真実 Sideラグナ(Part13)
全員の治療が落ち着き、各自休息を取っていた。
私たちの目の前では、集めた瓦礫を薪代わりにした焚き火が、パチパチと音を立てて揺らめいている。
ノエの言葉によれば、ここではない「外」――地表の世界は、すでに夜を迎えているらしい。この謎の空間には、変わらず木漏れ日のような優しい光がどこからともなく差し込んでいるせいで、余計に時間感覚が狂ってしまいそうだ。
(……最悪)
本来の目的は魔人を狩ることだったのに、どうして私はこんなわけのわからない遺跡で、わけのわからない獣狩りをしているのだろう。しかも想定外の戦闘で体力を無駄に消耗してしまった。
ふと隣に目をやると、ポポロが「ぐうぐう」と気持ちよさそうな寝息を立てて、お腹を丸出しにして眠っていた。警戒心ゼロか。思わず緊張の糸が解ける。
戦いの疲労からか、それとも現状の進まない状況への不満か、私の口から自然と深い不満の嘆息がふぅと漏れた。
「こんなことになるとは……申し訳なかったですね」
「え……」
ハッと顔を上げると、いつの間にか、木製のマグカップを手にしたノエが私の隣に立っていた。
立ち上る湯気からは、こうばしい肉の出汁と、少し癖のある薬草の香りが優しく混ざり合って漂ってくる。
「……スープ?」
「はい。私の荷物にあった干し肉のカケラと、手持ちの乾燥野菜を刻んで、体力回復の薬草と一緒に煮込みました。何かお腹に入れた方がいいですから……温かいうちにどうぞ」
差し出されたカップを受け取ると、じんわりとした温かさが指先から伝わってきた。
一口啜ってみると、干し肉から出た塩気と旨味が、すっからかんだった身体の奥底へじわじわと染み渡っていく。スープの底に沈んだ、小さくふやけた肉のカケラを奥歯で噛み締めた。
「ううん、ありがとう。すごく美味しい。……で、ノエ、こんなことって……?」
「本来であれば、今頃は港町に着いていたはずの時間です……。私の提案のせいで、まさかこんなに時間を食ってしまうとは思いませんでした」
隣に座り込んだノエは申し訳なさそうに眉を下げ、自身のマグカップを見つめる。
「あなたが悪いわけじゃないでしょ。元はあいつ……砂の中を泳いでた、あの馬鹿でかい生物のせいでしょ。それに……新しい力も身につけれたし」
そもそも原因は、砂漠を通っていた際にあいつが現れたせいで、こんな訳のわからないところに誘い込まれたのだ。……まぁ、こちらが寄り道をしたのは確かだけれど。
「それは……」
「あいつは、元はこの街を守護する、わしの旧き友じゃった……」
『!?』
突如として響いた、地を這うような低く重厚な声がノエの言葉を遮った。
ノエでもない。ぐーすか寝ているポポロでもない。当然、私でもない。
驚愕して視線を走らせると、なんと、先ほどまでノエが治療を施していた、あの二対の瞳を持つ謎の獣が、その大きな頭をゆっくりと持ち上げてこちらを見ていたのだ。
「そう身構えるな……もうお主らと戦う意志はない。戦いに負けた上、治療までしてもらったモノたちに、事を荒げるような真似はせんよ」
私とノエが満身創痍の身体に鞭を打ちながらも、反射的に武器の柄へ手をかけたのを見て、獣は宥めるように長い息を鼻から抜いた。
「言葉が話せるなら、最初から喧嘩腰に来なくてもいいじゃない……?」
私は武器から手を離したものの、まだ警戒を完全に解くことはできず、恨めしそうな声をあげる。
