべていた。細長いキセルから紫煙をゆらめかせ、暗がりの奥で、冷徹な翠玉の瞳が怪しげに発光している。
驚くべきは、彼女の髪だった。長い、濃緑の髪の間から、大小数頭の『本物の蛇』が頭をもたげ、チロチロと舌を出しながらこちらの様子をじっと観察しているのだ。
切れ上がった意志の強いツリ目と、物憂げな眼差し。褐色を帯びた異国風の美貌には一切の隙がなく、不用意に覗き込めばそれだけで射すくめられそうなほど、冷徹な気品に満ちていた。その最大の特徴である髪と容姿は、間違いなく彼女が『蛇人族』であることを証明していた。
「さっきノエが言っていた、例の娘がその子かい?」
落ち着いた、どこか知性を感じさせるハスキーな声がテント内に透き通る。
彼女はキセルを再度唇に加えると、ふーっとゆっくりとそれを味わうように、あるいは私を試すように、気怠げに煙をたゆめかせた。
身に纏っているのはシンプルなドレスだったが、随所に民族的な刺繍が施されており、激しい動きを想定しているのか、スリットの入った腰部分からは、彼女の髪や瞳と同じ、艶やかな蛇の皮膚の模様がちらりと見え隠れしている。
「ラグナ、紹介します。こちら、この鱗獣領『サハラド鱗皇国』において、国の情報・諜報部門を統括しているザビーネです」
「ザビーネだ。よろしく、ラグナ」
すっと、薄暗いテントの奥から細くしなやかな手が差し伸べられる。この国の情報を一身にまとめるトップ、いわば最高幹部の一人ということだろう。差し出されたその手は鱗獣種らしく、どこか蛇の皮膚を思わせるような、ひんやりとした滑らかさと独特の質感を帯びていた。
「ど、どうも……。ラグナよ」
少し戸惑いながらもその手を握り返すと、ノエが私を安心させるように小さく微笑み、言葉を継いだ。
「彼女とは古くからの付き合いなんです。この国の中枢を担う一人でもある優秀な人です」
「よしてくれよノエ、私はただ運が良かっただけさね」
ザビーネは空いた手をひらひらと振りながら、少しばかり照れくさそうな表情を浮かべる。その仕草の端々に、冷徹な役職とは裏腹な、どこか姐御肌な親しみやすさが滲んでいた。
「おさに、つかえるのは、すごいことだぞ」
ポポロが両手で持ったサンドイッチを大きな口でむしゃむしゃと咀嚼しながら、生意気に、だけど無邪気に口を挟む。
「おや。この可愛い獣人の坊ちゃんは、中々に嬉しいことを言ってくれるねぇ」
ザビーネはふっと目元を和らげると、長い腕を伸ばして、よしよしとポポロの頭を優しく撫で回した。気のせいだろうか、彼女の頭から伸びている数頭の蛇たちも、主人の上機嫌な感情に呼応するように、どこか嬉しそうに頭をゆらゆらと揺らしている。
「――それで。これから船を借りたいんだってね? ……あの、魔人に占領されたとかいう『鬼島』に行きたいんだろ? 物好きだねぇ」
ザビーネは愛用のキセルを灰皿に置き、猫のように音もなく身を乗り出した。先ほどまでの柔和な空気が一瞬で霧散し、暗闇から覗く翠玉の眼光が、鋭く怪しげに光る。
「可能ですか?」
ノエが真剣な面持ちで尋ねる。
だけども少しばかり気になっていた事を口にする。
「船ってそこら辺の商人が持ってるものじゃないんだ?そこら中にたくさんあるけど?」
「船は街で一括管理されてるからね。だけどアタシを誰だと思ってんだい。もう町長には話を通してあるさ。すぐにでも会えるようにセッティングしてるけど……どうする?」
私の質問に流れるように返してくる。
網の目のように張り巡らされた彼女の情報網と権力の一端が垣間見え、その言葉の重みに私はごくりと唾を呑む。
「ええ、是非、会わせてほしい。……お願い」
私が真っ直ぐに彼女の目を見据えて答えると、ザビーネは試すような視線を一瞬だけ走らせた後、満足そうに細い目をさらに細めた。
「いい返事だね。――じゃあ、着いてきな」
そう言って彼女がしなやかに立ち上がると、ドレスの裾が静かに揺れ、蛇人族特有のスラリとした、無駄のない美しいシルエットが際立った。
「ザビーネ、ここのテントはそのままでいいのですか?」
ノエが周囲を見回しながら、ふと疑問を口にする。布を継ぎ接ぎしただけの、この怪しげな占い師の露店のような場所を放り出していいのか、私も気になった。商品らしき小物がずらりと並んでいるままだが。
「それかい? あぁ、今来たよ」
ザビーネが顎でしゃくった方角を振り返ると、マーケットの人混みを割って、一人の大柄な蜥人族の男がこちらへ近づいてきていた。男はザビーネの姿を見るなり、恐縮したように深く頭を下げ、そのまま黙々とテントの中へと入っていく。どうやら彼が本来の店主らしい。
状況がよくわからない私とポポロは、顔を見合わせて首を傾げた。
「街の皆の生の声や動きを間近で観察したくてねぇ、テントを少しばかり借りさせてもらっただけさね。さ、行こうか」
ザビーネは悪びれもせず、むしろ楽しそうにクスクスと笑いながらその蜥人に金貨を数枚渡した。国の情報トップが、こんなごった返すマーケットの片隅で自らフィールドワークをしていたという事実に少しばかり呆気にとられるが、すぐに無駄のない足取りで歩き出した彼女の後ろを、私たちは急いで追った。
活気と熱気に満ちた港町の喧騒を抜け、私たちは彼女に導かれるまま、白い石が敷かれた緩やかな坂道を上っていく。
一歩一歩進むごとに、先ほどまで私たちを包んでいた生臭い潮の香りが遠ざかり、代わりにじりじりと肌を焼く乾いた砂の匂いが強くなってきた。肌にまとわりつく湿気が、乾燥した熱風へと変わっていく。
町の喧騒が眼下へと遠ざかり、静寂が周囲を支配し始めた頃。
視界が開けた丘の上、遮るもののない烈日の下に、周囲の泥レンガの家々を圧するような、圧倒的な存在感を持つ黄金色の砂岩の邸宅が、私たちの前にその全貌を現した。