「すまんの……。てっきり、あいつらからの差金かと早合点してしまったんじゃ。お主がその細剣を持っておったし、結晶は奪われるしでな。こちらも事情があって警戒しておったのだ」
先ほどの狂暴極まりない態度とは打って変わり、獣の声は驚くほど穏やかで、どこか老人のような深い哀愁を帯びていた。
「驚かせてしまったなら申し訳ありません。ですが、私たちがこの遺跡や神殿に迷い込んだのは、本当にただの偶然なのです」
ノエがマグカップをそっと両手で包み込みながら、真摯な眼差しを向ける。
「ふーむ……それは真に悪い事をしてしまったな……」
獣は四つの瞳をすぼめ、本当に申し訳なさそうに、巨軀をわずかに縮こまらせた。
「……ねえ、申し訳ないと思うなら色々話を聞かせてよ」
「構わん。何が知りたい? 人間の少女よ」
獣の静かな眼差しが、まっすぐに私を捉える。
「えーっと、それは……何だっけ?」
聞きたいことが頭の中に大量に溢れかえり、一瞬思考がこんがらがってしまう。私は隣に座るノエに助け舟を求めた。
「では……先ほど仰った『街を守る戦友』というのは、どういう意味なのでしょう? 遥か昔より、あの砂漠の守り神として我々鱗獣種からは敬われてはいましたが……」
私たちをここに誘った張本人のことだろう。まさか土地神のように慕われていたとは。
獣は四つの目を一度閉じ、遠い過去を想起するように、ぽつり、ぽつりと語り始めた。
「……ここはかつて、あらゆる種族が共に住まう街……その一部じゃった。魔人や霊人といった一部の種族が謀反を起こし、戦火の中で各種族はバラバラに分かたれてしまった。じゃが、それでも我々には、ある『約束』があった」
え、何の話…。
だが、その単語を聞いて、私の心臓がどきりと大きく跳ね上がった。
「……その約束って?」
それを確かめるように、私は先を促した。
「突如として消えた彼女が戻ってくるまでの間、この街や民を守り、平穏に暮らすという約束じゃよ……。ワシたちには、文明が滅びてもなお、この街を守りたかった」
「あなたと、あの砂漠を泳ぐ砂鯨は、この砂中の遺跡を守っていた……いつ戻ってくるかもわからない少女との約束を果たすために……?」
「滅んだ都市をそのままにするのも憚られたからのう。わしらの力で砂に沈めたんじゃ……まぁ元々は自然が豊かな大地じゃったが」
「彼女って、あっちの天井画に描かれてた白髪の……?」
広場の方を指差す私を見て、獣の髭が、肯定の揺らめきを見せる。
「我々や、この世界に住まう大地、海……この世の生命すべてを作り上げた創造主。それこそが、あの絵に描かれた少女、神たる『コスモ』じゃ」
「コスモ……」
その響きを口の中で繰り返す。スケールが壮大すぎて、頭が追いつかない。目の前の獣が、まるでお伽噺の語り部のように見えてくる。
「ここ最近までは、あいつも大人しくあの砂漠を泳いでおったのじゃが……。おそらく、魔人どもにやられたんじゃろう。魔素を無理矢理に流し込まれ、自我を乗っ取られた、凶暴な『魔獣』へと変えられてしまった」
「それで……私たちを、魔獣化したあなたの元戦友から送られた刺客だと勘違いした、と?」
ノエの言葉に、獣は深く頷いた。
「うむ、その通りじゃ……手酷い真似をして、本当にすまんかったのう」
獣が大きく鼻を鳴らす。その仕草からは、心からの悔恨の念が痛いほど伝わってきた。
「いえ……」
ノエが静かに首を振る。土地神が魔獣化してしまっていることに多からずショックを受けているようだ。
細剣の柄に指をかけ、結晶が固着した部位を見つめながら、その獣に尋ねる。
「じゃあ、私からもいい? ……この剣と結晶は一体何なの? なんでこの剣であの扉が開いて、どうしてこの結晶とくっついて離れなくなっちゃったの?」
「その仔細については、実はわしらにも分かってはおらんのじゃ」
獣は困ったように三本の尻尾の先を小さく揺らした。
「だが、それこそがコスモが最後に我々に残した『贈り物』。剣と、その結晶……いや、確か他にも、鞘なんかもあったな。今も同じようにどこか別々に保管されておるはずじゃ……剣は人間種の者が持っていったと聞いておったが。今はお主がそれの主人か」
「ま、まぁね……」
泥棒同然に人間領の神殿から盗み出したことは、ひとまず心の奥に黙秘しておくことにした。
「……さっきの稲光は、この剣の能力なの?」
傍に置いてあった刀剣を撫でる。当然ながら、この無機物は何も答えてくれない。
「それは、わしも初めて見た。じゃが……コスモがまだ健在だった頃、わしらと遊んで悪戯に瞬間移動していた時に、その周囲で弾けておった光に、酷く近しい響きを感じる」
悪戯に瞬間移動という文字列。あまりにも奇天烈すぎる創造主様だ。
「じゃあ、その少女の力が込められて作られたモノが、これってこと……?」
「そうじゃろうな。その刀剣の力、その一端という事じゃろう」
私は自分の掌を見つめる。先ほどの、全身を突き抜けたあの全能感めいた熱が、未だに皮膚の裏側に残っているような気がした。
「他のパーツは? なんか、鞘とか何とか言ってたけど」
「細かくは覚えておらん。ただ、鞘だけでなく、チェーンやその剣自体にももうちっと華美な装飾品がついておったような気がするのう……」
「それは、今どこにあるのですか?」
「わしも知らん。この世界のどこかにある、別の神殿じゃな……。それらを作ったのは巨人種じゃから、本人どもに直接聞けばええ」
「じゃあ、この神殿と、人間領にあった神殿の構造が似通っているのは……」
私の中で、カチリと辻褄が合う。
「うむ。この神殿を作ったのも巨人族。その刀剣があった場所も、同じ連中が手がけたものじゃろうて」
「じゃあ……この空間は何? 明らかに外の遺跡とは気配が違いすぎるんだけど」
私が周囲の優しい光を見回すと、獣はどこか懐かしむように目を細めた。
「ここは、その剣が鍵となっている、コスモが昔に作った『遊び場』……魔素によって構築された固有の隔離空間じゃ。実際には、この現実世界に実在している場所ではない。巨人族が、彼女がいなくなってから無理やりにではあるが神殿の内部にシステムとして組み込んだんじゃ。当時の仕組みを説明されたが、わしにはさっぱり分からんかったがな」
「じゃあ何でこの剣はただ台座だけに刺さってたの…?私が神殿から、えーと、もらう時はこんな空間に入らなかったけど」
危うく盗んだと言いかけた。
「それもわからん。巨人種に聞いてくれ」
なんだ、意外と知らないことだらけか。
話を聞いていたノエが、ふと顎に手を当て、学術的な疑問を口にした。
「……通常、魔素を出力した本人が消滅、あるいは、いなくなれば、その空間を維持する魔素も自然と霧散していくはずですが……どうしてこの空間がまだ形成されているのでしょう?」
獣は深く重い声を響かせ、私たちの顔を順番に見据えた。
「じゃから、コスモはまだ生きておる。この世界のどこかでな……少なくともわしはそう、信じておる」
心臓が、本日二度目の大きな拍動を打った。
生きて、いる?
じゃあ……私が夢の中で出会った、あの寂しそうな目をした白髪の少女は、ただの幻なんかじゃない。今もどこかで、本当に……。もしかして、この剣の中に眠っているのだろうか。
「……剣のパーツをすべて揃えたら、どうなるの?」
切迫した私の問いに、獣は静かに首を横に振った。
「それも、どうなるかは分からん。その剣が遺されていた当時は、組み合わせても何も起きなかったからのう」
「何も起きなかった……? けど、たった今、私はあの力を使ったのよ?」
詰め寄るように問いかける。
「じゃから、わしも驚いておるよ……。まさかそんな力を、人間のお主が発揮するとはな。1000年という果てしない時を経て、力が宿ったのか。それとも、お主という存在に呼応して、元ある力が復活したのか……」
謎が解けるどころか、さらに深い霧の中に放り込まれた気分だ。
「……なぜその多様な国家が、1000年前に滅びたのですか?そしてまた、侵攻を開始したのは?」
「それも、今この大地を攻めてきているらしい『魔人』どもに聞け。わしはあの戦いの結末、その辺りの細かい事情までは知らん」
獣は潔く白旗を上げるように、大きな耳をぺたんと寝かせた。
「じゃあ何で、あなたはこんなところで1000年も過ごしてたわけ? 滅ぼした奴らに、復讐とか考えなかったの……?」
私の言葉に、獣は少しだけ瞳を揺らし、寂しげに微笑んだように見えた。
その言葉に、ノエはハッとするような表情をこちらに向ける。
「……わしは、またあの子と会いたいだけじゃ。それにただ言えるのは、わしらは皆、あのコスモの力でこの世界に生まれた。わしらが争うことで、あの子が悲しむ顔を見るのが嫌だったのかもしれんな……」
これ以上の情報は、ここでは引き出せそうにない。私は息を吐き出し、現実的な問題に頭を切り替えることにした。
「……まぁ、いいわ。とにかく、私たち、地表に出たいんだけど。どこか出口ってある?」
「なんじゃ、そんなことでいいのか? それだったら、わしの空間転移の力で送ってやれるぞ」
「本当ですか!?」
ノエが救われたように声を弾ませ、表情をパッと明るくした。
「遠い所は無理じゃぞ。明確な特徴を教えてくれれば、この砂漠地帯の範囲内であればどこへでも飛ばせる」
「助かる。後でぜひともお願いしたいくらい」
「かまわんが……一つ、お主らに頼みがある」
獣の四つの瞳が、急に真剣な色を帯び、声音が一段と低くなる。
ノエがその意図を察し、マグカップをそっと台座の上に置いた。
「あの、砂漠を泳いでいるという、元戦友のことですか」
「お主らにも果たすべき目的があるじゃろうから、期限は問わん。いつか再びこの地に足を踏み入れた時……あいつを浄化して救うなり、倒すなりして、どうか楽にしてやってはくれまいか」
「……倒しちゃって、いいの? 話を聞く限り、ずっと一緒に長生きしてきた、大切な仲間なんでしょう?」
私の問いに、獣は悲しげに、しかし決然とした口調で答えた。
「……一度魔素に呑まれ、狂暴化したモノを浄化するには、霊人の『白い魔素』が必要じゃ。じゃが、奴らの協力を得るのは難しかろう。あるいはそいつを凶暴化させた魔人を倒すかじゃ」
その言葉にノエが反応した。
「…魔素を使って意図的に魔獣にしている、と言うことでしょうか?あいつらにそんな知能が?」
私はここで初めて気づいた。いや、心のどこかでは察していたのかもしれないが。私が9年前に見たあの二人の魔人。
「お主、魔人や霊人を見たことは?」
「霊人はないですが…。魔人はあの黒い魔素の塊に近い、ただ暴れるしかない様な連中ですよね」
「……?違うな。奴らには奴らの意思決定権を持ってる奴らがおる。リーダーや幹部の様なモノ達がな」
「……なんですって?」
ノエは懐疑的な視線を向けながら私に視線を移した。
「ラグナ、貴方は会ったことがあるのですね…?だからその連中に対しての復讐を誓ったと」
全てを察した様だ。私はただ黙って頷いた。
相変わらず頭の回転が滑らかなやつだ。
「まぁ、その辺りはおいおい知っていけばえぇ。ただわしは、あやつをただの狂った怪物として放置するのは気が引けるでの」
「……あの砂鯨は、鱗獣領でも守り神のような存在でした。私も、可能なら助け出したい想いはありますが」
ノエが沈痛な面持ちで拳を握りしめる。
「……」
私は黙って、自らの細剣を見つめた。
救う、か。
ノエの言うそれは、純粋かつ崇高で、敬愛すべき考えだ。
だけども――そんな綺麗な考えは、私にはこれっぽっちもない。
私にあるのは、あの故郷を滅ぼした魔人どもへの、燃えるような復讐心だけだ。
例えこの剣が創造主の残した遺物だとしても、関係ない。
私は容赦なく、この力を奴らを屠るために振るう。
沈黙が流れる中、獣は私たちの答えを急かすことなく、ただ静かに待っていた。
崩壊した神殿の跡地に、再び、穏やかで、どこか切ない静寂が満ちていく。




